展覧会『Fragments 4 human beings』を鑑賞しての備忘録
YOKOTA TOKYOにて、2025年3月24日~4月18日。
アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)、エミコ=サワラギ・ギルバート(Emiko Sawaragi Gilbert)、アブラハム=デイビット・クリスティアン(Abraham David Christian)、ハンス・シュタインブレンナー(Hans Steinbrenner)、若林奮の人物像と中南米や中東などで出土した人を象った古代遺物とを合せて展観する企画。
人物像のリトグラフは、隣にジャコメッティが、アトリエにいるのであろう、人物彫刻(マケット(?))とともにいる姿を捉えた写真と並べられていることから、ジャコメッティの作であることが明らかであるが、会場にはキャプションがない。現代作家の作品と古代遺物とが混在するように並べられ、青や臙脂の着彩が鮮やかなものや紙を素材とした作品は別として、木、石、焼きものなどに象られた人物像が新旧何れのものかは必ずしも判然としない。人の形を表わすことは連綿と続けられてきた営為であり、その魅力は尽きない。
そもそも「口」は、生命体にとっては必須の、外界のものを内界に取り入れるための、つまりは食糧を栄養として体内に取り入れるための入口となる最も重要な器官であった。「手」もまた然り。人間以前の動物たちすべてにとって、「手」とは
(「足」とともに)「口」から栄養を取り入れるために外界に働きかける、これもまた最も重要な器官であった(その最大の機能が、栄養摂取のために移動を可能にすることであった)。生命体が環境に適応する際に――その最大の要因が栄養摂取である――移動することが容易である左右対称の身体の体勢(身体の構造)を選んだときから、つまりは原初の魚類(原初の脊椎動物)から現在の人類にいたるまで、「口」と「手」(および(「足」)が互いに協力し合って移動し栄養を摂取するという、基本的な身体の体勢に変化はない。逆に、栄養摂取のために左右対称の体勢を選ばなかった生命体は、以降、身体の構造を変化(進化)させることなく、放射状である身体の体勢のまま、海を漂いながら(能動的な移動をせずに)生きることを選んだ。ヒドラやクラゲやイソギンチャクなどである――ルロワ=グーランは、『身ぶりと言葉』の第1部「技術と言語」を、そのような地点かrはjめている。普遍的な生命の歴史のなかで、個別的な人類進化の歴史を考えているのだ。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.168-169)
白っぽい石に、結合双生児を連想させるような、2つの頭を持つ人物像が線刻された遺物がある。2つの頭、2本の腕、2本の足が放射状に拡がる様は、ヒトデを想起させる。
ルロワ=グーランは、洞窟壁画を構成する具象的な図像と抽象的な記号を一括して「ミトグラム(神話文字)」と名付ける。「神話文字」は線状的な表音文字ではなく、意味を放射状かつ多元的=多極的に包括する表意文字であった。象形文字にして絵文字であった。ルロワ=グーランがここで、アルファベット以前、「権力」以前の思考の体制は線状的なものではなく放射状的なものであったとし、それを比喩的にあらわすものとしてウニやヒトデ、あるいはクラゲの身体をもち出してくるのはきわめて示唆的である。『身ぶりと言葉』としてまとめられた生命進化の歴史であるとともに身体進化の歴史は、その冒頭において、左右対称性(運動性)を身体の体勢として選び、始原的な魚類から人類に至るまで急激に変化=進化していった生命体に対して、放射性(浮遊性)を身体の体勢として選ぶことで、それ以降の変化=進化を一切やめてしまった生命体を対照させることからはじまっていた。対称性としての身体の体勢を選んだ生命体は、自らがもっていたもう1つ別の可能性、放射性としての身体の体勢をもった生命体として生きる可能性を決して忘れず、その夢を見続け、その姿を表現し続けていたのである。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.200-201)
人類が「対称性としての身体の体勢を選んだ生命体」であることが、ヒトデにようなイメージによって浮き彫りにされる。
基本的には菜食性で、森のなかに住んでいた霊長類のなかで、人類だけが草原に出て、本格的な肉食を開始したのである。それとともに自由となった「手」で石を割り、原初の道具、原初の「石器」を創り出したのだ。意図的に石を割る、「石器」を創り出すということは、そこに時間(未来)という「意識」が存在しはじめたことを意味する。人間のなかに内的な世界が生まれたのである。足から進化した人類は、そのことによって手を解放し、口の筋肉をより退化させ(まず動物的な「犬歯」が退化し、「口」が徐々に解放された)、器である頭蓋とその内容である脳の拡大をはじめた。内的なメカニズム(機関)である身体と、外的なメカニズム(機関)である道具の変化は連動し、人間は人間となっていった。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.170)
森を出て、手が使えるようになり、道具を創り出して未来への意識が生まれた。未来は、現在から自らを引き離す思考ができれなければ生まれえない。
俯瞰するということは、大地を文字として読み解くことだ。狩猟採集すなわち食糧の獲得は生存に不可欠である以上、自身を上空から眺める能力――地図を構想する能力――が言葉を遡ることは確実である。眼にははじめから、自身から離れて自身を見る能力が、付随していたと考えなければならない。そうでなければ見る意味がない。これと、相手の視点――母の視点、父祖の視点、敵の視点――に立つという能力は、不可分であると思える。捕食する、捕食される、番う、番われる、追う、逃げるは、自己保存、種族維持にじかに関わる以上、見ると同時に始まった快楽であり苦痛であるとかんがえなければならない。
触覚的な捕食活動――じかに口で獲る――はきわめて危険だが、視覚的な捕食活動――手で獲り口に運ぶ――はそれに比べれば遙かに安全である。捕獲対象から身を隔ててそれがなんであるか見きわめたうえで、手を出し口に運ぶことができるからだ。したげって、捕食活動を少しでも安全にするために眼が生れ、その機能を十分に発揮するために相手の立場に立つ――何をしようとしているのか探ろうとする――という戦略が生まれたのだと考えることができる。
いわば、生命は眼の獲得と同時に、自分から離れることを強いられたのである。この距離、この隔たりが、精神といわれるもの、霊といわれるものの遠い起源であることは、私には疑いないことに思われる。
私とははじめから、相手のこと、外部のこと、なのだ。鳥が魂の比喩として登場するのは当然なのだといわなければならない。私とは外部から私に取りついたもののことなのだ。(略)
したがって、私とはすでに決定的に媒介されているもの――いわば複数――なのであり、それを唯一の起点として世界を考えることなどできはしない。私を起点に世界の存在を考える特権など、私にはないのだ。私が誰かの生まれ変わりでないなどとどうして断言できるだろう。そもそも、私とは両親の生まれ変わりにほならないではないか。母が呼ぶ名を引き受けて私はその名になったが、これが呪的な行為であるとすれば、遺伝――DNA――もまた呪的な現象ということになるだろう。
私がひとつの外部であることはまさに科学的事実なのだが、この科学的事実があらゆる呪的な行為を引き寄せたのだといっていい。眼の誕生とともに私は外界を見たが、それは外界もまた私を見ているということ――私は見られているということ――の裏面にほかならない。私とは私を見るということなのだ。(三浦雅士『孤独の誕生 または言語の政治学』講談社/2018/p.205-207)
「私」という認識があるということは、「私」の身体と「私」との間に隔たりがあるということだ。「私」の身体は「私」の媒体(medium)なのだ。「私」が「私」の身体に取り憑くことができるなら、あらゆるものに取り憑くことができる。縦長の紙に縦に鉛筆を走らせる中でぼんやりと人の形が現われる、エミコ=サワラギ・ギルバートの無題作品が会場奥の壁に掛けられ、彫像群を俯瞰する。ぼんやりとした人物像は「私」であり、精神であり、霊である。換言すれば、「私」が何者でもある以上、ぼんやりとした人物像とは、無限に自己を映し出す鏡に擬えられると言えないだろうか。
西田〔引用者補記:幾多郎〕は、論考「場所」の冒頭(「一」)で、「純粋経験からはじまり自覚を経て、いまようやく到達した、自身の哲学を成り立たせている基本構造を、こう説明してくれている。「斯く自己の中に無限に自己を映し行くもの、自己自身は無にして無限の有を含むものが、真の我として之に於て所謂主客の対立が成立するのである」。「映す」という概念が、哲学の中核に据えられている限り、西田のいう「無」は「鏡」としての性格をもたなければならないし、その学は「形」(形相)の生成を探究する哲学とならなければならない、つまり、どうしても「物質」(質料)の生成を探究する哲学とは相容れない。
このように「無」を「鏡」として定義していった結果、論考「場所」の冒頭(「一」)に続く次の章(「二」)で、西田は、こう述べなければならなかった――「唯一般的なるものは特殊なるものを含み、後者は前者に於てあるのみである。恰も形あるものは形なきものの影であると云ふ如く、形なき空間其者の内に無限の形が成立する如き関係であらう」、すなわち「真の場所は自己の中に自己の影を映すもの、自己自身を照らす鏡といふ如きものとなる」。
「真の無の場所」とは、自己のなかに自己の影を映すもの、自己自身を照らす「鏡」のようなものとなる。それが、西田幾多郎の「場所」の哲学の帰結である。しかも、「真の無の場所」、「真の無の鏡」は無限に深い。そこでは、鏡が鏡に重なり合い、無限に無限が重なり合う――「真の無の場所」では「鏡と鏡とが限りなく重り合ふのである」(「四」)。それでは、「場所」そのものが「無の鏡」に変じてしまったとき、そこには一体、どのような光景が広がり出すのか。西田はいう。そおに見出されるのは、すべてが自己の「影」、自己の「映像」――すなわちイメージ――となってしまった世界である。西田自身の言葉を借りれば、こうなる――「判断の主語となるものが場所である時、性質を有する物といふ如きものは消失して基体なき作用となる、更に場所其者も無となる時、作用といふ如きものも消え失せて、すべてが影像となる。主語となつて述語となることなき基体が無となるが故に、判断の立場から云へば本体なき影像といふの外はない」(「三」)。(安藤礼二『縄文論』作品社/2022/p.128-129)