映画『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
127分。
監督・脚本は、大九明子。
原作は、福徳秀介の小説『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』。
撮影は、中村夏葉。
照明は、常谷良男。
録音は、小宮元。
美術は、橋本泰至。
装飾は、貴志樹。
衣装は、宮本茉莉。
ヘアメイクは、遠山穂波。
VFXスーパバイザーは、田中貴志。
音響効果は、渋谷圭介。
編集は、米田博之。
白いヘッドホンをした女子学生が傘を差さず激しい雨に打たれながら歩く。青い日傘を差した男子学生と擦れ違う。
〈花曇〉
関西大学千里山キャンパス。第1学舎の階段教室での日本語の講義。小西徹(萩原利久)が男子学生から声をかけられた。急な用事で帰らなきゃならないんで出席カード出してもらえますか? 小西に出席カードを託した男子学生数名がそそくさと教室を出て行った。
教室にチャイムが鳴り響く。お団子ヘアの女子学生(河合優実)が誰より早く階段を降り、教壇の脇に出席カードを出して出口に向かう。扉を引いて開かない。照れ笑いを浮かべた彼女は周囲をちらりと見ると、押すと言って扉を押して出て行った。小西は彼女の目元にできた笑い皺に目を奪われる。気付いた時には教室に誰もいなくなっていた。ノートと教科書を机に叩き付けるように纏める。その拍子に出席カードが舞い散った。小西は押すと言いながら扉を開けて階段教室を出て行く。
小西は青い日傘を差す。芝で輪になる学生たちやベンチで語らう学生たちを尻目に1人歩く。
建物の入口で小西が1人日傘を差して立っていると、隣に山根(黒崎煌代)が現われた。腹減ったやねん。山根は大分出身なのに関西弁を話すのは下品だと独自の方言を用いる。腹減ったな。ウソウソ。ツッコんで欲しかったやねん。何スカシとんやねん。5ヶ月、半年ぶり?
学食。タルタルチキンカツを頼んだ山根はおばちゃんにタルタルソースを多めにかけてもらいホクホクしている。小西の後ろを通った男子学生が椅子にぶつかって何も言わずに過ぎ去った。小西は一人で蕎麦を食べるお団子ヘアの女子学生に気を取られた。一人ざる蕎麦女。ワシが名付けたった。何回生やろな? 2年。久しぶりに大学来たのに何で知っとる? さっき同じ講義に出てたから。
小西と山根は学生たちで賑わうあすかの庭を避け、誰もいない屋上庭園に上がって寝転がる。人工芝より天然の地面の方が価値があると山根は合弁する。立ち並ぶ桜が見頃を迎えている。か細いやねん。屋上だから根が張りにくいんじゃないか? ええやねん。いつまでも若いってことやねん。山根は前向きだな。
同志社大学今出川キャンパス。咲(伊東蒼)が窓の外を眺めている。雪や。季節外れの雪がちらついた。やるよー! 声を掛けられて軽音サークルの4人で「倍音そうる」を演奏する。♪歌うことで僕は生きていける/思いの丈をこうしてぶつける/倍音そうる…
小西はキャンパスを出る間際に差していた青い日傘を畳む。大学の前の坂の途中にある喫茶店「ケープコッド」の店先で犬のサクラを撫でる。僕のことを覚えていたのか! 小西が嬉々としてサクラを擦る。白い毛が舞い上がる。
1人暮らしの部屋。帰宅した小西が洗面台で嗽をする。
小西はアルバイト先の銭湯「七福温泉」に向かう。店の前で擦れ違う常連に久しぶりやねと声をかけられる。
小西が暖簾を潜り、大将の佐々木(古田新太)に長いこと休んでいたことを侘びる。小西は祖母が亡くなったのを機に半年ほど横浜に帰省していたのだ。佐々木の娘・夏歩(松本穂香)が大きなお腹を示し、グッドタイミングだと小西を歓迎する。これで洗い場に立つとお客さんに冷や冷やされんねん。いきなりこんなに大きくなったんですか? 留守中に徐々に育っていったの。佐々木さん、お祖父ちゃんですね。孫を可愛がる準備は万全と請け合う佐々木に、夏歩は赤ん坊が駄目人間にされてしまうとおどける。そこにギターケースを背負った咲が現われる。小西君、お帰りなさい! 良かったね、さっちゃん。笑顔を弾けさせる咲に夏歩も嬉しくなる。さっちゃん今度ギター聞かせてよと言って常連が帰っていく。佐々木と夏歩も小西と咲に任せて出て行った。何、ボーッとしてんの! 私の指示待ちか? 咲が小西に作業を促す。
小西と咲は脱衣場と浴室の清掃をする。夕方、雪降ってんで。異常気象。奇蹟やって。山根といて気付かなかった。山根君と1度会ってみたい。山根は服のセンスがおかしいし、女の子のバイト仲間を紹介したら落ち込むんじゃないかな。
清掃を終えた2人が七福温泉を出る。小西君、バンドのスピッツ知ってる? うん。初恋クレイジーって曲、世界最高の前奏やって。咲は初恋クレイジーの素晴らしさについて熱弁を振るい、小西に聞いて欲しいと訴える。裏手に廻り小西が佐々木の郵便受けに鍵を入れる。ガシャンと大きな音を立てる。小西はこの音が苦手だし近所迷惑だと言うが咲は大好きだと言う。おやすみ、バイト楽しかった。バイト仲間がお洒落でイケイケなタイプだったら楽しめなかった。そやろ。
心理学の講義。小西はお団子ヘアの女子学生の後ろに坐り、彼女の出席カードに記された名前を盗み見る。桜田花。小西は桜田の隣に移る。…すいません、急用で帰らなくちゃならなくなって出席カード出してもらっていいですか? いいですよ。興奮している小西は教室を出て行くとフランス語の教室に向かい、一番前の席で熱心に授業を受けている山根の椅子に無理矢理坐る。仏文教授は驚くが授業を進める。日傘忘れたんか…?
関西大学文学部2回生の小西徹(萩原利久)は半年ぶりに千里山にやって来た。老健施設に入所していた祖母が亡くなったのを機に横浜に帰省していたのだ。小西は自意識過剰のあまり日傘で周囲の視線を避けなければキャンパスを歩けない。階段教室での講義の際、チャイムとともに教室を出て行こうとしたお団子ヘアの女子学生(河合優実)が扉を引いて開かずに照れ笑いを浮かべた。小西は彼女の笑い皺に心を奪われる。唯一の友人・山根(黒崎煌代)と学食に向かうと、1人ざる蕎麦をたぐる彼女がいた。心理学の講義の際、小西は思いきって彼女の近くに坐り、彼女の名が桜田花であることを知る。小西は桜田に出席カードを出してもらうよう頼み言葉を交わすことができた。興奮する小西は佐々木(古田新太)の経営する銭湯「七福温泉」のバイトに遅刻する。バイト仲間の咲(伊東蒼)に埋め合わせとして食事を奢ると約束し、咲を喜ばせる。雨の日。濡れないように抜け道を通って哲学の講義に向かおうとして、小西は桜田と出会す。小西は出席カードの件で礼を言う。友人がいないという桜田と意気投合した小西は、授業を抜け出し、桜田を屋上庭園に連れて行く。桜田が今日の空が一番好きと言えるようにという父の遺訓を紹介すると、小西は祖母から似たような言葉をかけられたことを思い出す。桜田はセレンディピティだと言う。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
小西徹が周囲の視線(評価)を過度に気にする姿が青い日傘を差すという動作により可視化されている。小西が日傘を差すのはキャンパス内だけだ。キャンパスでは学生たち(同世代の人たち)と同じ土俵にいて優劣の判定に曝されてしまうという意識が働くのだろう
小西が桜田花と知り合った当初、ノートをコピーさせてあげた連中に表紙を折られてしまったエピソードを小西から聞いた桜田は、格下と思ってる人に助けられてる連中なんてと憤慨する。桜田の言葉は小西の自尊感情を擽っただろう。しかし、小西こそ、唯一の友人である山根に対し、服の趣味が良くないとか、恋人の話題を避けるとか、否定的な評価を下し、見下している山根に助けられている存在なのだ。
山根は自分は関西人じゃないからと関西弁そのものを使おうとはしない。もっとも地元大分訛りだけでもない。地元大分と大学のある大阪(吹田)の両方を自らのアイデンティティとして、山根弁を語る。また、独特のファッションは、地元の店で地元に暮らす彼女と選んでいるという。山根は自らのルーツ(根)を大切にしていて、ブレない。だから小西も含めて評価を気にすることはない。小西とは極めて対照的である。小西はそんな山根をポジティヴだと揶揄う。
因みに学問に対する向き合い方も山根と小西とはまるで異なる。山根(フランス言語文化コース在籍?)は一番前の席でフランス語の授業を受け熱心にノートを取り、図書館で予習・復習に励む。小西は半年のブランクがある上、授業にろくに出席もせず、図書館に立ち寄るのは桜田に紹介された本を読むためだけだ。
(以下では、全篇の内容について言及する。)
小西が周囲の評価を気にするのは、自分のことしか考えていないからに過ぎない。それが最も明瞭になるのが、さっちゃん(咲)との関係だ。七福温泉のバイト仲間である咲は小西のことが「このき(好き)」(咲は「好き」と口に出すことに強い抵抗感を感じている)だ。帰省で半年ほど不在だった小西が職場に戻ってきた喜びを噛み締め、小西の言葉に文字通り欣喜雀躍する。だが小西は咲の気持ちに全く気付かない。他人の思いを感知する能力を欠くからだ。そんな小西に惚れてしまった咲は気の毒としか言いようがないが仕方無い。惚れるとはそういうものだ。
咲はスピッツの「初恋クレイジー」の前奏が世界一だから聞いて欲しいと小西に伝える。その頼みには、自分のいない場所で自分のことを思い出して欲しいと言う咲の切ない願いが籠められている。だが小西はその頼みを忘れる。テレビの音量を最大限にするとか、セレンディピティのもととなった『セレンディップの三人の王子たち』の物語とか、小西の頭には桜田との話題でいっぱいなのだ。咲は小西の気持ちが他の人に向かい自分にはまるで向けられていないことに気付く。咲は悲しみに打ち拉がれながらも自らの思いの丈を小西にぶつけ(滔滔とした独白はまさに圧巻!)、前を向こうとする。暗い夜空も、見上げるうちに必ず明るくなると信じて…。
咲がバイト先に来なくなる。事情を知らされた佐々木は、自分のせいだと言う小西に対し激昂する。自らを過大評価し、咲の運命さえ左右すると自惚れる小西を佐々木は許せなかったのだ。
小西の自己中心的思考は、桜田がデートの約束に姿を現われなかったことから、桜田が自らを見下していたと妄想するシーンでも表現される(自分のことを忘れた、自分の前で笑わなくなったと祖母を見捨てたのも同じ発想だろう)。
小西のような自己中心性には辟易させられる。だが程度の差はあれ、誰しもが小西的な部分を抱えて生きているのではなかろうか。小西を見て鑑賞者はわが身を振り返ることになる。
桜田にデートをすっぽかされて帰宅した小西は、着ていたもの全てを洗濯機に投げ込みスイッチを入れる。小西が全裸になるのはファンサーヴィス(だけ)ではない。一種の武装解除であり、脱皮でもある。再生の可能性が暗示されているのだ。その後、ある出来事により、小西は自分を変えるきっかけを手にする。小西は他人の評価ではなく、自分の考えで行動し、だからこそ逆に、他人の思いにも気づけるようになるだろう。
花は8~9歳の頃に父親を亡くした。父親の死は衝撃だが、幼い花はその死を十分には理解出来なかっただろう。死んだ人は心の中とかじゃなくて現にいるんだという述懐は、人は死ぬものだという諦念により死に対して鈍感になっていたために生じた感覚とも考えられる。だがある身近な人物の死を経験して花は泣きに泣く。そのとき、花は本当に殴られたような痛みを感じたと言う。それは死を実感することであり、生きている手応えである。花にも再生への道が拓かれたのだ。
クロージング・クレジットでは、小西は民家の縁側に桜田と並んで坐っている姿を捉えた、庭の木陰からのロングショットで終了する。「教材」からの眼差しが暗示される。心の中とかじゃなく、確かにいる、その存在からの眼差しの暗示である。