可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『うぉっしゅ』

映画『うぉっしゅ』を鑑賞しての備忘録
2023年製作の日本映画。
115分。
監督・脚本・企画・編集は、岡﨑育之介。
撮影は、江成隼。
照明は、西野正浩。
録音は、岩﨑敢志と庄野廉太朗。
美術は、中村光寿。
スタイリストは、川邉舞。
ヘアメイクは、幸田啓。
カラリストは、井上海。
整音は、庄野廉太朗。
ミキサーは、紫藤佑弥。
音楽は、永太一郎。

 

ソープランド「ロングライン」。待合室で男性客(名倉右喬)が呼ばれるのを待つ。コユキ(中尾有伽)がシャワーを浴び、泡を流す。お待たせしました。ボーイの柿谷(嶋佐和也)が男性を浴室に案内する。準備できました、どうぞ。金色のロングヘアのコユキが微笑んで客を迎える。
これ、差し入れ。サーヴィスを受けた客が紙袋をコユキに渡す。また来てね。客を見送ると、コユキは床や浴槽を丁寧に磨く。清掃を終えたコユキはバスタブに坐り、紙袋を開ける。中にはハンバーガーが入っていた。しばらく見ていたコユキは紙包みを開け食べ始める。何口目かで手からハンバーガーが転がり落ち、白いセーターの袖口にケチャップを付けてしまう。
繁華街。仕事帰りのコユキこと磯貝加那は、袖口の汚れを気にする。電話が鳴る。スマートフォンには23時14分の表示。母・磯貝早苗(磯西真喜)からだった。突然電話して、ごめんね。仕事終わり。大変ね、お疲れ様。お母さん、調子悪いなと思って病院に行ったの、で、今、病院にいるのよ。大腿骨頭壊死症。股関節がすり減ってるの。レントゲン撮ったら遅くなって、こんな時間よ。大丈夫なの? 治るんだけど入院して手術するの。心配かけてごめんね。いつするの、入院? それが明日からなのよ。それで、お祖母ちゃんの介護、頼めないかしら? 介護なんてやったことないよ。お隣の古田さん、フーちゃんママ(赤間麻里子)にお願いしてもと思ったけど、1週間入院って言われて。山県のおばさんとこも息子さん小学2年生だし。お祖母ちゃん、8年くらい会ってないよ。だからいいんでしょ、喜ぶから。会社、お仕事、どうにかならないかなあって。上司の方にお手紙書こうかしら。…あっ、そうだ、ちょうど冬休みとったところだった! 旅行にでも行くの? 特に用はないの。有給を消化しなくちゃならなくって。じゃあ、あんたがやって、1週間。玄関の脇のお地蔵さんの下に鍵置いとくから。手術した直後は麻酔してるから無理だけど、いつでも電話してね。電話を終えた加那が溜息を漏らす。加那は早速「ロングライン」に連絡を入れる。コユキです。明日から1週間、夜だけの出勤でいいですか?
水色のシャツにピンクのパンツ、茶のロングコートを着た加那が電車に揺られ奥多摩方面に向かう。宮ノ平駅からさらにバスに乗り継ぐ。バスを降りた加那は踏切を渡り急坂を登る。ようやく実家に到着。玄関の脇にある地蔵の陶彫の下から鍵を取り出す。鍵を開けるが扉が開かない。もう1つ高いところの鍵を開けてようやく中に入る。
明るい玄関ホール。ブーツを脱いで上がる。ドアを開けて広いリヴィングに入ると、白いカーテンがかかる窓際にベッドが置かれ、祖母の磯貝紀江(研ナオコ)が横になっていた。久しぶり。加那が声をかける。どうぞよろしくお願いします。どうぞどうぞ、こちらの方へ。どうぞよろしくお願いします。紀江は他人行儀な挨拶を重ねる。加那がベッドの脇にある椅子に腰掛ける。…どちらから? 今日はうちから。…ああ、そうですか。初めまして、私、磯貝紀江と申します。お名前は? えっと、私、加那だよ、加那。お祖母ちゃん、元気そうで良かった! …ああ、加那さん。よろしくお願いします。私、磯貝紀江と申します。よろしくお願いします。
加那が母親のメモを見る。歩行器、車椅子、トイレ、お風呂など介護用品について。介護用ベッドはボタンで高さや角度を調節。オムツは汚れていたら交換。電話の短縮ダイヤルは1が救急、2が掛かり付け医、3が古田さん。ご飯は作り置きしてあるから1週間はもつはず。食事は飲み込みが辛いようならとろみ剤を使って食べさせる。薬は昼食後と夜食後。
加那はオムツを確認し、食事を与え、台所で食器を洗う。14時30分。食卓でおかきなど食べながら加那が一休みする。ベッドにいる紀江が今、何時と突然尋ねた。行かなくちゃ。みんな待ってるから。始まっちゃうの。怒られる。みんな待ってる。待ってるから。待ってないよ。どうやって来たんだろう? どうって言うか、家だから。お祖母ちゃんの家。どこも行かなくて大丈夫。孫の加那、覚えてる? お世話しに来たの。
アベルが鳴る。フーちゃんママが訪ねて来た。玄関に出て挨拶する。加那ちゃん、元気? 元気です。早苗さん大丈夫? 大事じゃないみたいです。あなたは今お休みしてるの? 不動産よね? 事務というか…。私もおととし母を看取ったの。紀江さん気難しいところあるでしょ。ヘルパーさん、嫌がったって聞いたから。紀江さん落ち着いてるときお茶でも飲みに来て。
じゃあ、私行くからね。大丈夫? 出る準備を整えた加那がベッド音紀に声をかける。まあ、どこに行くの? お仕事に行かないと。遅くからにしてもらってるの。お仕事行くの偉いわね。仕事は生きる糧。頑張んなさい。じゃあね、また明日。行ってきなさい。行ってきます。
加那がロングラインに出勤する。おはようございます。おざーす。柿谷が電話を受ける。ロングラインです。御予約ですか? ご指名は?
仕事を終えた加那が封筒を手に夜道を歩く。3ヵ所で買い物をして紙袋を抱えて帰宅する。
テーブルの上にはペットボトルやインスタントラーメンなどが散らかっている。お帰りなさい。家政婦の名取(髙木直子)が加那に挨拶する。ただいま。加那さん、またカップラーメンなんか食べて。先日お食事作って冷蔵庫に入れておきましたよね。面倒だから。温めるだけですよ。お部屋散らかりすぎじゃありませんか 週3回じゃとても追いつきませんよ。後でやりますよ。やらないでしょ。名取が出て行くのを見送る加那が紙袋を差し出す。チョコレート。名取が気兼ねしながらも受け取る。じゃあまた木曜日に。
顔にパックをした加那がドライヤーで髪を乾かす。時刻は2時30分。栄養剤を飲んで、ベッドに倒れ込む。壁にガムテープで貼り付けたパッドでパズルゲームをする。薄暗い部屋に鮮やかな画面が光り、ゲームの効果音と加那の舌打ちが響く。

 

磯貝加那(中尾有伽)はソープランド「ロングライン」で「コユキ」を名乗るソープ嬢。時に無理を言う客や横柄な客に悩まされることもあるが、同僚のすみれ(中川ゆかり)やくるみ(重松文)と憂さ晴らしをしながら客に夢を見させている。稼いだ金は散財し、高級マンションの部屋は散らかり放題。家政婦の名取(髙木直子)に週3回来てもらっている。ある晩の帰宅途中、疎遠の母・磯貝早苗(磯西真喜)から連絡があり、大腿骨頭壊死症で即手術となったため1週間ほど家を空ける間お祖母さんの介護を頼まれた。職業を隠し通すため、有休消化で休みだからと引き受けることにする。都心から奥多摩の実家に向かい、高校の卒業式以来8年ぶりに祖母・磯貝紀江(研ナオコ)と再会した。祖母は孫の加那を認識しない。母のメモをもとに食事や下の世話に当たる。夜は隣家の「フーちゃんママ」こと古田(赤間麻里子)に委ね、加那は仕事に出る。ネットで入浴について調べるなどして祖母の世話に献身するが、祖母は一向に孫を認識しない。薬を撥ね付けた祖母に業を煮やした加那は、プロのヘルパー(佐藤まり)に任せ、祖母の介護から手を引く。

(以下では、全篇の内容について言及する。)

加那はソープ嬢をしていることを秘匿しているため、実家や地元と疎遠になる。付き合いもソープランドの同僚たちばかり。帰宅しても部屋には誰もいない。余った時間はゲームに費やす。去る者は日々に疎し。加那は孤立している。そのために家政婦の名取を頼りにする。
加那が自分の部屋を片付けないのは、職場では浴室を清掃しているから家でまで同じ事をしたくないという意思も働いていよう。だが、それよりも加那は孤独を埋め合わせるために名取の世話を受けたいという気持ちの方が強いだろう。
手術を受けて入院する母の代わりに加那は祖母紀江の介護を任される。高校の卒業式以来8年ぶりに再会した祖母は加那のことを覚えていない。献身的に介護をしても翌日には加那を忘れている。肉親の祖母にまで忘れられてしまうのかと加那は祖母の面倒を看ることを放棄する。
ソープ嬢の加那は献身的に接客したところで、店を出た途端に客は自分のことを忘れてしまうと考えている。醜業との社会通念とは別に、自分が簡単に忘れられてしまう存在だという認識が、自分の職業に自信を持てない理由となっている。加那の仕事に関するネガティヴな認識はセーターの袖口の染みという形で表される。洗い流されるべき汚点であると。
加那の愚痴を聞いた名取は、逆だと言う。祖母が加那を忘れたのではなく、加那が祖母を忘れたのだと。名取の言葉に感銘を受けた加那は、祖母のことを忘れないように努める。加那は祖母のことを覚えていることで、祖母に自分のことを覚えていてもらおうとするのである。これこそ本作のメッセージである。
加那と祖母とはパラレルである。それを端的に示すのが、2人がともに髪をピンクに染めることである。
加那が祖母を車椅子に乗せて連れ出した際、紀江の要望でカラーボールをたくさん買い込む。車椅子を階段からエレベーターに回した時にカラーボールが転がる。エレベーターで降りた2人は階段の脇を通過した際、たくさんのカラーボールが階段から転がり落ちて2人に向かって跳び跳ねる。映画ならではの演出で印象深い。その瞬間、2人は映画『最強のふたり(Intouchables)』的なバディになっている。
映画ならではの描写は随所に見られる。冒頭、加那が実家へ向かうまでは光や音楽によってホラー調で描かれる。前半では暗い加那の部屋が後半では白く明るくなるのは、加那の心が「うぉっしゅ」されたことを表すのだろう。スケベ椅子によるソープランドと実家、ソープランドのハンガーから自室のハンガー、自室のトマトから実家のカラーボールなど、異なる場面を似たモティーフで繋ぐのも興味深い。ホストに入れ揚げたくるみが飛んだ後、すみれが店を辞めると加那に告げて立ち去るシーンの3人がけのベンチも効果的だ。
加那の同級生である古田の息子(中山慎悟)はやはり同級生の小雪(井筒しま)と結婚した(小雪は妊娠中)。加那が「コユキ」を源氏名にしているのは偶然の一致とは思えない。