展覧会『加藤翼展「Crematorium」』を鑑賞しての備忘録
無人島プロダクションにて、2025年3月22日~5月11日。
美術制度の枠組みから外れた人形を主題に、作家自らの家族史を絡め、パンデミックが一層加速させた視覚偏重の社会の歪みを炙り出す、加藤翼の個展。半分に切断された日本人形と3Dプリンターで出力された人形とをガラスケースの中で鏡を挟み組み合わせた立体作品、2画面で構成される映像作品、関連資料で構成される。
映像作品は、人形供養における法要と焼却とを描く右画面と、作家が家族の身体の3Dデータをスキャンする様子などを捉えた左画面との2画面で構成、ナレーションで日本における人形の歴史と、パンデミック下における作家自身の家族の生と死とが交互に説明され、結び合わされる。
土偶、埴輪、依代、天児・這子、御所人形など、先史時代より人形は連綿と作られてきた。江戸時代には、上巳の節句と端午の節句がそれぞれ雛人形と五月人形と結び付き、幕府は度々奢侈禁止令を発するほど普及する。明治政府は近代化を推進する中、五節句を廃止するなど民間信仰を排斥し、また、伝統工芸が美術に再編される過程で人形は外されてしまう。人形は人形師が分業で制作する量産品と人形作家が1人で手掛ける創作人形とに分化。関東大震災(1923)後、人形供養が行われるようになり、三越が雛人形をセット販売することで人形を飾る文化が大衆化。「青い目の人形」(1927)と答礼人形には日米関係改善の役割が期待された。人形作家らは人形を美術制度に組み込むべく人形芸術運動を展開。改組第1回帝展(1936)で出品枠が設けられ、鹿児島寿蔵、平田郷陽、堀柳女らの作品が入選した。
作家は人形の歴史を紹介する中で、美術制度に組み込まれた作品はガラスの展示ケースに収められ鑑賞されるようになった点を指摘する。例えば、第1回内国勧業博覧会(1877)のパヴィリオン「美術館」を描いた錦絵によれば、額装された絵が壁に掛けられ、ガラスを嵌めたケースの中に壺などの磁器や箪笥などの漆器が収められているのが分かる。人形もやがてガラスケースに収められ、触れるものから眺めるものへと変容する。日本美術の特質の1つを「かざり」(装飾)に見出す辻󠄀惟雄は次のように述べている。
しかし私は思うのだが、従来の美術史研究は、過去の造形遺産を、あまりにも恒久的なもの、静的なものとして扱いすぎてきたのではないか。仏殿に安置される仏像のような場合はそれでよかろうが、美術作品は、本来、生活の場で用いられるものであったことを忘れてはなるまい。屏風を思い起こしてみよう。用いるということは、たいていの場合、動かすことである。(辻󠄀惟雄『奇想の図譜』筑摩書房〔ちくま学芸文庫〕/2005/p.242)
動かない、静止するとは死である。テオドール・アドルノ(Theodor Adorno)は"Museum(美術館)"と"Mausoleum(霊廟)"とを結び付ける。
ドイツ語のムゼアール(museal)(美術館的)という言葉には、少々非好意的な色合いがある。それは、観る人がもはや生き生きとした態度でのぞむことのない、そしてまたみずからも朽ちて死におもむきつつある、そんな対象物を形容するさいの言葉なのだ。これらのものは、現在必要であるからというより、むしろ歴史的な顧慮から保存される。ムゼーウム(美術館)とマウゾレーウム(霊廟)を結びつけているのは、その発音上の類似だけではない。あのいくつもある美術館というものは、代々の芸術作品の墓所のようなものだ。それらは文化が中和されたことを証しする。芸術の財宝はそれらのなかに死蔵されている。(テオドール・W・アドルノ〔渡辺祐邦・三原弟平〕『プリズメン』筑摩書房〔ちくま学芸文庫〕/1996/p.265)
美術という制度は生を剥奪するのである。美術館での「出開帳」に際しては仏像から魂を抜き取ると言うではないか。
作家は、2021年、東京オペラシティ アートギャラリーにおいて大規模な個展『加藤翼 縄張りと島』を催したが、その準備はCOVID-19のパンデミックと重なった。介護施設に入院した祖母とは感染拡大防止のためにガラス越しにしか会えず、祖母は急速に衰弱。最後に会った際には特別にガラス扉を開けてもらい、祖母の手に触れることができたという。その瞬間、それまで隔てられていた時間が1つになったとの感触を得る。
人の目には見えないウィルスが可視化したのは、ガラスの展示ケースが象徴する社会に張り巡らされた不可視の壁ではないか。典型的にはモニター越しのコミュニケーションにより視覚偏重の社会は人々の空間と時間とを分断しているのである。それは社会を"Museum(美術館)"に、そして"Mausoleum(霊廟)"としていないか。それが作者の問い掛けである。
展覧会のタイトルに"crematorium(火葬場)"を冠しているのは、人形の焼却と、祖母の火葬とを鎹として、人形の歴史と家族史とを結び合わせるためであろう。だが燃焼は死と結び付くだけではない。酸素を用いてエネルギーを得る反応という点では呼吸と同じ現象であり、生とも結び付くのである。
祖母の死後、作家は子を授かる。母子が一体化する時期から鏡像段階を経て疎外感を言語で埋め合わせる時期へ。作家がジャック・ラカン(Jacques Lacan)の理論を援用するのは、たとえ記憶には残らなくても人には分け隔てがない状態が存在することを示す狙いがある。スキャナを用いて家族の身体の3Dデータを取るのは、再生を期した人形を作るためであるが、3Dプリンターによる出力により手を介さずに複製された身体は、却って身体の変化を露わにする。
ところで作家は、人が綱を引っ張って建物を引き倒したり、引き起こしたりする「Pull and Raise」シリーズを手掛けてきた。構造物を破壊し、あるいは打ち立てるのは、死と生との象徴に他ならない。そして、そこに介在するの綱を握る手である。手が触れ、動かすときこそ、人は感動する(touched/moved)のかもしれない。美術に生を吹き込むために、作家は手を動かし続けるのである。