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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 鷹野隆大個展『カスババ―この日常を生きのびるために―』

展覧会『鷹野隆大 カスババ―この日常を生きのびるために―』を鑑賞しての備忘録
東京都写真美術館にて、2025年2月27日~6月8日。

スナップショットや定点観測により日常の何気ない光景や自身の姿を捉えた作品、フォトグラム(印画紙に直接感光)や日光写真(単塩紙(塩化銀紙)に太陽光)あるいはスキャナーといった特殊な技法を用いた作品、作家とモデルとの親密な関係を捉えた作品などで構成される、写真家・鷹野隆大の個展。展覧会に冠した「カスババ」とは、カスのような場所(複数形)を表す造語と言う。

《2018.06.27.P.#03(距離)》[099]は、壁と床に貼った印画紙に直接感光させる「Red Room Project」シリーズの1点。黒い画面に2人の人物のシルエットが白く浮かび上がる。左側の人物は壁から離れているために大きくぼんやりと、右側の人物は壁に近いために小さくはっきりとしている。とりわけ右側の人物の足先が引き延ばされているために現実離れした感覚が生まれる。かつて捕まった宇宙人として流布した写真を想起させる、宇宙人との遭遇のようなイメージである(もっとも日本人がアジア人であるように、地球人もまた宇宙人であるのは当然であるのだが)。未知と隣合せに生活していること、いつでも未知と遭遇し得ることに気付きを与えるのだ。
ところで、会場には作品の通し番号以外の文字情報が省かれている。章立てや解説は一切無い(出展リストには各シリーズについての簡単な説明が掲載されている)。シリーズごとにある程度まとめられてはいるが、必ずしも徹底されているわけではない。この展示手法にも、異質なものが同じ場所を共有していることを許容し、分断したくないという作家の意図が窺える。
「スナップ動画」シリーズの1点《2021.10.02.mov.#02》[043]は、アパルトマンのベランダ側の窓で風に揺れる白いカーテンを固定したカメラで捉えた映像作品。子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。ときにカーテンは捲れるが、窓外の景色はほとんど明らかにならない。世界は分断されているのだが、分断するものは布1枚でしかない。会場外の2階ロビーでは「時間の複写」シリーズの《6分54秒(2008.08.10.mov.#01)》[116]が金曜日の夜だけ上映されている(18:00からと19:00から)。集合住宅によって切り取られた夜空から爆発音が響いてくる。都会の空気を切り裂く爆音に戦火を連想せずにはいられない。実際に捉えられているのは、夜空を彩る花火の断片である。薄い煙によって覆われた空は明滅し、ときに花火が僅かに覗く。スペクタクルの会場とは同じ空を共有しているが切り離されている。今、この瞬間に戦争が行われている地域は、たとえ遠く離れているとしても、同じ空の下にある。
《左と右(Live)》[079]は、鑑賞者の影をライヴ映像で映し出す作品である。吊り下げられた電球の光により、「日々の影」シリーズ[063-078](作家が自らの影を撮影。森山大道的イメージ)を展示している壁に映った鑑賞者の影を、向かい側の壁の上に設置されたヴィデオカメラが捉え、その下に設置したモニターに映し出すインスタレーション。「日々の影」シリーズによる作家、「Red Room Project」シリーズのモデル、そして鑑賞者、全ては影となる。人々の間の差異は可及的に解消される。宇宙のスケールでは、誰しも塵ほどの場所も占めることはない。宇宙の片隅のカスのような場に刹那に存在するに過ぎない。だが、だからこそ一寸の光陰を同じくすることは奇跡的でもあると、作家は訴えるのだ。
「Red Room Project」シリーズの《2019.12.31.P.#02(距離)》[081]は2人のシルエットが重なっている。だが白さの程度が異なり、実際には触れていないかもしれない。単塩紙に太陽光を当てイメージを得る「Sun Light Project」シリーズの《2021.04.11.Ps.#03》は2つの手がお互いに触れようとする場面を捉えたモノクロームのイメージである。《2018.12.27.mov.#51》[040]は手を絡め合う様子がモノクロームの映像に収められている。ゴム手袋を嵌めた手同士が触れ合う様子をスキャンした「CVD19」シリーズ[022-039]は、直接的にはパンデミック下のコミュニケーションの批評であるが、セーフセックスのメタファーにもなっている。『未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)』の視聴覚のコミュニケーションというより、『E.T.(E.T. The Extra-Terrestrial)』の触覚的コミュニケーションの系統とも言えよう。接触をテーマにした白眉が、作家とモデルが一緒に裸になってお互いの陰茎を握り合いながら微笑む《2003.03.22.L.#03》[057]である。撮影する(shoot)作家が撮影される側に廻ることで、モデルとの間の仕切りを取り払う。2人の姿は『走れメロス』の暴君ディオニスの心の壁を打ち破ったメロスとセリヌンティウスにも比せられる。