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芸術鑑賞の備忘録

映画『ノスフェラトゥ』

映画『ノスフェラトゥ』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のアメリカ映画。
133分。
監督・脚本は、ロバート・エガース(Robert Eggers)。
原作は、ブラム・ストーカー(Bram Stoker)の小説『吸血鬼ドラキュラ(Dracula)』及びF・W・ムルナウ(F. W. Murnau)の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ(Nosferatu: A Symphony of Horror)』。
撮影は、ジェアリン・ブラシュケ(Jarin Blaschke)。
美術は、クレイグ・レイスロップ(Craig Lathrop)。
衣装は、リンダ・ミューア(Linda Muir)。
編集は、ルイーズ・フォード(Louise Ford)。
音楽は、ロビン・キャロラン(Robin Carolan)。
原題は、"Nosferatu"。

 

真夜中、エレン(Lily-Rose Depp)がすすり泣きながら祈る。どうか私のもとにお越し下さい。守護天使、慰めの霊、あらゆる天球の霊、あらゆるもの。どうか私の呼びかけに耳を傾けて下さい。汝…。エレンは自分の祈りに応える声を聞く。引き寄せられるようにエレンが窓に歩いて行く。汝は我を永遠の眠りから目覚めさせた。汝はもはや生者の側にはおらぬ。人間の側に存在してはおらぬ。エレンはいつしか屋敷を出て庭を歩いている。汝は永遠に私と1つになるか? 誓うか? 誓います。エレンは突然何者かに首を絞められる。地面に横たわり、激しく痙攣する。
数年後。エレン・フッターが目を覚ます。トーマス? ベッドに夫の姿は無い。起き上がると、トーマス・フッター(Nicholas Hoult)が身支度を整えていた。どうしたの? トーマスが新妻を心配して傍に腰掛ける。何も。夢を見たの。怖がることはない。トーマスがエレンを抱き締める。新婚旅行は短すぎたわ。靴を脱いでよ。エレンがトーマスにキスを浴びせる。そうしたいのは山々だけど。こんなに愛情深い妻を手に入れられたなんて信じられない。飼い猫のグレタが2人のもとにやって来る。ベッドに入れないように言ったろう? 服が毛だらけだよ。グレタはここがお気に入りなの。グレタもここにいて欲しがってるのよ。今日は僕らにとって極めて重要な日なんだ。もう1分しかない。行ってくるよ。トーマスが出て行く。彼はもうその地位にあるわ。遠くへ追いやられてしまう。
家を出たトーマスは人でごった返す通りを駆け足で抜け、周旋業者のクノック商会へ向かう。
商会の扉を開けると、机に向かっていた老いた事務員たちがトーマスを見る。15分遅れだ。申し訳ありません。トーマスは奥の部屋に向かう。クノックさん、遅れて申し訳ありません。君の遅刻は神の摂理だよ。クノック(Simon McBurney)は書類仕事をこなしながら言った。まだ勘定書きを作成しておってな。ご配慮頂き感謝します。婚礼を耳にしてね、神の摂理だと。新郎には新たな稼ぎが必要だ。寛大なご処置です。君の奥方に慶びを申し伝えてくれ給え。ありがとうございます。本当に美しい方だ。比類無い。言わば妖精だな。クノックが笑う。ご要望は何なりと、商会のため全力を尽す所存です。無論、神の摂理だ。外国の伯爵と取引を行っておる。累世の貴族でね。極めて高齢で風変わりな方だ。余生を過ごすため、ここヴィスブルクに地所をお求めだ。今しも鬼籍に入らんとしておいでだよ。貴顕を地所にご案内します。グリュネヴァルトにした。失礼ですが、廃墟ではないですか? 古い邸宅をご所望でね、金に糸目を付けるようなことはなさらんのだ。明日9時でよろしいですか? 伯爵は耄碌して旅行が難しいのでね、君が伯爵を訪ねる必要がある。ボヘミアの東部、カルパティア山脈の僻陬だよ。素晴らしい冒険になるだろう。確かに。伯爵が当地にいらした際に契約を交わすことはできないのですか? 急いでいらっしゃってね、代理人の派遣を断固としてお求めなのだよ。伯爵は君に莫大な報酬を与えるだろう。晴れて成約となれば当商会での地位も安泰だ。ありがとうございます。ご期待に添います。伯爵のお名前は? オルロック伯爵(Bill Skarsgård)だ。
雷鳴が轟き、激しく雨が降る。
それで明日出発しなくてらならないんだ。ずぶ濡れになって帰宅したトーマスが花束を抱えるエレンに告げる。6週間ほど家を空けることになる。だけどハーディングが君の滞在を受け入れてくれたんだ。なぜこんなに美しい花を枯らしてしまったの? えっ? 何でも。何が言いたいんだい? ごめんなさい。水を与えればいい。数日もしたら枯れてしまう。捨てるわ。エレンは花束を床に投げつける。出て行っては駄目よ。どうして? 夢の話をしなくてはならないわ。僕たちは困難を乗り越えただろ? 子供時代の記憶は終わりにしよう。駄目よ。私たちの結婚式なの。礼拝堂の中じゃないわ。空には雷雲が拡がって、雨の中、ライラックの香りが漂っていたの。祭壇に着いたとき、あなたの姿はなくて、黒ずくめの死神が立っていた。それでも私はとても幸せだった。誓いを交わし、抱き合った。振り返ると、皆死んでいて、死骸から酷い悪臭が漂っていたわ。死神と手を握り合ったその瞬間ほど幸福感に浸ったことは無かったの。泣き崩れるエレンをトーマスが抱き寄せる。二度とそんな話を口にしないで。馬鹿馬鹿しい夢だよ、君の過去の空想と一緒で。全て上手く行くさ。私たちに恐ろしいことが待ち構えている前触れよ。帰ったら、豪邸と使用人を用意する。そんなもの必要ないわ。君に相応しい物は全て手に入れるよ。出発しては駄目。あなたを愛してるわ。
2人は馬車に揺られ、フリードリヒ・ハーディング(Friedrich Harding)の邸宅に向かう。
学生時代以来だな。トーマスがフリードリヒから酒のグラスを渡される。祖父からもらったものでね、最高級だよ。お前の門出を祝福する価値がある。恩に着るよ。お前が羨ましい。君こそ。父親の跡を継いだんだろ。責任は重荷だよ。儲けていながら文句を言うのは不謹慎だけどな、需要は伸び続けていて船が足りないほどだ。それに2人の娘がいるからね。何より愛している。エレンにもアナにも伝えないで欲しいんだが、もうすぐ子供が生まれるんだ。おめでとう。君はいつもお盛んだったからな。妻の魅力には抗えなくてね。子供の予定は? 暮らしが成り立つようになったらね。そのときには君に借りているものも返すよ。それ以上言うな。フリードリヒ、エレンの世話を頼むよ。エレンから僕に残って欲しいと懇願されてね。好機を潰してもか? 彼女の過去が戻って来るのが恐ろしい。無理もない。若く颯爽とした夫に置いてけぼりにされるんだからな。アナ・ハーディング(Emma Corrin)がエレンと遊んでいたクララ(Adéla Hesová)とルイーゼ(Milena Konstantinova)に寝るように声をかける。娘たちはパパ、パパと叫ぶ。ママの言うことを聞くんだ。おへやにかいぶつがいる! かいぶつにたべられちゃう! やっつけて! 怪物を狩らなければならないので失礼するよ。おやすみなさい。フリードリヒとアナが娘たちを連れて寝室に下がる。娘はベッドの下の怪物の息が聞こえると言い張っている。居間にはトーマスとエレンが二人きりで残される。許してくれ。空想はもう捨て去ったわ。2人は熱く口付けを交わす。
夜。寝室でアナが自分の髪を切り、ロケットに入れる。

 

1838年。港町ヴィスブルク。トーマス・フッター(Nicholas Hoult)はエレン・フッター(Lily-Rose Depp)と借家で倹しい新婚生活を始めた。トーマスの雇い主である周旋業者のクノック(Simon McBurney)は、廃墟と貸したグリュネヴァルトの地所をオルロック伯爵(Bill Skarsgård)の隠居所とする大口契約をトーマスに任せてくれた。トーマスは伯爵の容貌によりボヘミアの東部、カルパティア山脈の僻地にある城館に派遣されることになった。貧しい暮らしから脱することができると喜んで6週間の出張を報告するトーマスに、エレンは凶兆となる悪夢を見たからと言って出立に反対する。トーマスはエレンを1人にすることで鬱病を再発するのではと懸念し、学生時代の友人で造船業を営む富裕なフリードリヒ・ハーディング(Friedrich Harding)と妻アナ・ハーディング(Emma Corrin)にエレンの世話を頼む。トーマスはカルパティア山脈の集落でオルロック伯爵の名を出して宿泊を拒否される。倍の料金を提示して受け入れられたが、オルロック伯爵には近付かないよう釘を刺される。その晩、トーマスはロマたちが集まり吸血鬼の墓を曝く場面を目撃する。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

性と疫病の観点から『吸血鬼ドラキュラ』を再解釈した作品。吸血鬼ドラキュラの世界観を魅力的に描き出している。役者陣も素晴らしい(オルロック伯爵は特殊メイクのために誰が演じているか見た目では判別できないが)。なお、『吸血鬼ドラキュラ』を翻案したという映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)については未見のため言及できない。
エレンは思春期に激しい性的欲求の対処に窮してあらゆる存在に対して強く祈り、ノスフェラトゥを呼び寄せ、誓いを立てて思いを遂げる。エレンがノスフェラトゥに首を絞められるのは性的絶頂のメタファーであろう。他方、トーマスが猫をベッドに入れさせない(ように求める)のは潔癖症の節がある。エレンはトーマスとの関係で性的欲求を満たされている訳ではない。そこにノスフェラトゥを招き入れる隙がある。
オルロック伯爵の棺が船荷としてウィスブルクに輸送される。船内では次々と船員が斃れる。夜な夜な姿を現わすオルロック伯爵の仕業だが、船員たちは死因を疫病と判断する。そして、船がウィスブルク港に到達すると、大量のネズミが上陸し、瞬く間に疫病が蔓延する。オルロック伯爵は悪疫として描かれている。
クノックは周旋業者(agent)としてオルロック伯爵にグリュネヴァルトの地所を提供する。クノックは伯爵≒病原菌の媒介(agent)でもある。
フリードリヒは造船業者であり高まる市場の要求に追いつきたい。アナとの間には3人目の子が生まれようとしている。フリードリヒは産業資本家であり資本主義の象徴である。余剰のある場所から不足している地域へと物品を運び、利益を得る(ことに貢献する)。移動の対象は物品、あるいは人だけという訳にはいかない。動物やウィルスも運ぶことになる。
フリードリヒは科学主義者である。科学は常に仮説を提示するものであり、新たな仮説によりその領域を拡大していく。資本主義のアナロジーでもある。
もっとも、科学は万能ではない。反証可能性のない領域については沈黙する。エレンやアルビン・エバハート・フォン=フランツ教授(Willem Dafoe)は夢や無意識を問題にする。

近時、ドラキュラをモティーフとした映画として『ドラキュラ/デメテル号最期の航海(The Last Voyage of the Demeter)』(2023)がある。