可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『わたしの頭はいつもうるさい』

映画『わたしの頭はいつもうるさい』を鑑賞しての備忘録
2024年製作の日本映画。
76分。
監督・脚本・プロデューサーは、宮森玲実。
撮影・照明・編集は、寺西涼
録音は、柳田耕佑、渡邉直人、色川翔太。
整音は、柳田耕佑。
ヘアメイクは、鬼塚千花。
音楽は、斎藤大。
助監督は、遠山浩二。

 

制服姿の古川のぞみ(宮森玲実)が食卓で母・古川美智子(藤田朋子)と向かい合って坐り、黙って朝食を取る。行ってきます。無口だけど、それだけでも言ってくれて嬉しいわ。惰性です。他には特に無いから。ねえ、他にはママと話すこと、何かないの? のぞみは押し黙る。…そうですか。母は玄関で娘を見送る。行ってきます。雨が降るって言ってたから傘を持って行きなさい。赤い折りたたみ傘を渡す。のぞみは傘を受け取り、出て行く。
雨が降る中、赤い傘を差したのぞみが走る。途中で赤い傘を投げ捨てて走る。
テニスボールや軟式野球のボールが転がるグラウンドを雨が叩く。ベンチには姿見が立て掛けられている。雨に打たれながらのぞみが鏡に向かう。25歳、25歳の古川のぞみ、聞いているか? あんたのことだよ! あんたさ、意気揚々と東京に飛び出して行ったよね? 小説家になるとか叫んで。有言実行、ちゃんと一花咲かせたか? 25歳、応答せよ!
覚えてるよ。卓袱台のラップトップに向かう25歳の古川のぞみが答える。芥川賞獲るまで帰らない。現実はすげー厳しかった。そりゃ東京で大成功って夢見たけどさー。
なんだ、また独り言? 風呂を上がった晋平(細井じゅん)がのぞみに言う。独り言、言ってないよ。言ってたよ。新人賞の書けた? 書けてないから。のぞみが新人賞応募作の原稿を晋平に読むように頼むと、自分で朗読するよう逆に頼まれた。私が? いいよ。「小さい頃から夢見がちな子供だった。わたしの頭の中はいつもうるさい。あいうえお、かきくけこ、さしすせそ…」。のぞみは自伝的小説を読み上げる。五十音を習うとあいうえおかきくけこと唱え、歌を覚えればくるくる廻って歌い出す。頭の中には次々と物語が湧き上がるようになる。母親からは将来を心配されて小説家になったらと言われた。…で、あなたはいつ出て行くんですか? のぞみが晋平に話を振る。大の大人を養う経済力なんてない。次のオーディション合格ったら出て行くよ。いつ? 来週…、いや再来週だ。晋平がスマートフォンをチェックする。結果が分かるのは? だいぶ後。それまでに新しい女の子でも摑まえて下さい。このシナリオ読んでみてよ。やだ。そう言いつつも、のぞみは台本を受け取る。あんまりいいシナリオじゃない。プロの小説家は言うことが違うね。プロじゃない。もうすぐプロ。だといいけどね。立ってやってみよう。晋平が録画のためスマートフォンを三脚に固定する。スタート! まだかい? まだよ。まだかい? まだよ。ホットかい? ホットよ。ここでキスしていいかい? えッ? いいかい? 来たら、いいよ。まだかい? まだよ。芝居の練習に付き合ううち成り行きで、最後にもう1回くらい慎平とセックスしてもいいかとのぞみは思い始める。

 

古川のぞみ(宮森玲実)は25歳。子供の頃から物語が頭の中に湧き出すのぞみは18歳の時、文学コンクールで1等賞となる。小説家として天下を取る、芥川賞を獲ると同級生のゆうこ(笠松七海)や晋平(細井じゅん)、母・古川美智子(藤田朋子)に宣言して高校卒業とともに上京した。生活のため酒の味を覚え、酔った勢いで好きでもない男と寝る。のぞみは自宅近くで俳優志望の晋平と運命的な再会を果たす。のぞみは晋平を自分の部屋に招き、やがて同棲することに。文学賞に入選することもヒモ状態の晋平との関係を断ち切ることもできない25歳ののぞみは、大志を抱く18歳の自分の声に苛まれる。のぞみは本読みを手伝ったオーディションに一緒に参加するよう晋平に誘われた。

(以下では、全篇の内容について言及する。)

かつて思い描いたような大人になれていない自分に対するもどかしさ。そんな自分を、大志を抱く高校時代の自分によって奮い立たせようとする、のぞみの物語。
18歳ののぞみが一途に突っ走るキャラクターであるのに対し、上京後ののぞみは状況に流されやすい人物として造型されている。とりわけ東京で偶然再会した同級生の晋平を居候させ、ずるずると関係を続けているのが象徴的だ。だが小説家になることにしたのも、母やゆうこらの言葉に促されていたことを思えば、のぞみはもともと流されやすいタイプだったのだろう。
文学コンクールで賞を獲った記念にのぞみがゆうこ、慎平とともに立ち寄る喫茶店。その極小の店内は書籍など店主(鈴木卓爾)の趣味で満たされている。のぞみたち高校生にとっては大人の世界を垣間見ることのできる夢の空間だ。
のぞみが練習を手伝う、晋平の受けるオーディションの台本には「ホットかい?」「ホットよ。」とのやりとりがある。繰り返しのためもあり耳の残る科白は、恋愛・発情、及び夢に対する情熱のメタファーとして珈琲をモティーフにしているようだ。店主は夢を忘れていないことが重要だと言う。過去の私は現在の私と同じである。過去を肯定しなければ、現在は肯定できない。
母娘関係が作品の軸である。父親が外に女性を作り、母親とのぞみをを捨てて東京に出てしまう。思春期ののぞみはそんな母親のような人生を受け入れ難い。母親とは違う未来を思い描き、母親の影響を排除しようと言葉を交わさなくなる。母親はそんな娘の気持ちを理解して、娘が思うまま生きるに任せる。母親はのぞみに納得するまで帰って来るなとのメッセージを伝える。のぞみの意思を尊重しつつ、いつでも迎え入れる用意があることを示唆する。上京して1人暮らしを始め、小説家として芽が出ないのぞみは、次第に自分にとって母親の存在がいかに重要であったかに思い至る。母親の赤い傘を捨て去ったとき、母親の庇護下にあった自分を思い知るのだ。
母親を肯定すること。それは、一旦は捨てた故郷を肯定することでもある。のぞみが実家近くの畑の間(未舗装の土の道)を走り抜けるのは、母なる大地≒故郷を基盤にすることを受け入れたことの証である。土台(基準、ゼロ)が定まれば、そこに何でも打ち立てることができるだろう。古川のぞみには何も無い(ゼロ)。だからこそ何にでもなれる可能性がある。可能性しかない。自らを鼓舞するのぞみに、鑑賞者もまた励まされるだろう。
映画に主演したいと自らの脚本・監督・プロデュースで質の高い作品を作り上げた宮森玲実に脱帽。
裏切るのは、他人ではなく自分。自分対自分、対立する2人は1つである。本作は、上映中の映画『サブスタンス(The Substance)』(2024)とテーマを同じくする。