可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 横山麻衣個展『太陽の影で』

展覧会『横山麻衣「太陽の影で」』を鑑賞しての備忘録
KATSUYA SUSUKI GALLERYにて、2025年5月10日~25日。

イタリアで目にした風景や遺物をモティーフに光と時間とを、ペイントツールで作成した下絵により半ば抽象的に描いた作品で構成される、横山麻衣の個展。作家による簡潔な作品解説(日本語・英語)のハンドアウトが用意されている。

《黒い日差しと天を支える巨人》(1620mm×970mm)は、画面右側に、神殿の屋根を支えるテラモン(Τελαμών/Telamōn)をベージュで表す。両腕を上げるテラモンは、石を組み上げたかのように、ベージュの色の不定形の面を並べ、重なりの部分は暗く表されている。左側にはテラモンとほぼ同じ高さの樹木を配する。捻れる幹はオレンジと茶で、枝は黄で葉は黄緑で表され、背景の暗さとの対照で、松明のようだ。テラモンと樹木の背景には、葉の葉脈を拡大したような紺に白の斜線が並んでいる。ネガフィルムのように明暗が反転したような陽差しの表現である。テラモンのベージュの肌を黒く漕がすイメージを託しているのであろうか。画面下端と上端に覗く水のような青の表現、あるいは画面上部にひび割れのような微かな黄色い線が複数入れられているのも気になる。
《青く照らされたマラヴォルタ》(530mm×455mm)は、人物の頭像を描き出した作品。くすんだ水色と黄色の縞を背に、頭像――石造かテラコッタかは判然としない――が茶色で表され、青白い光に浮かび上がる。手前には緑色の手のような植物が配される。
《Botanical wax - Stapelia hirsuta #2》(727mm×606mm)は、フィレンツェの博物館「ラ・スペーコラ」の犀角の模型を描いた作品。モスグリーンの空間にオレンジ色の5枚の花弁の花が浮かび上がる。
フィレンツェのボーボリ庭園にある壺を描いた《中庭の壺》(410mm×410mm)は、薄紫の光の中、彫刻かあるいは見物人の脚のシルエットの蔭に、色鮮やかな絵付けが施された壺が配される。

《保存されたエロス》(1167mm×910mm)は、博物館に収蔵されているエロス(Ἔρως/Erōs)(キューピッド)像を描いた作品。頭部や腕が欠損したエロス像は黄色に茶の陰影表現で画面一杯に表される。深緑の壁面(?)や紫のカーテン(?)の暗さとの対照でエロス像は黄金のように輝いて見える。脚の背後に差す照明に加え、画面の左端を走り、上端で右方向へ斜めに折れ曲がるエメラルドグリーンの線が鑑賞者の視線を誘導する。腕先がないため弓矢を手にしていないが、《保存されたエロス》の隣には、くすんだ群青を背景に、画面一杯に歪な矢を薄い黄緑色で描いた《黄金/鉛の矢》(273mm×273mm)が並ぶ。尖端にオレンジ色が配されているのは、火矢であることを示す。因みに、さらに「火矢」の隣には、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂に描かれた地獄をモティーフにした《小さな地獄の炎》(410mm×318mm)があり、青い空間で炎が燃えさかり、煙を上げている。

《急ぎ足の夜》(333mm×530mm)は、夜に駆けるペガソス(Πήγασος/Pḗgasos)を深緑のシルエットで表した作品。ペガソスは西の空に煌々と輝く満月に向かい尾根を行く。満月が眩しい。山肌は黄緑に光り、空はうっすらと青味を帯び、夜明けが近いことを告げる。ペガソスは海を出自に持ち、雷と結び付く。
《夜をひた走る船》(380mm×455mm)には、オレンジの菱形で表された船の白い帆が膨らむ姿が描かれる。船が切り裂く波が水色の竜骨のように表現されているのが印象的。

《星が裏返るとき》(910mm×606mm)には、紫色の円柱らしきものを右端に、ナツメヤシであろうか、緑の幹の上から黄緑の葉を勢いよく拡げている植物と、オリーブであろうか、ひょろひょろとした幹から緑の枝葉を伸ばした植物とが青空を背景に左右に配されている。右上に浮かぶ赤いレモンのようなものは太陽であろうか。全体に薄暗い。2本の樹木の間には3本の矢が右から左へと水平に飛んでいる。ゼノン(Ζήνων/Zeno)の「飛んでいる矢は止まっている」を連想させる。思考のためには不断に動く現実を静止させなくてはならない。微分における極限(≒0)のように、物事を捉えるためにはフィクションが必要なのだ。画題の「星が裏返る」とは、天体を平板に捉えること――星が貼り付く天球の発想――ではないか。夜空という薄布を裏返せば夜から昼への転換が可能になるが、太陽には未だ光を発する準備ができないのだろう。

《May 10 2024》(333mm×530mm)の画題となっている日付は、太陽フレアの影響により低緯度地域でもオーロラが観測できた日と言う。横長の画面の下端に山並を、その上に赤い光を放ち揺れるオーロラを表す。数本の極細い線が画面を引っ掻くように入れられている。
シチリアの熱波の下の植物を描いたという《Sun-Scorched Plants》(333mm×530mm)には、左に灰色の花を咲かせる植物、右側に輝くような黄緑の植物の茎とテラコッタの頭部とが描かれる。紫の波線の連なりによる背景が熱波の表現なのだろう。罅のような細い線が幾筋か見られる。
蛮燭台とも呼ばれる植物を描いた《Euphorbia candelabrum》(273mm×273mm)は青を背景に蛍光色の黄色の花(?)が輝き、燭台(candelabrum)という名の通り、複数の灯された蝋燭のように表される。

彫刻や絵画に対し、植物の驚くほどの多様性やオーロラのような自然現象の規模の圧倒的な大きさ。出土遺物の考古学的時間も地質学的年代に比してあまりにも儚い。人間の存在は、自然のスケールを前にしては取るに足りない。作家の神話への着目は、卑小な人間に自然や宇宙との結び付きを与える想像力に惹かれてのことではないか。天空を支える巨人という神話の見立ての手法は、燭台に見立てた植物など、博物学(現在の生物分類学など)延いては科学(science)にも入り込んでいる。物事を理解する(scire)ためにはフィクション(fiction)、すなわち作ること(ficto)、極論すれば偽る(fingere)ことも必要と言える。
明るさを描くためには、闇を描かなくてはならない。《保存されたエロス》、《急ぎ足の夜》などではキアロスクーロ(chiaroscuro)がとりわけ効果を発揮している。展覧会のタイトル「太陽の影」も、光に近付くために影にアプローチすることを表していよう。
ペイントツールで素描を描き、それを下絵に油絵具でキャンヴァスに描き出す。作家はディスプレイの透過光から絵画の反射光へと敢て光の向きを変える作業を経て、作品を制作している。何故であろうか。作家は光の進行を逆転させることで、不可逆的な時間の遡行を試みているのではなかろうか。
のみならず、ペイントツールによる描画は、《保存されたエロス》のエメラルドグリーンの描線に見られるように、現実に自由に情報を書き加えることができる。拡張現実的な発想は、過去へ遡行から、再度未来へと反転させる。
たとえ光より早く移動できずとも、光の向きを逆転させることで、恰も自在にタイムリープするかのように振る舞う絵画群である。