展覧会『オートモアイ新作個展「Private Ritual」』を鑑賞しての備忘録
Gallery & Bakery Tokyo 8分にて、2025年4月26日~5月27日。
犬や羊あるいは蝶または植物や炎などともに描き出される紫色の肌の人物像で構成される、オートモアイの個展。いずれも63mmと厚みのある作品で、側面まで画面のモティーフが繋がっていたり、別途モティーフが描かれたりする作品もある。
《ヒビ/Crack》(1940mm×1620mm)には、山吹色の背景に、仔羊を肩に背負う、緑のフードを被った人物が描かれる。やや額が張り、眼窩、鼻を表す弧、上下の唇などが簡潔に表された紫色の肌の顔は丸みがある。仔羊は人物の首に腹をかけて頭が下に来るように背負われ、大人しく眠っている。人物の周囲をマゼンタ、オレンジ、黄緑などの炎(火・火=ヒ・ビ)のような形が囲む。また黒い蔦のような人物の周囲を這う。これがヒビ(罅)であろうか。日々(ヒビ)とは、業火に焼かれながら供犠を行うようなものである。
《幽霊の宝石/The Jewel of the Ghost》(610mm×727mm)には、ピンクの肌をした白い髪のトップレスの女性がカウンターに手を突いて尻を突き出し、背に眠る仔羊を載せている姿が表わされる。金のチェーンのペンダントが置かれるカウンター越しに、赤いマニキュアを施した長い爪をした手が差し出され、サファイアが示される。彼女の唇がサファイアのように青く輝く。古九谷様式の皿のデザインのような山吹色に唐草を描いた柱に挟まれて昇り龍の壁が見える。辰(龍)・未(羊)は巽であり、八卦では縁談を表すが、宝石に関わりがあるのか。それは幻なのか。
《頬を撫でる痛みの記憶は燃えるように熱い/The Memory of Pain That Caress My Cheek Burns Like Fire》(727mm×610mm)は、羊と2匹の仔羊とに挟まれるように女性の顔が表され、その顔の上半分が長い爪を持つ両手となって別の顔を覆っている。sheep(羊)とsleep(眠り)との音の結び付きが、夢、さらには過去の記憶へと誘うのだろうか。羊のゴワゴワとした手触りが、記憶にリアリティを付与するようだ。仔羊と重なり燃え立つ青い炎は鬼火のようである。
《クラブの後で/After the Club》(1940mm×1620mm)は、紫色の肌の女性がシャワーキャップを被り、歯磨きをしながらシャワーを浴びる姿を描く。左側にカーテン、右側上方の画面から切れたシャワーノズルからの水が彼女の背中に降り懸かる。腕には蝶のタトゥーが見え、周囲には10頭の紋白蝶が飛び回る。幸福感の表現であろう。また壁は山吹色に赤で炎が描かれる。彼女の顔には赤味が差し興奮している様子が伝わる。シャワーを浴びることで興奮が冷まされる。
《燃えるギター/Burning Guitar》(1940mm×1620mm)は、スカーフを頭に捲いた女性の背後から、ヘッド部分が炎を上げるギターを坐って弾く人物の手だけが覗く。裸体女性の紫の肌が炎でピンクに染まる。振り向く彼女の背中には蝶、腕には花のタトゥーがある。速水御舟の《炎舞》のように蝶は音楽の炎に巻かれてしまうのだろう。
《ゴスいぬ/Goth Dog》(727mm×610mm)には、赤、橙などの炎が燃えさかる中、ダルメシアンの顔を画面の半分ほどの大きさで表し、犬の背後から"Goth"の文字の上の部分が覗く。ダルメシアンの左下には揚羽蝶のタトゥーを身体に入れた女性が配され、左下には赤い色に溶けるように女性の顔がぼんやりと表される。多くの作品で炎を燃やし、展覧会タイトルに儀式(ritual)とあるのも、ゴス(Goth subculture)や魔術への関心があるからだろう。《少年期の痛み/Boyhood Pain》(727mm×610mm)に登場する犬は、白い毛のボルゾイであろうか。毛糸の帽子を被った少年の周囲に丸く細長く伸び、途中から胴が鱗を持つ蛇のように変わる。ウロボロス化しようとする犬は錬金術に対する関心を示す。さらに、《愛を知らなければ帰る場所もない / If You Don't Know Love, There is No Place to Return》(727mm×610mm)においても犬の顔を大首絵のように画面一杯に表し、かつ犬の毛の中に女性を一体的に描いている。動物の毛は炎のメタファーであるとともに、触れることを介して、包み込むもの、シェルターとして捉えられている。
《音もなく近づいてくるそれは/It Approaches Without a Sound》(1940mm×1620mm)は、ナイフを右手に床に坐る、黒い短パンだけを身に付けた紫色の肌の人物と、人物の上半身ほどの大きさほどの大きさで表した蚊とを表す作品。黄の地に円を埋め尽くし、部分的に草が散る背景は古九谷様式の皿を埋め尽くす菊花を連想させる。ナイフで左手首を切ろうとする人物に、蚊は挑みかかる。血を流すくらいなら血を寄こせと言わんばかりだ。血を流しても蚊に吸われるのは御免蒙ると、リストカットを断念することになる。ちょっとした視点の転換で、世の中のまるで異なって見えて来る。小さな砂粒が靴に入っても気になって仕方が無い。些細な事も看過し得ないし、逆に、深刻と思えた出来事もいつか笑い話になる可能性はある。小さいことは大きく、大きいことは小さいというオクシモロンの象徴が巨大に表された蚊なのだ。
《自己イメージとの対峙/In Confrontation with the Image of Self》(1455mm×1120mm)は、浴槽に入った湯の中に沈む女性と、その姿を浴槽の外から眺める人物の背中とが描かれる。浴槽の周囲はオレンジ色の炎が黄緑の壁を背に燃え盛る。水に映る自らを眺めていることがタイトルで示される。白いストレートヘアとごわごわした紫の髪に、イメージと現実とのギャップが表現される。絵画とは鏡である。