展覧会『星奈緒展「veiled」』を鑑賞しての備忘録
ギャラリー art Truthにて、2025年5月19日~26日。
パステルあるいは鉛筆と水彩とで、女性と白い布とをモティーフに、光を描く星奈緒の個展。
表題作《veiled》(333mm×242mm)は、半ば透き通る布を頭から被って佇む女性の上半身を横から捉えた作品。身体の前に布を押し拡げる左手以外は布に隠されているものの、薄布越しに表情は窺える。布の襞や皺は、鉛筆の黒と水彩の青や黄の差された淡い光に包まれる中、周囲の空間に溶けていく。胸像《熾火》(273mm×220mm)や頭像《やわらかな覆いを》(250mm×250mm)など、布を被った作品が多く並ぶ。幼女が自ら両手で覆った顔を描く《いないいない》(250mm×250mm)が象徴するように、秘匿は却って隠蔽されたものを明らかにし(reveal)たいという欲求を生み出す。
キーヴィジュアルの《lighthouse》(530mm×410mm)もまた少女が白いシーツを頭から被った姿を描く。目を瞑り正面を向く少女が太腿で右手に左手を載せて坐る上半身像である。頭から被せられた白いシーツは、左耳や両肩、両腕を隠しながら垂れ下がる。シーツの蔭でも顔や手が明るく浮かび上がる。少女の身に付けるクルーネックの黒いTシャツ、すなわちシーツの中と、周囲に拡がる茫漠とした空間とはともに黄・赤・青と黒との混ざり合いにより表現される。胸の辺りは黄や水色などの割合が高く明るい。少女が目を瞑るのは闇への沈潜であり、垂れ下がるシーツは、夜の帷が降りる(darkness falls)ことを表す。シーツを被った姿が塔、顔の輝きを光源として、少女は灯台(lighthouse)に見立てられている。ところで、作家は手を描く「指先から」シリーズや「鉛筆と水彩の習作」シリーズにおいて、シーツを描く。皺の寄るシーツは波打つ海面のようだ。灯台は船を導く(navigate)が、航海士(navigator)は月など天体と水平線の角度で船の位置を判断した。翻って、少女の輝く頭部は月の女神セレーネー(Σελήνη/Selēnē)への連想を誘おう。女神の名自体が光や輝き(σέλας/sélas)に由来する。月の輝きは太陽の光を受けてのもの。反射光は絵画のメタファーである。スタンダードナンバー「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン(Fly Me to the Moon)」の原題は"In Other Words"。繰り返しの言い換え(in other words)に導かれ、辿り着く先は"I love you"である。作家は少女(女性)に導かれ絵を描き続けるが、そこにはモデルに対する敬愛の念がある。
《どうせ世界は終わるけど》は、星の瞬く夜空を背に、画面上側に眠る赤ん坊を表した作品。顔が画面左下向きに、また両手が下方向にあることで、赤ん坊が姿を現わす、生まれ来る動的な感覚を生むと同時に、天の河(Milky Way)を連想させる。赤ん坊の微睡むシーツは海であるとともに、反転して宇宙でもあったのだ。因みに、作家らしからぬタイトルは、結城真一郎の小説『どうせ世界は終わるけど』の装幀のために制作されたため。