可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ガール・ウィズ・ニードル』

映画『ガール・ウィズ・ニードル』を鑑賞しての備忘録
2024年のデンマークポーランドスウェーデン合作映画。
123分。
監督は、マグヌス・フォン・ホーン(Magnus von Horn)。
脚本は、マグヌス・フォン・ホーン(Magnus von Horn)とリーネ・ランゲベク(Line Langebek)。
撮影は、ミハウ・ディメク(Michał Dymek)。
美術は、ヤグナ・ドベシュ(Jagna Dobesz)。
衣装は、マウゴジャータ・フダーラ(Malgorzata Fudala)。
編集は、アグニェシュカ・グリンスカ(Agnieszka Glińska)。
音楽は、フレゼレケ・ホフマイア(Frederikke Hoffmeier)。
原題は、"Pigen med nålen"。

 

カロリーヌ(Vic Carmen Sonne)が洗面台に向かい脇や首などを洗っていると、ドアが叩かれる。どちら? イェンスン。ちょっと待って。タオルで拭いて玄関に向かう。何? 退去してもらいたい。家主のイェンスン(Per Thiim Thim)が切り出した。何ですって? 退去してもらいたい。別の人にこの部屋を貸すことにしたんだ。ここで暮らしてるの。家賃を払ってない。払うから。カロリーヌがドアを閉める。だがイェンスンは引き下がらず、ドアを開けて部屋に入る。着替えてるの! 立場を弁えて欲しい。これから部屋を案内するんだ。イェンスンが出て行く。カロリーヌは家主の後を追う。いくら支払う必要があるの? 14週分。カロリーヌは払うからと食い下がるが、イェンスンはもう譲歩するつもりはないらしい。何年もここに住んできたのよ。家主は耳を貸さない。カロリーヌはお金ならあると部屋に戻り、家具の中に隠してあった缶からなけなしの金を取り出す。イェンスンは母娘を部屋に案内しようとしていた。生憎、部屋は空いてないわよ。カロリーヌは家主に金を渡す。3週半分。残りは明日払う。警察を呼ぶか? 裁判所に訴えて強制執行するか? 嫌がらせしようというんじゃない。状況に相応しい対応を取っているだけだ。我慢して努めて冷静に接してるんだ。家主は母娘を部屋に通す。イェンスンが部屋の説明をしていると、カロリーヌが不備を論う。そして、寝ていると大きなネズミに足を囓られると幼い娘を脅す。娘がここは嫌だ帰りたいと訴えると、母親が娘の頬を激しく平手打ちした。血を拭くように娘にハンカチを渡す。母親は即金でイェンスンと契約を交わした。家主は行く当てはあるかとカロリーヌに尋ねる。カロリーヌには行く当てなどない。部屋を見つける手伝いならするとイェンスンは言い置いた。
カロリーヌが窓際の席で列車に揺られる。曇ったガラスに指で拭き、風景を眺める。
キツラー縫製工場。監督者(Thomas Kirk)がお喋りせず作業しろと声をかけながら女工の作業ぶりを見て廻る。作業が遅い。監督者がカロリーヌに指摘する。針がすぐ折れるからよ。なら注意して作業するんだ。はい。彼が立ち去ると、後ろで友人のフリーダ(Tessa Hoder)がなら注意して作業するんだと繰り返す。
カロリーヌは裏通りにある老朽化したアパルトマンを訪れる。家主の老女(Anna Tulestedt)に見窄らしい部屋を案内される。家賃は? 週15クローネ。高いわね。洗面台の前に窓があるが、把手を引いても開かない。水は? 中庭だ。戸棚にバケツがある。客を招くのは禁止だ。家主が出て行く。カロリーヌはバケツを床に置くと下着を降ろして腰を落とし用を足す。
社長室。ヤアン(Joachim Fjelstrup)が書類に目を通していると、監督者がカロリーヌを連れて現われた。お会いになりたいと言っていたお針子です。寡婦手当の申請を受け取った。暮らし向きは? 部屋を立ち退かされてしまって。ご主人の状況で判明していることは?    分かりません。ご主人の死亡証明書がないと要望には応えられないんだ。手紙には心を動かされたけどね。しばし考え込んだ社長はカロリーヌに夫の名前を尋ねる。ピーター・ニールスン。伝があるので調べてみよう。大の男が消えることなんてない。
部屋で編み物をしていたカロリーヌは鳩の飛び立つ音を聞く。教会の鐘が鳴った。窓を何とかこじ開けると、編み針をもったまま洗面台に上がり、窓を出て腰掛ける。
公園のベンチにカロリーヌが坐っていると、馬車がやって来た。社長が杖を突きながら歩いてカロリーヌのもとにやって来た。ここで話しても構わないか? 外の空気は頭が冴えさせてくれるからね。ご主人の情報は見付からなかった。死傷者名簿には名前が無かったが、こんな内容じゃ役に立たないな。申し訳ない。ちょっと歩かないか? ヤアンとカロリーヌがゆっくり歩く。戦場に行くことを夢見ていたんだがね。私の立場では叶わなかった。ここでできることをやっているんだ。軍服を作るとかね。ヤアンは露天商から栗を買い、カロリーヌと食べる。助けが必要なら力になる。良い一日を。ヤアンが立ち去る。カロリーヌがヤアンを振り返ると、ヤアンも振り返りカロリーヌを見た。
終業のベルが鳴り、キツラー縫製工場の門から女工たちが一斉に出て来る。カロリーヌは女工たちの流れから外れ、門の前で1人佇んでいると、ヤアンが姿を現わした。2人は暗がりにしけ込み、関係を持つ。
新聞号外! 戦争終結! ドイツ軍降伏! 少年(Hector Engelbrecht)が大声を張り上げて新聞を売る。
社長が全従業員を集め挨拶する。キツラー縫製工場の授業員の皆さん。ヨーロッパでの戦争が終わりました。私たちはより明るい時代に向かうと願っています。戦地に赴いていない私たちにも大変な苦しみをもたらしました。亡くなられた全ての方に黙祷を捧げましょう。黙祷の最中、目を開けたカロリーヌとヤアンの目が合う。ありがとうございます。私たちの伝統である柔らかな生地の生産に戻りましょう。針が折れなくなって皆さんも喜ばしいですよね。それでは、乾杯しましょう。
クリスマスをフリーダたちと祝って帰宅したカロリーヌは、メリークリスマスと声をかけられ驚く。ヤアンだった。

 

1918年。コペンハーゲン。カロリーヌ(Vic Carmen Sonne)はキツラー縫製工場でお針子をしている。夫は出征したまま行方不明になっていた。14週分の家賃滞納により家主のイェンスン(Per Thiim Thim)に住まいを退去させられてしまったカロリーヌは、場末にある老朽化した狭い部屋を老女(Anna Tulestedt)から借りる。勤務先に寡婦手当を申請すると、死亡証明書が無いために却下される。社長のヤアン(Joachim Fjelstrup)がカロリーヌを憐れみ、2人は人目を忍んで関係を持つ。やがて第一次世界大戦終結し、カロリーヌの前に夫ピーター(Besir Zeciri)が姿を現わした。ピーターは右の眼球や顎を失い、眼鏡をかけマスクを装着していた。子を身籠もっていたカロリーヌは動顚し、ヤアンに結婚を迫る。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

カロリーヌは、夫ピーターが従軍して音信不通となり、生活に困窮している。事情を知る家主は穏便に取り計らってくれるだろうと踏んでいたが、長引く家賃の滞納に痺れを切らして、カロリーヌを退去させる。カロリーヌは老朽化し、上下水道さえ整っていない狭い部屋に引っ越す羽目になる。その部屋の小さな窓をこじ開けて外に出る姿は、ヤアンとの関係により新しい日々が訪れる予兆となっている(窓は後半でも登場し、カロリーヌの再生のきっかけとなる)。
脚の悪いヤアンは戦争に従軍できない負い目を持つ。ヤアンはカロリーヌを愛するが、ヤアンの母で家長である男爵夫人(Benedikte Hansen)はカロリーヌの妊娠を疑い、、医師(Jakob Højlev Jørgensen)に検査までさせるが、懐妊が明らかになっても、2人の結婚を認めない。カロリーヌはヤアンの屋敷から退去させられるが、さしたる抵抗もしない。最初から無理筋だとカロリーヌ自身が分かっているのである。それが余計に哀しみを誘う。
ピーターもまた、自らが長らく音信不通であったことや醜怪な顔貌を弁え、カロリーヌが妊娠したことや、冷淡なことを受け容れる。それでもピーターが抑え込む忿懣は、睡眠中の錯乱状態などで表出される。
立場の弱い者たちが弁えてしまうことによって、歪んだ社会が維持されていることが示されている。
カロリーヌは浴場で自己堕胎をしようとして失敗。ダウマ(Trine Dyrholm)とエレナ(Ava Knox Martin)の母娘に救われる。ダウマは表向きは菓子店を営んでいるが、闇で里親仲介業を行っていた。カロリーヌは出産後、ピーターから娘を大切にするよう言われるにも拘わらず、ダウマに娘を委ねてしまう。失意のカロリーヌはサーカスのポスターで夫が見世物になっているのを発見する。
ステージに上がるピーターにゲテモノと罵声を浴びせて溜飲を下げる観客は、戦争をメディアを介して知る我々の似姿である。

(以下では、後半の内容についても言及する。)

ダウマは出産したものの事情により養育できない子供を引き受け、仲介料を取って里親を探す。子供は母親だけで産まれるものではない。必ず父親がいる。だがダウマのもとに駆け込むのは母親だけだ。苦しむ母親の為の慈善事業と思うことで、ダウマは里親の仲介業を続ける。だが、それだけでは精神を保つことができない。ダウマは頻繁にエーテルに頼る。なぜなら、里親の仲介もまた装われたものだからだ。カロリーヌはダウマの下で働くようになって真実を知り、ショックを受ける。ダウマははナフサを嗅がせ、カロリーヌを落ち着かせる。そのとき、現われるのが、映画の冒頭に登場する、明滅し、歪み、重なる顔のイメージだ。
顔は表面であり、建前であり、文化的な装いである。だがヤアンとその母がカロリーヌを踏み躙りながら品のいい生活を送っているように、その表面的な装いを剝げば、醜怪な姿を現わす。ピーターが戦争によって失われた顔貌により、仮面に覆われた社会の実態を象徴する。
本作も血の繋がりのない家族を描く作品の1つである。
冒頭の歪む顔のイメージから一気に不穏な世界に誘い込む。モノクロームと音楽が虐げられた世界を描くのに絶大な効果を発揮する一方、ショッキングなイメージのクッションとなっている。
翻弄されながらも必死に生き抜くカロリーヌ役のVic Carmen Sonne、酷い世の中に抗して慈善事業を行っていると強弁する逞しいダウマ役のTrine Dyrholmに加え、コケティッシュな娘イレーナを演じたAva Knox Martinも印象に残る。