可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『秋が来るとき』

映画『秋が来るとき』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のフランス映画。
103分。
監督・脚本・製作は、フランソワ・オゾン(François Ozon)。
撮影は、ジェローム・アルメーラ(Jérôme Alméras)。
美術は、クリステル・メゾヌーブ(Christelle Maisonneuve)。
衣装は、パスカリーヌ・シャバンヌ(Pascaline Chavanne)。
編集は、アニタ・ロト(Anita Roth)。
音楽は、エフゲニー・ガルペリン(Evgueni Galperine)とサーシャ・ガルペリン(Sacha Galperine)。
原題は、"Quand vient l'automne"。

 

ミシェル・ジロー(Hélène Vincent)が教会に向かう。
司祭(Sidiki Bakaba)が説教している。イエスがいると知り、香油を持参した彼女は、イエスの前に跪き、泣きながら涙でイエスの足を洗った。彼女は髪で足を拭うと、口付けし、香油を塗った。イエスを招いたパリサイ人は、もし預言者ならこの女が罪人だと分かるだろうと思った。イエスは言った。私があなたの家に入ったとき、あなたは私の足を洗わなかった。彼女は涙で足を払い髪で拭いた。彼女の抱える多くの罪は許された。彼女は多くの愛を与えたからだ。その女性こそマグダラのマリアだ。
ミシェルは、司祭から「キリストの身体」をアーメンと言って受け取り、口に入れる。
ミシェルが菜園の手入れをし、カブ、カボチャ、ニンジンを収穫する。雷鳴が轟く。
自宅に戻り台所で野菜を洗う頃には雨が降り出した。野菜を切っていると、電話が鳴る。娘のヴァレリー・テシエ(Ludivine Sagnier)からだ。…元気? …もちろん。…何時に着くの? …一緒に昼ご飯を食べましょう。…駅まで迎えに行きましょうか? …ローランの車で? …ごめんなさい。…また明日ね。
ミシェルが車を運転してマリー=クロード・ペラン(Josiane Balasko)を迎えに行く。クラクションを鳴らすと、マリー=クロードが荷物を抱えて出てきた。車で向かったのはマリー=クロードの息子ヴァンサン・ペラン(Pierre Lottin)の収容されている刑務所。マリー=クロードが荷物を降ろす。ここで待ってるわ。
面会を終えたマリー=クロードが車の運転席で眠るミシェルを起こす。
ミシェルがマリー=クロードを自宅へ送る。連れてきてくれてありがとう。次はいつ面会したいの? 10日後くらい。分かったわ。
ミシェルがベッドを整え、掃除機をかけ、食事をとる。スープにクリームを入れ、チーズをかけ、塩をふる。一口食べて、塩を追加する。
肌のお手入れをし、髪を結い、ベッドに入ってテレビを見ながらクロスワードパズルを解く。途中で眠りに落ちる。
朝。マリー=クロードがやって来る。元気? 元気よ。珈琲はどう? 時間があるなら。お昼時に来るから、道が混むだろうし。娘さん免許取ったの? そう。あなたは持たないものね。あまり眠れなかった。満月だったからよ。なるほどね。2人は珈琲を飲む。
2人はキノコ狩りに森へ向かう。前はここに沢山生えてたわ。2人は道から木々の中へ入って行く。ミシェルがキノコを採る。これは? いいわね、イグチ類。これはどうかしら? 駄目よ、偽アンズタケ。2人は次々と収穫していく。家に帰って料理をしなくちゃ。どうだったか教えて。もちろん。
帰宅したミシェルはテーブルをセットする。グラスを並べる途中、物思いに耽る。
キノコを洗い、刷毛で泥を落とし、刻む。図鑑でキノコを確認して、毒キノコらしきものをはじく。席を立ち庭を眺めてしばし考え込む。
オーブンでパイの焼き上がりを確認。身嗜みを整える。暖炉の前で読書をしながら眠っていると、車のやって来る音がした。
ミシェルが迎えに出る。車から降りてきた孫のルカ(Garlan Erlos)と抱き合って再会を喜ぶ。元気? うん。ヴァレリーにも抱きついて挨拶しようとするが、風邪気味だから移すといけないと断られる。道はどうだった? パリは酷く渋滞してた。昼食を用意したわ。サンドイッチを食べたから。お祖母ちゃん、僕、お腹空いた。ミシェルは喜ぶ。素敵な休暇になるわよ。

 

パリの東南、ブルゴーニュの自然豊かな地域。ミシェル・ジロー(Hélène Vincent)はパリのアパルトマンを娘のヴァレリー・テシエ(Ludivine Sagnier)に譲り、菜園など庭のある民家に1人暮らしをしている。近隣に住むマリー=クロード・ペラン(Josiane Balasko)とはパリでの仕事仲間で姉妹のように親しい。免許の無いマリー=クロードが収監中の息子ヴァンサン・ペラン(Pierre Lottin)との面会に行くのに車で連れて行っている。夏期休暇で孫のルカ(Garlan Erlos)が滞在することになり、準備に張り切る。前日の晩は眠れないほど、溺愛するルカに会うのを楽しみにしていた。昼食を一緒に取ることにしていたミシェルは、朝、マリー=クロードとキノコ狩りをして、食事を用意した。2人が到着し再会を喜ぶが、ヴァレリーは風邪気味だと偽りハグも交わさない。昼食はサンドイッチで済ませたというが、ヴァレリーはキノコ料理を口にする。ルカはキノコが嫌いで口にしなかった。ヴァレリーは離婚したローラン・テシエ(Malik Zidi)とルカの養育について揉め、頻繁に連絡して口論している。生活が苦しいとミシェルに無心するのみならず住まいの生前贈与まで要求した。ミシェルは、仕事をするというヴァレリーを置いて、ルカとともに近所の自然の中を散歩する。帰宅すると、救急車が家の前に停まっていた。救急隊員によれば、ヴァレリーは救急車を呼んだ後に意識不明になったという。キノコによる食中毒だった。大事には至らなかったが、ヴァレリーはミシェルが毒殺を図ったと激昂し、ルカを連れて即座にパリに帰ってしまった。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

田舎で1人暮らしの祖母を夏休みに孫が訪ねてくるところから始まり、事故(事件)の発生から、第二の事故(事件)がと畳み掛けるようにしてサスペンスが展開する。
冒頭、マグダラのマリア(厳密には、「マグダラのマリア」ではなく「罪深い女」とのみ記される。『ルカによる福音書』第7章第36節~第50節)に関する司祭の説教をミシェルが聞くシーンで始まる。ミシェルがかつて娼婦であったことを暗示する。
ミシェルは、パリから離れて自然に囲まれた生活を送り、甲斐甲斐しく友人や孫の世話をする。だが娘のヴァレリーはミシェルに冷淡で、再会のハグさえ交わさない。既にパリのアパルトマンを譲り受けながら、田舎家の生前贈与まで求め、金を無心する。ミシェルの母親に対する嫌悪は、母親が娼婦をしていたことが原因だ。ヴァレリーの過去については特段描かれることはなく、ヴァレリーの母親に対する態度の辛辣さから推察する他無いが、幼少期から母親の仕事を理由にいじめや差別を受けたであろうことは想像に難くない。ヴァレリーとしては、母親のせいで嘗めさせられた辛酸に対する補償を求めているに過ぎないというところだろう。翻って、ミシェルの田舎暮らしは、自然に対する愛着だけでなく、過去との訣別や、娘との距離感といった事情もあったのだ。
ミシェルのパリの仕事仲間であったことからマリー=クロードもまた娼婦であったことが分かる。マリー=クロードの息子ヴァンサンがドラッグの売って(あるいはその仕事に関連した問題で)収監されるに至ったのも、彼の生い立ちに関係があるのだろう。ヴァンサンとマリー=クロードとの関係は、ヴァレリーとミシェルのように険悪ではない。異性か同性かにより、娼婦に対する忌避感に差があるのだろう(同性の場合、自らに対しても娼婦としての眼差しを注がれる)。
ミシェルの供したキノコ料理によりミシェルは食中毒になる。毒物による症状であることから病院から警察に通報され、ミシェルは取り調べを受けることになる。ヴァレリーは告訴には至らなかったが、毒殺するつもりだったとミシェルを責め、ルカを母親の下に預けずパリに連れ帰ってしまう。ルカと過ごすことを楽しみにしていたミシェルにとってはショックであった。改めて過去に復讐されたとの思いに駆られただろう。

(以下では、全篇について言及する。)

出所後、ミシェルが手間仕事を呉れて、小遣いを稼いでいたヴァンサンは、ミシェルに身近に接し、彼女が意気消沈しているのを懸念する。直情型のヴァンサンは誰にも相談することなくパリのヴァレリーの下に押しかけ、ミシェルに優しく接するよう求める。
ヴァンサンの訪問時にヴァレリーは煙草を吸うためにベランダに出て転落死する。ヴァンサンとヴァレリーに何があったかは描かれない。ヴァンサンがマリー=クロードに説明した限りでは、事故であった。女性刑事(Sophie Guillemin)同様、状況から事故と判断する他無い。この点、ミシェルのキノコ料理の描写も曖昧と言えば曖昧である。
食中毒事件、ヴァレリーの事故死、ヴァンサンのバー「シェ・ヴァンサン」開業資金の提供、ミシェルによるルカの引き取り(養育)の全てを把握するのはマリー=クロードである。ミシェルがヴァレリーを排除してルカを手に入れたという因果関係は、ミシェルがヴァンサンを使ってヴァレリーを消したとも解し得る。マリー=クロードは動揺する。女性刑事が再捜査を行うきっかけとなった匿名の投書は、マリー=クロードによるものだろう。
ミシェルはヴァレリーの姿を幻視するようになる。ヴァレリーはミシェルの過去の象徴である。ミシェルは亡くなったヴァレリーにより引き続き過去によって苛まれるのである。ミシェルは墓参してヴァレリーに対して祈る。ミシェルの抱える罪は許される。ミシェルは愛を与えたからだ。
パリに出て大学で美術史を学ぶルカ(Paul Beaurepaire)がミシェルを訪ねる。ヴァンサンが迎えに行き、3人はミシェルの用意した昼食を取る。ルカはキノコを食べる。ミシェルがキノコが好きにになったのかと尋ねると、昔から好きだったと言う。ミシェルがそのように尋ねる以上、ミシェルと同居していた当時はキノコを好んではいなかったはずが。パリに出てから食べられるようになったのであろうか。ならば、何故昔から好きだと言ったのであろうか。また、掃除をして花を供えておいたのでヴァレリーの墓参りをしようと誘われるが、ルカは行きたくないと言う。ミシェルを母親代わりに成長したルカは、ヴァレリーと疎遠になったのだろうか。あるいはミシェルとの関係で疎遠を装っているのだろうか。
先に記したとおり、『ルカによる福音書』では、「マグダラのマリア」ではなく「罪深い女」と記される。ルカの名前は福音記者ルカに由来するのだろう。また、ルカは最初に聖母子像を描いた画家と看做されている。ルカが美術史を学ぶという設定はそのためであろう。ミシェルとルカとの関係は聖母子に見立てることもできるかもしれない。
ミシェルは家事をこなす中で物思いに耽る時間があり、ミシェルが何を考えているのか鑑賞者の想像力を刺激する。
ルカ役のGarlan Erlosが目を見張る美少年。ミシェルが溺愛しないわけにはいかない。