可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 川田龍個展『輪郭』

展覧会『川田龍「輪郭」』を鑑賞しての備忘録
FOAM CONTEMPORARYにて、2025年5月17日~6月4日。

西洋絵画の主題を解釈した絵画15点で構成される、川田龍の個展。

《untitled(selfportrait/Golyat》(1620mm×1303mm)は、アトリエあるいは倉庫(青いビニールシートや椅子のようなものが見える)で、黒いパンツだけを身に付けた半裸の作家が前屈みでマネキン人形(あるいは人物彫刻)の頭部を押え付ける場面を表わす。両脚を拡げて立つ作家の足元には首の取れた「人形」があり、その脇にある切断された頭部(但し色味が異なるので「人形」とは別のもの)を右手で押え付けている(左手は「人形」の肩に触れている)。背後の白い角材と影(あるいは別の棒)がV字を構成し、作家の上半身を挟んで、両腕がまたV字を形作る。2つの"V"が体重をかけて押え付ける効果線として働く。垂れ下がるネックレスや髪、また作家の周囲の縦方向の描線もまた垂直の力を表わす。二重のV字や「人形」の傍らの白線が視線を首に導く。タイトルから「人形」がゴリアテ(גָּלְיָת/Golyat)であり、作家はダヴィデに比せられる。目鼻口は曖昧に表わされている。ダヴィデの姿勢は、カラヴァッジョ(Caravaggio)の《ダヴィデとゴリアテ(Davide e Golia)》に描かれるダヴィデのポーズに近いが、ダヴィデを横方向から描き出すカラヴァッジョに対し、本作はやや正面方向から捉えている。《untitled(selfportrait/Golyat3》(606mm×500mm)ではビニールシートなどが描かれず、作家の姿が闇に溶けるように表わされ、手で押え付けるものも何であるかは判然としなくなっている。
《untitled(Crocifissione di san Pietro1》(530mm×410mm)もカラヴァッジョ
の《聖ペテロの磔刑(Crocifissione di san Pietro)》に基づく作品であろうか。本作はペテロの頭部とその周囲だけを、画面右上と右下とを結ぶの対角線の中心に右耳が来るように描く、斜めに捉えた胸像である。右向きの顔の目や口が閉じられており、目を見開き、口もまた開いている、カラヴァッジョのペテロに対して静的な印象である。《untitled(Crocifissione di san Pietro3》(652mm×530mm)はペテロの上半身を描くが、十字架に比せられるのはキャンヴァスらしき白い板である。右下方向に下がる板に身体は横たわり、両腕が前に投げ出される。カラヴァッジョのペテロが張り付けられた十字架から起き上がろうと頭を持ち上げるのとは対照的である。
《untitled(The lamentation of Christ in the presence of Donor2/Hyato Isozaki)》(910mm×727mm)は、全裸の人物がマネキン人形に凭れ掛かり足を投げ出して坐る姿を描く。左側に人形に左腕を廻して凭れ、頭を前に倒している。頭部の右後ろには白い球体が配される。ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ(Giovanni Battista Naldini)の《死せるキリストへの哀悼(Compianto sul Cristo morto)》など十字架降架図を踏まえた作品であり、人物は磔刑により死したキリストを表わす。《untitled(The lamentation of Christ in the presence of Donor1)》(455mm×380mm)は同じモティーフを頭部周辺を切り取って描いた作品である。白い球体、頭部、頭部の影という3つの球が主題に浮上する。
《untitled(Portrait of Innocent X/Hayatoo Isozaki)》(1940mm×1620mm)は、全裸の男性が両腕をかけ坐る場面が描かれる。ディエゴ・ベラスケス(Diego Velázquez)の《インノケンティウス10世の肖像(Ritratto di Innocenzo X)》を踏まえているのは明らかだが、教皇が衣装を脱いだように、人物の脇に赤い布らしきものが置かれている。左腕をかけるのは脚榻であり、見立てや、仮設としての性格が強調される。フランシス・ベーコン(Francis Bacon)は《ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作(Study after Velázquez's Portrait of Pope Innocent X)》で教皇の口を大きく開いて描き叫ばせたが、本作では頭部の表現がカットされているのが印象的である。但し、頭部の影は背後の壁に映っている。
本展で最も印象的な作品は、オディロン・ルドン(Odilon Redon)の《目を閉じて(Les Yeux clos)》を踏まえた《untitled(prtrait/Redon"closed Eyes")》である(因みに、近隣のパナソニック留美術館では「オディロン・ルドン ―光の夢、影の輝き」が開催中。ルドンが繰り返し描いた目を閉じた女性像も展示されている)。まずは目を閉じた顔が巨大な画面(2273mm×1818mm)に描かれていること、同じモティーフの《untitled(prtrait/Redon"closed Eyes"2)》と2点を並べていることに目を奪われる。ルドン作品との違いは、モデルが女性から男性に置き換えられていること、海(水平線)を手前ではなく背景に追いやったことである。2メートル弱の顔を前にしても不思議と圧迫感を感じない。それはモデルが目を閉じていること、目の表現が陰影により暈かされていること、モノクロームに近い色味であることに加え、敢て照明を全面に当てず、目の辺りを中心に暗く展示されていることが考えられる。

《untitled(The lamentation of Christ in the presence of Donor2/Hyato Isozaki)》や《untitled(Portrait of Innocent X/Hayatoo Isozaki)》で頭部の影を描くのは、日本の「洋画」がヨーロッパ絵画の影であることを暗示する。《untitled(Crocifissione di san Pietro3》ではキャンヴァスを十字架に表わすことで、洋画を描く宿命を表わし、《untitled(selfportrait/Golyat》ではゴリアテに擬えた西洋絵画を打ち倒す/したことを宣言してみせる。《untitled(prtrait/Redon"closed Eyes")》では「海の向こう」が表わす西洋絵画は後景に退けられ、目を閉じて自らの内面を見詰めて制作する姿勢が示される。