映画『犬の裁判』を鑑賞しての備忘録
2024年のスイス・フランス合作映画。
81分。
監督・原案は、レティシア・ドッシュ(Lætitia Dosch)。
脚本は、レティシア・ドッシュ(Lætitia Dosch)とアン=ソフィー・バイー(Anne-Sophie Bailly)。
撮影は、アレクシ・カビルシーヌ(Alexis Kavyrchine)。
美術は、アンヌ≒カルメン・ヴィユミエ(Anne-Carmen Vuilleumier)。
衣装は、イザ・ブシャラ(Isa Boucharlat)。
編集は、イサベル・ドゥビンク(Isabelle Dewinck)とスザナ・ペドロ(Suzana Pedro)。
音楽は、ダビッド・シュタンク(David Sztanke)。
原題は、"Le Procès du chien"。
この物語はスイスのある都市が舞台です。スイスでも情熱が燃え上がり、歴史の流れが変わることがあるのです。実話に基づいて、絶望的な案件に取り組む弁護士、私、アヴリル・ルチアーニ(Laetitia Dosch)に起こった事件の顛末です。始まりは、高級レストランでのボス弁との会食でした。ジェローム(Pierre Deladonchamps)は私に是非とも伝えるべきことがあったのです。
イタリアは何もかも繊細でね、女性は官能そのものだよ。乳房は果汁を吸いたくなる果物のようだ。しゃぶる技術にも長けていてね、品位を保っていて、ハープを演奏するように陰茎を扱うんだ。激しいんだが、決して下品じゃない。肛門に指を入れる時でもね。肛門に指を入れる時? 私が何を言おうとしているのか分かるか? 伝えるべきことを伝えるためにセックスについて話す必要があるかな? 訴訟で負けすぎですか? 現行犯を弁護しているからです。敗訴しますが、それが正義です。犯罪者にも事情があります。鉄屑窃盗のことかな? 彼は3人の子供と貧民街で暮らしています。ローヌ川で水浴ですよ。君に最後のチャンスを与えよう。有り難うございます。それが駄目ならもう終わりだ。もう無駄な努力はしない。誓います。勝訴するんだ。唯一の限界は、君だよ。それはどうも。今日の午後、相談者と面談します。
出て行けって言うんだな! アヴリルに相談に来たダリウチ・ミショウスキー(François Damiens)が興奮して叫び、席を立つ。マシャン先生と同じだ。時間を割いてくれない。私の事件は取るに足らないと。無実にも拘わらず、命の危険に曝されているって言うのに! この子は優しいんだ。ダリウチは椅子に坐る愛犬のコスモス(Kodi)を撫でる。事故が起きたとき、私は亀のように仰向けになっていたんだ。
ダリウチ・ミショウスキーが相談に訪れた弁護士は私で8人目だった。視覚に障害があり、失業中で、窃盗犯のミショウスキーは、3人を噛んだ飼い犬のコスモスを救いたいと考えていた。
法制上3回人を噛んだ犬は安楽死させることになっています。何をお望みですか? 絶望的な事件を担当する弁護士なんだよな? 職務を遂行してくれればいい。法律が私の犬を殺すなら、私の知る限り最も価値のある心を失うことになる。お坐り下さい。坐らないさ、指図するな! 興奮したダリウチが必死に訴えるうち足がもつれて転倒しコピー機にぶつかる。大丈夫ですか? 3週間酔っ払ってたからな。トイレはどこだ? 通路の奥です。ダリウスが部屋を出て行くと、椅子に坐っていたコスモスがデスクに上がって来た。降りるように言うが、コスモスは机の上で寝そべる。ダリウスが戻ってきて犬を自分の幼子のように可愛がる。いたずらっ子め。コスモスはいつもパパと一緒だよな。ダリウスはコスモスの顔に自分の顔を擦りつける。…分かりました。引き受けましょう。
スイス。ローザンヌ。困窮する被告人を救うことを専門とする弁護士アヴリル・ルチアーニ(Laetitia Dosch)は所属事務所の所長ジェローム(Pierre Deladonchamps)から次に敗訴したら解雇だと宣告される。直後にアヴリルが相談を受けたのは、かつて交通事故で左眼の視力を失い、右目の視力も半分程度しかないダリウチ・ミショウスキー(François Damiens)。自宅のキッチンで家事代行者ロレーヌ・フルタード(Anabela Moreira)の顔を噛んだ愛犬コスモス(Kodi)の殺処分回避を依頼しに来たのだった。法律上犬は飼主の所有物であり訴訟当事者ではない。実際、法廷では判事(Aurélien Patouillard)がダリウチに対する罰金1万スイスフランとコスモスの安楽死を即決する。アヴリルは物とは異なり欲求がある点で人間に近いと訴え、杓子定規に判決を下す判事こそ自由意志がない物だと挑発する。アヴリルの戦略は功を奏し、コスモスを被告とすべきだとして事件は大法廷に送られた。ジャーナリスト(Ismaël Attia)が犬の裁判と報じ、世間の注目を浴びる。治安改善を訴える政党「強いスイス」党首で市長選立候補予定のロズリーヌ・ブリュッケンハイマー(Anne Dorval)は、宣伝に使おうとロレーヌの訴訟代理人を務めることになった。2ヶ月後、コスモスを被告とする裁判が始まる。裁判長(Mathieu Demy)がコスモスを法廷に召喚すると、ダリウスから隔離されていたコスモスは興奮して飛び跳ね、吠える。
(以下では、全篇の内容について言及する。)
あくまでもコミカルに描かれているが、テーマは重い。
アヴリルが犬を物よりも人間に近いとして犬に訴訟主体に認めさせるのは、犬の安楽死が物の処分ではなく死刑に相当することとなり、死刑廃止国スイスにおいて、コスモスの命を救えると考えたためだ。かつて奴隷制度の下では人間も物として扱われた。人間が物として扱われなくなったのならば、犬も物でなくなるではないかという論法である。法廷内では倫理委員会も催され、哲学者(Dariouch Gavani)は動物が魂のない機械とされてきた哲学的伝統を紹介し、仏教者(Charlotte Dumartheray)は輪廻の観点から魂があると主張する。
コスモスが女性ばかりを襲っている点から、ロズリーヌはコスモスがミソジニーだと訴える。コスモスを管理する犬行動学者のマルク(Jean-Pascal Zadi)は、膝を曲げて犬に接することから、女性の方がより犬に襲われやすいのは確かだと指摘する。この場面から女性が膝を屈する(服従する)こと、すなわち女性が男性により支配されている問題がテーマとして急浮上する。冒頭、アヴリルがボス弁によるセクハラ発言を浴びるのは、その伏線だったのである。法廷外でも、動物の権利を訴える活動家に加え、フェミニストの女性たちや、彼女たちに対抗する性差別主義者の男性たちがデモを展開する。
愛犬の名はコスモス(cosmos)である。それは秩序(ordre)であるが、宇宙(cosmos)には野生の(savage)性格も含まれる。犬は家畜化された(domestique)狼であるが、人間は都合のいいときだけ犬を利用し、可愛がり、野生が姿を現わすと処分する。その構造は、女性を家庭内(domestique)に押し込めてきた男性優位の社会とパラレルである(被害に遭ったロレーヌは家事使用人(domestique)である)。恣意的な支配に膝を屈するべきではないとアヴリルは奮闘するのである。