可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 福田尚代個展『日な曇り』

展覧会『福田尚代「日な曇り」』を鑑賞しての備忘録
YOKOTA TOKYOにて、2025年5月19日~6月13日。

書籍や文房具を用いた作品で構成される、福田尚代の個展。

《書物の魂 #03》は、赤、青、黄などの栞紐を解して絡め、雲のような茫漠とした姿に表わした作品。言葉=論理によって世界が切り分けられる前の混沌とした世界のイメージである。柔らかな光が差し込みつつ空に薄く雲がかかる晴れと曇りの間にある気象を表す言葉という「日な曇り」を象徴する作品である。間とは生死の境界でもある。

《言葉の精霊『宝島』》は、岩波文庫のスティーヴンソン(Stevenson)『宝島(Treasure Island)』に掛けられていたグラシン紙を立てた立体作品。帯をイメージした白い紙が内側に折り込まれている。半透明のグラシン紙に褐色で、本にデザインされた題名や著者名、あるいは《鳥獣花背方鏡》の唐草模様や壺のマーク(平福百穂による装幀)などがうっすら写り込む。言葉などが写る、立てられた紙は心霊が依り憑く形代を思わせる。または言霊あるいは付喪神である。生命を象徴する唐草模様とメディウムとしての壺という岩波文庫の装幀が作品に相応しい。

《煙の素》は、1~2cmまで禿びた色鉛筆15本を並べた作品。6本の灰色と5本のクリーム色とを散らした中に、3本の白を直線上に、そして1本のピンクを差す。先の尖る色鉛筆が指し示すのは天である。火から立つ煙であり、魂が天へと昇るイメージを喚起させる。「鳥辺山谷に煙の燃え立たばはかなく見えしわれと知らなむ」に通じる、火葬のイメージである。

「書物の骨」シリーズ5点は、岩波文庫アーダルベルト・シュティフター(Adalbert Stifter)の『水晶(Bergkristall)』、アントン・チェーホフ(Антон Чехов)の『桜の園(Вишнёвый сад)』、『竹取物語』、『方丈記』、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)の『漂泊の魂(Knulp)』のそれぞれの背を裁断し、四角柱に仕立てた作品。ストゥーパであろう。仏塔の涅槃にせよ、卒塔婆の追善供養にせよ、やはり死に関わる作品と言える。

「漂着物/ひとすくい」シリーズ3点は、いずれも半透明の消しゴムを舟や器のように現わした彫刻作品である。壁に取り付けられた六角形の台に4個置かれたもの1点と、壁際または段差の際に白い紙を敷いた半円のガラスを配し、その上にそれぞれ9個または17個が置かれた2点とがある。舟ないし器は魂の乗り物、メディウムだろう。また、4は死に通じ、9は一桁の陽数で最大、17は一桁の陰陽の最大数を足し合わせたものである。とりわけ17は矛盾する要素の発展的統一である止揚(aufheben)を連想させる。高さの異なる2ヵ所の床及び台上に配されることで、上昇のイメージが増幅される。

《翼あるもの『すべての、白いものたちの』》は、ハン・ガン(한강)『すべての、白いものたちの(흰)』の書籍の全ての頁を半分に折り込み、表紙を開いて立てたもの。表紙が翼のように見える。折られた頁は円柱状の姿を現わし、1頁だけ1行が読めるようにしてある。「陸と水が出会うその境界に立ち、あたかも永遠に反復されてきたかに思える波の動きを」。生死の間を往還する魂について記されたような1行である。白い(흰)のは紙であり、依代であり、魂である。この世に漂着した魂は、羽搏いて上昇し、再びこの世に流れ着く。