展覧会『郭叡潾「うつの中で泳ぐ」』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2025年6月9日~14日。
水性木板技法を軸に、アクリル絵具による描画やデジタルプリントを加えた作品で構成される、郭叡潾(곽예린/KWAK Yerin)の個展。
水性木板にデジタルプリントを加えた《Is it bad if I'm hallucinating?》(893mm×893mm)は、左上の蜘蛛の巣にいる蜘蛛を目の前にする人物の顔を表わした作品。木板画で表わした暗い鶯色の背景に白い蜘蛛の巣がかかり、そこに巣の大きさと大差ない巨大な蜘蛛をデジタルプリントで配している。画面の半分を占める顔はうっすらと入った隈と櫛歯で表わされた口により凍り付いたような表情を浮かべる。背景の木目がどんよりとした空気感を醸成している。大首絵のような巨大な顔に大蜘蛛というモティーフは浮世絵の伝統を感じさせもする。
紺の花柄を背に、蟻に集られる女性の顔を表わした《ANTS》(300mm×300mm)、サルバドール・ダリ(Salvador Dalí)の世界である。花を前に多数の蜂に襲われて頭を抱える女性を表わす《ZZZZZ》、蛇が目の前に現われた女性を描く《00:30》(300mm×300mm)など、作家は、広義の虫に遭遇する人たちの困惑を作品に仕立てている。
《hurt》(210mm×148mm)は、サボテンの鉢植えを持つ手と、サボテンのとげを抜く手とが描かれる。困惑から一歩進み、痛みが表現される。
水を表わした作品群は、沈鬱をテーマにしている。
《dive》(788mm×545mm)は、紺色に花柄の水着を身に付けた女性が真っ逆さまに水中に沈んでいく姿を表した作品。くすんだ水色の背景は木板画によるもの。上端には水面の輝きと波の立つ様子が不定形の円と波線とで表わされる。16匹の魚が彼女に構わず悠々と泳いでいる。アクリル絵具で描かれる女性は、身体の陰影の入れ方などアニメーション的表現で、目の下には隈が施される。豊かな髪は水面に向かって流れることなく、恰も水底に引っ張られるように垂れ下がる。画面から髪の先が切れることで、水の深さとまだまだ沈んでいくことが示唆される。
表題作《うつの中で泳ぐ》(910mm×912mm)には、テーブルに突っ伏した女性の周囲を金魚が泳ぐ姿が表わされる。背景はくすんだ淡い群青で版木の木目が流水をイメージさせる。女性の顔は丸く、画面の3分の1ほどを占める。その顔を載せる、画面下端に配された左手も大きい。パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の新古典主義時代の人物を想起させる。彼女の大きさと、下側に寄った位置に加え、背景と同色の衣服が、水底に沈んでいる状態を表わす。彫り跡が印象的な目の表現は虚ろで、その下に拡がる隈が気分の沈んだ状況を示す。彼女の周囲には、デジタルプリントによる赤い金魚が3匹游泳する。1匹は画面の6分の1、もう1匹は8分の1程度の大きさがあろうか、彼女の頭部に寄っている。塞ぎ込んだ彼女の様子を心配するようだ。もう1匹の小さな金魚は左手の上にいて、彼女はその姿をぼんやりと目で追っている。華やかな金魚に導かれて、気分が晴れることが示唆される。
因みに、向かい側の壁に展示される、大粒の涙を流す女性の胸像《忍》(300mm×300mm)は、ピンクを背に真上を見上げる顔に希望がある。大粒の涙にはカタルシスが感じられる。
《oO000》(300mm×300mm)は、金魚鉢の中に浮かぶハリセンボンを覗き込む女性の姿を表した作品。底に砂利を敷き水草を飢えた金魚鉢の中に、丸く膨らんだとげとげのハリセンボンが浮かんでいる。その姿を眺める女性の顔は金魚鉢の背後にいるために水の効果で金魚鉢一杯に拡がって見える。その結果、ハリセンボンと女性とは一体化し、彼女の心がザワザワした様子が伝わる。アクリル絵具で配された、色取り取りのストライプは、気分の高揚を暗示するだろうか。
《ovethinking》(455mm×380mm)には、花を目の前にした女性が描かれる。対象に迫りすぎ、視界から離れることができない。翻って、対象と適切な距離をとることが、適切な思考、判断には必要だということが暗示されているのではなかろうか。自分が水に沈むのではなく、金魚鉢の中にいるハリセンボンを眺めるように、状況から自らを引き離してみるのである。