可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 IDEAL COPY個展『Channel: Musashino Art University 1968–1970』

展覧会『立ち止まり振り返る、そして前を向く vol.1 IDEAL COPY「Channel: Musashino Art University 1968–1970」』を鑑賞しての備忘録
gallery αMにて、2025年4月12日~6月14日。

学生運動の際、郊外にある武蔵野美術大学構内の煉瓦を抜き取り都心のデモに向かった学生がいたという逸話から着想されたインスタレーションで構成される、IDEAL COPYの個展。アーカイブと現代美術との掛け合わせにより両者の新たな意義を見出す場をgallery αMに現出させることを目論む、大槻晃実のキュレーションによる展覧会シリーズ「立ち止まり振り返る、そして前を向く」の第1回。

1988年に京都で結成されたIDEAL COPYは、プロジェクトごとに変動する不特定・複数名の匿名の作家によるコレクティヴで、日々構築・更新されるシステムそのものを現代社会の創作物=作品として捉え活動を行っているという。

 もしもフランス革命が永遠に繰り返されるものであったならば、フランスの歴史の記述は、ロベスピエールに対してこれほどまで誇り高くはないであろう。ところがその歴史は、繰り返されることのないものについて記述されているので、血に塗れた歳月は単なることば、理論、討論と化して、鳥の羽よりも軽くなり、恐怖をひきおこすことはなくなるのである。すなわち、歴史上1度だけ登場するロベスピエールと、フランス人の首をはねるために永遠にもどってくるであろうロベスピエールとの間には、はかり知れないほどの違いがある。
 そこで永劫回帰という考えがある種の展望を意味するとしよう。その展望から見ると、さまざまな物事はわれわれが知っている姿と違ったように現われる。それらの事物は過ぎ去ってしまうという状況を軽くさせることなしに現われてくる。このような状況があるからこそ、われわれは否定的判断を下さなくてすむのである。どうして消え去ろうとしているものを糾弾できようか。消え去ろうとしている夕焼けはあらゆるものをノスタルジアの光で照らすのである、ギロチンでさえも。(ミラン・クンデラ千野栄一〕『存在の耐えられない軽さ』集英社集英社文庫〕/1998/p.7)

展示室のコンクリートが剥き出しの床面には「IDEAL COPY」のロゴが型押しされた茶色い煉瓦約100個が整然と並べられている。煉瓦は、敷き詰められていれば舗装材であるが、大雑把に等間隔で並べられることで学生運動の際にデモに参加して隊列を組んでいた学生を暗示する。煉瓦は埋め込まれた状況から浮き上がることで、位置エネルギーを得、舗装材から武器に変化する。市井に生きる者が暴力を独占する国家に対して起ち上がる姿のメタファーとも言える。
煉瓦の中に1つだけ、角が取れ、表面が削れたものがある。武蔵野美術大学に保管されていたものという。その1個により、対照的に、「IDEAL COPY」の煉瓦のレプリカ的性格が鮮明になる。かつての時空から切り離されたホワイトキューブで上演される、過去を再現する無言劇となる。また、整然と置かれた煉瓦群は、教授らと同じく研究の主体ではなく、教えを授かる客体へと成り下がってしまった学生、否、生徒の姿へと変じる。唯一、歴史資料である煉瓦は、プログラムのバグ的存在へと転落する。

会場の中央附近にテーブルがあり、巨大な写真集が置かれている。『武蔵野美術大学闘争記録68-70』に掲載された、武蔵野美術大学学生運動を記録した写真を編んだものである。写真集は横長で、横幅は1メートルには満たないとしても数十cmはある。ベージュに近い白の丈夫な紙には、演説する学生や、デモに参加した学生、学生らに対峙する教授陣らの姿がモノクロームで印刷されている。大きく引き延ばされた写真は、スクリーンで上映される映画のように閲覧者に迫る。同時に、その色味は時代を感じさせ、拡大された分だけ曖昧になったイメージは、現在との距離を隔てる。書見台の白い天板は、ホワイトキューブとパラレルな機能を果たし、写真は博物館標本となる。

 ドイツ語のムゼアール(museal(美術館的))という言葉には、少々非好意的な色合いがある。それは、観る人がもはや生き生きとした態度でのぞむことのない、そしてまたみずからも朽ちて死におもむきつつある、そんな対象物を形容するさいの言葉なのだ。これらのものは、現在必要であるからというより、むしろ歴史的な顧慮から保存される。ムゼーウム(美術館)とマウゾレーウム(霊廟)を結びつけているのは、その発音上の類似だけではない。あのいくつもある美術館というものは、代々の芸術作品の墓所のようなものだ。それらは文化が中和されたことを証しする。芸術の財宝はそれらのなかに死滅されている。(テオドール・W・アドルノ渡辺祐邦・三原弟平〕『プリズメン』筑摩書房ちくま学芸文庫〕/1996/p.265)

本展のリーフレットは、A4の3つ折りで、「IDEAL COPY」の煉瓦を模してある。「煉瓦」は薄い紙片に過ぎない。だが鑑賞者が「煉瓦」を受け取り持ち帰るとき、かつて武蔵野美術大学の構内から煉瓦を持ち出した学生の姿が重なる。歴史に埋め込まれた「煉瓦」を引き剥がすことになる。そこにエネルギーが生じる。霊廟に眠りに着いていた煉瓦は、今再び鼓動し始める。アーカイブと現代美術との掛け合わせにより、両者の新たな意義を見出す展覧会シリーズ「立ち止まり振り返る、そして前を向く」の狙いが明瞭に伝わる、第1回展である。