可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ラ・コシーナ 厨房』

映画『ラ・コシーナ 厨房』を鑑賞しての備忘録
2024年製作のアメリカ・メキシコ合作映画。
139分。
監督・脚本は、アロンソ・ルイスパラシオス(Alonso Ruizpalacios)。
原作は、アーノルド・ウェスカー(Arnold Wesker)の戯曲"The Kitchen"。
撮影は、フアン・パブロ・ラミレス(Juan Pablo Ramirez)。
美術は、サンドラ・カブリアダ(Sandra Cabriada)。
衣装は、アデラ・コルタサル(Adela Cortázar)。
編集は、イブラン・アスアド(Yibran Asuad)。
音楽は、トマス・バレイロ(Tomás Barreiro)。
原題は、"La cocina"。

 

この世は商取引の場だ。何と果てしなき喧騒。ほぼ毎晩、機関車の轟音に目が覚める。私の夢が破られる。ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
エステラ(Anna Diaz)が船でニューヨークにやって来る。地下鉄に乗ったエステラは49番街の行き方をスペイン語で尋ねる。英語で説明されてもエステラには分からない。ブロードウェイにあるレストラン「ザ・グリル」を目指すエステラは地下鉄を降り、人混みを抜け、何とかタイムズスクエアに至る。
死体を見たことあるか? これが心臓。ここがタイムズスクエア。時間が四角形だって? 時間は杓子定規じゃないけどな、表がある。ぐるぐる廻ると、そのたんびに杓子定規じゃない奴に会うだろ。俺がそうだからさ。タイムズスクエアに暮らすってのは生活するだけってことじゃねえぞ。自分が本物のニューヨーカーだって味わえる贅沢がある。考えてもみろよ、どの角にも誰かがいるんだ。俺は運がいい。監獄に入ることもなく、行き詰まっちゃいないんだから。枠に囚われないで人生で何を実現したいかってのが肝なんだよ。で、タイムズスクエアって何かってことだけどよ。人か? 浮かれる感じか? 電飾か? 面白いのはよ、誰もあんたがここに来たって気付いてないってことさ。そんなわけでタイムズスクエアって呼ばれんだろ。時間をぐるぐる辿ってて、角なんてないって気付かないんだ。行き着く角があると思っててね。あらゆる場所に角があるけど、どこへ向かってんのかてんで分かんない。俺が言ったこと、覚えとけよ。時間からは逃れらんねえぞ。街角で坐っていた男に英語で捲し立てられたが、エステラには何のことやら分からない。Graciasと言い置いて立ち去る。
エステラが煙草を吸っている男に尋ねる。こんにちは。ザ・グリルは? ザ・グリルを探してんのか? 目の前にあんだろ。男が立ち去る。エステラはガラス越しに店内にいたスーツの男性、経理担当のマーク(James Waterston)に入口をスペイン語で尋ねる。ジェスチャーで裏口に行くよう指示される。
裏に廻ると、舗道沿いにゴミが山のように積まれ、ネズミがピザを引っ張り出していた。ちょうどゴミ出しに来た男(Motell Gyn Foster)にスペイン語で尋ねる。彼はザ・グリルとペドロという言葉に反応し、建物の中に招き入れる。ペドロはまだ来てないと思うぜ。予約は何時だ? Trabajoで来たんだろ? 暗い通路を何度も曲りながら進んでいく。酒の貯蔵室を過ぎた通路で立ち止る。ここで待ってりゃ誰か来るからよ。Aquíと言って男は椅子を示す。Me llamo Nonzo. エステラです。エステラ? 綺麗な名前だ。「星影のステラ」は知ってるか? ノンゾは一節歌ってみせる。知らないのか? 歌いながら去る。エステラは近くに坐っていた女性(Laura Gómez)に尋ねる。¿Conoces a Pedro Ruiz? No. No trabajo aquí. エステラは彼女から予約時間を聞かれる。ここに来るように言われただけだと答えると、予約なしでは面接を受けられないと言う。そこへルイス(Eduardo Olmos)が姿を現わす。用件は? 9時からの面接で。ルイスが予定を確認する。シトラーリ・ポサーダが8時30分、ラウラ・アリアスが9時。ラウラは私です。シトラーリから始めようか。ルイスはエステラをシトラーリを思い込み、部屋に招く。
ルイスはPCでシトラーリの情報を確認する。厨房希望と、いいね。年齢は? 黙り込むエステラ。Edad. Veinte. ルイスは知っているスペイン語をできる限り織り交ぜながら、法律で21にならないと働けないと説明する。エステラは店の損失だと言い、ルイスは笑う。強気な娘だ、気に入った。厨房経験は? サンボーンズで2年。彼氏は? 美人だね。冗談だよ。SSNは? 社会保障番号。ペドロから雇ってくれるって聞いてるんですけど。ペドロ? ペドロ・ルイス。友達だよ。何で最初に言ってくれなかったんだ。ペドロの友達は私の友達だ。SSNなら手に入れられるから。49番街で50ドルで売ってる。1つが問題があってね。そこへマークがやって来る。ルイス、問題発生だ。おおっぴらにできない。彼女は英語が分からない。レジから800ドルが消えたようだ。確かなのか? 間違いない。トリシャ(Julia Haltigan)と再度確認したんだがね。ラシッドさんには言ってないだろ? 電話が鳴り、ルイスはラシッドに呼ばれる。なぜ最初に言いに来ない? 彼に雇われてるからだ。そこへサミラ(Soundos Mosbah)がやって来て、またソーダマシンが故障したと訴える。電話が鳴る。経理担当はラシッドにもとに行くようルイスに迫る。サミラは私が壊したんじゃないと言う。ルイスはシトラーリとラウラを更衣室に案内して作業着に着替えさせるようサミラに頼む。私は観光ガイドじゃない! そんな言い方はないだろ。ルイスたちが部屋を出たところでシトラーリ(Salma Álvarez)が現われる。地下鉄で迷って遅れたと言うシトラーリの面接をルイスは断る。
ルイスはマークとともにラシッドの部屋に向かう。残念だ。同感だよ。違う、何故先に報告してくれなかったんだってことだよ。露見しないうちに対処できてたのに、俺が無能ってことになる。2人を迎えたラシッド(Oded Fehr)は、サボタージュだと言った。

 

メキシコのプエブラ州ワウチナンゴ出身のエステラ(Anna Diaz)は、家族ぐるみの付き合いのある料理人ペドロ(Raúl Briones)を頼り、ニューヨーク、マンハッタンのタイムズスクエアにあるレストラン「ザ・グリル」に向かう。英語が分からず苦労しながらも「ザ・グリル」に辿り着いたエステラはノンゾ(Motell Gyn Foster)に建物に入れてもらう。エステラは予約していなかったが、遅刻したシトラーリ(Salma Álvarez)と勘違いされてルイス(Eduardo Olmos)の面接を受けることができた。ペドロの紹介だと知ったルイスからエステラは親身になって対応してもらう。面接中、ルイスは経理担当のマーク(James Waterston)から昨日の5番レジの売り上げのうち800ドルが紛失したと報告され、ソーダマシンの故障を訴えに来たサミラ(Soundos Mosbah)にエステラとラウラ(Laura Gómez)を任せる。オーナーのラシッド(Oded Fehr)はサボタージュだと怒り、警察沙汰にはしないから犯人に自供させ今日の給料を渡して追い出せとルイスに迫った。厨房では料理長(Lee Sellars)がルイスと1人1人面談を受けてもらうが、終わったら持ち場にさっさと戻れと言って仕込みが始まる。前日ペドロはマックス(Spenser Granese)と刃傷沙汰になり、厨房でペドロは詫びを入れるもののマックスは受け容れない。エステラはペドロの母親から託された品物を手渡し、ペドロの調理の補助に入る。ペドロは厨房を抜け出すと、開店準備中のホールに向かい、清掃していたウェイトレスのジュリア(Rooney Mara)に会う。ジュリアは妊娠10週目。今日、堕胎手術を受ける予定だった。ペドロは数百ドルの手術費用を手渡すが、翻意を望むペドロは病院に付き添いたいとジュリアに頼む。ペドロは実家に電話すると母親(María de los Ángeles Carmona)に仕送りができないことを詫び、父親(Roberto Oropeza)に電話越しで誕生日を祝い、子供が生まれると伝えた。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

ペドロは、メキシコのプエブラ州にある実家に仕送りを続けつつ「ザ・グリル」の厨房で働いて3年になる。アメリカ人ウェイトレスのジュリアを妊娠させ、ペドロは我が子を産んでもらいたいが、ジュリアは中絶を決意している。手術は父親の誕生日と重なった。実家への送金を諦めて手術費用を工面したペドロは、ジュリアに連れ添って病院に行き、最後まで翻意を図ろうとしている。
ジュリアとの交際を巡り、キレやすいペドロは同僚マックスと刃傷沙汰を引き起こした。厨房内はスペイン語話者がほとんどで、常に英語以外の言語で盛り上がる。白人のマックスは蚊帳の外なのだ。それでも、女性更衣室を覗くなどチョロチョロする"Ratón(ネズミ)"(Esteban Caicedo)の妻が病気になった際には、マックスがとりなして解雇を免れさせた。ペドロもマックスに男気があると認めていた。
賄いを食べる従業員たちは、売上金の紛失事件の面談は有色人種から行われいるでのはないかと話題になる。その中で、サルヴァドール(Bernardo Velasco)は、有色人種とは作りが違うとグリンガ(白人女性)を崇拝していると吐露する。
ルイスは800ドル紛失事件の聴き取りを続ける中、ジュリアの中絶を耳にする。ジュリアと面談したルイスは、ジュリアが手術費用を工面するためにレジの金に手を付けたか、あるいはペドロが盗み出したのではないかと踏む。ルイスは、ヒスパニックの移民が"Eres el amor de mi vida"を"Eres el amor de mi visa"と言い換えていると、ペドロのジュリアに対する愛情を、そしてジュリアを貶める。ルイスの僻みが発言に表われている。
エステラから描かれ始めるのは、ペドロもまた、移民であることを強調するためである。
モノクロームの作品だが、冷凍庫のシーンでは青い光に染まる。ペドロが人生をジュリアとやり直したいと愛を告白する。ジュリアはペドロの陰茎をしごき、果てさせる。凍てついた庫内に出された精液は、ペドロの希望が実現することはないことを暗示する。

(以下では、結末に関しても言及する。)

モノクロームの作品だが、冷凍庫の青い光とは別に、もう1つ、緑の光が登場する。ノンゾの語る、100年前ニューヨークにやって来たナポリ出身の男が目撃したという光だ。片手のないナポリ人はエリス島の入国審査で弾かれ、牢獄に入れられた。彼は絶望して自らの存在や場所の感覚を失った。窓辺で祈った男は緑色の光を目にする。そして、男は忽然と姿を消す。数カ月後、その男はニューヨークの1角でピザを作っているところを目撃される。
本作がモノクロームで描かれる理由の1つは、間違いなく緑の光を強調するためであろう。ナポリの男のように、緑の光を見るためには、忘我に陥る必要がある。それまでの自分の存在を抹消し、全く異なる存在として生き直すのである。緑の光から端的に連想されるのは、グリーンカードである。冒頭に登場する「スクエア」もカードへの連想を誘う。
ラシッドが売上金紛失事件について言い放った「破壊(sabotage)」という言葉は、結果的に自らに帰って来る。ラシッドは従業員を破壊することで、自らのレストランを破壊したのである。
レストランは建物ではなく、人である。ならば、国もまた国土ではなく、人である。