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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 土井沙織個展『遠くに狼煙が見えにけり』

展覧会『土井沙織「遠くに狼煙が見えにけり」』を鑑賞しての備忘録
S3 Gallery TOKYOにて、2025年5月16日~6月16日。

パネルに寒冷紗を張り石膏を塗った厚みのある支持体に、岩絵具や弁柄などで動物や人間を表わした絵画13点で構成される、土井沙織の個展。

キーヴィジュアルの《遠雷》(1140mm×1520mm×45mm)は、木々の中を駆ける白い動物(山羊?)の背中にしがみつく青い服の女性を描いた作品。画面左上の山羊の頭部に女性の顔が接着するとともに、山羊の首に女性の腕が廻されることで山羊と女性との一体感がある。その一体感は、山羊の鼻先や前肢の蹄、あるいは女性の腰などが画面から切れるほど接写して描かれるために強調される。左下の大きく曲げられた前肢、女性の髪の毛の跳ね、そして画面右側半分に斜めに配された黒い木々は、山羊の疾駆を伝える。朱の背景はシルエットのような黒い木々の表現により夕空ではなく山火のようだ。遠くで鳴る雷という画題は、描かれていないことへ思いを馳せるよう鑑賞者に促す。それは「遠くに狼煙が見えにけり」との展覧会のタイトルにより重ねて訴えられる。ところで、宮沢賢治の「よだかの星」において、「向うの山には山焼けの火がまっ赤です」、「東の方だけ山やけの火が赤くうつって、恐ろしいようです」、「山焼けの火は、だんだん水のように流れてひろがり、雲も赤く燃えているようです」と、よだかの暮らす世界では山火が燃え続ける。よだかがこの世界を離れるとき、「もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見え」なくなる。山火は燃え続けているのである。翻って、《遠雷》において、女性を乗せた山羊は遠くの山火から逃れようとしているのかもしれない。だがどこまで逃れたところで、この世界にある限り山火が鎮火することはないのである。
《山賊の涙》(780mm×920mm×45mm)は、上皿天秤の前で涙を流す女性の胸像。画面中央上段には洞のような目が2つだけ描かれた顔があり、右目から1粒、左眼から2粒の涙が零れる。彼女の前には天秤があり、左右の上皿は彼女の首を挟むように位置する。彼女の背後には木々が丸く取り囲むように配される。女性と天秤と言えば、すぐに乙女座と天秤座とを想起させる。天秤は正義の女神のアトリビュートである。女性は山賊ではなく判事であり、木々は檻ではなく法廷なのだ。「よだかの星」ではよだかが「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される」と嘆く。画面には表わされていない山賊もまた生きるために罪を犯す。その罪を正義の女神が裁くのだ。

《ロープ》(600mm×600mm×45mm)は熊に近い姿の動物がしゃがみ、自らの体長よりも長い蛇を摑んでいる場面を表わした作品。「蛇に噛まれて朽縄に怖じる」で、ロープが蛇に見えているのかもしれない。蛇が杖のように描かれていることに着目すれば、驚いて蛇を叩いた蛇遣い座のアスクレーピオスを表わすと言えよう。背景の黄色は星々の輝きである。ならば、大口を開けた2匹の蛇に乗り右手を挙げた人物(?)を描く《僕のボート》(600mm×600mm×45mm)もまた、アスクレーピオス、彼の叩いた蛇、薬草を咥えて現われた蛇とを表わした作品と解せなくもない。