可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『ルノワール』

映画『ルノワール』を鑑賞しての備忘録
2025年の日本・フランス・シンガポール・フィリピン合作映画。
122分。
監督・脚本は、早川千絵。
撮影は、浦田秀穂。
照明は、常谷良男。
録音は、ダナ・ファルザネプール(Dana Farzanehpour)。
美術は、三ツ松けいこ。
装飾は、秋元早苗。
衣装は、宮本まさ江
ヘアメイクデザイナーは、橋本申二。
編集は、アン・クロッツ(Anne Klotz)。
音楽は、レミ・ブーバル(Rémi Boubal)。

 

鍵っ子の沖田フキ(鈴木唯)は、カーテンを閉め切り、リヴィングの小さなテレビでヴィデオを見ている。幼児が泣き叫ぶ場面だけを編集した映像。近くの踏切の警報音が鳴り、列車の走行音が室内に響く。フキはヴィデオデッキからカセットを取り出すと、紙製の手提げ袋にしまう。玄関のドアを開けると、まだ外は明るい。フキは集合住宅のゴミの集積所へ向かい、元あった場所に紙袋を置く。近くに束ねてあった写真週刊誌『フォーカス』や『フライデー』が気になり見ていると、誰かが入って来た。何してんの? 男に声を掛けられた。何年生? フキは集積所から走り去る。
フキが部屋の水槽で飼っているネオンテトラに餌をやる。ガラスを叩くと魚たちが驚いて逃げる。
暗い部屋のベッドでフキは男に首を絞められる。脚をバタバタさせるが大人の男の前にフキの抵抗は虚しい。カーテンが風に揺らめく。
首を絞められて殺された沖田フキさんの葬儀がしめやかに行われています。テレビのリポーターが葬儀場の前から事件を報じる。参列した少女たちが泣きながら焼香する。祭壇にはフキの遺影。父・沖田圭司(リリー・フランキー)や母・沖田詩子(石田ひかり)など喪服の遺族たちが祭壇の傍で参列者に頭を下げている。
人が死ぬと泣く。死んだ人が可哀想だから泣いているのか。それとも自分が可哀想だから泣いているのか。
…私が死んでるって自分では実感が湧かなかったけれど、本当に夢で良かったと思った。終わり。フキは教壇に立って皆の前で作文を読んでいた。
圭司が倒れ、詩子が救急車を呼んだ。詩子はフキに入院に必要な衣類などを用意するよう言い付ける。フキは跳び上がって家具の上から大きめのバッグを取ると、箪笥の抽斗から父親の衣類を取り出して詰める。電話が鳴るのでフキが応対すると、浄水器の営業だった。大人に代わって欲しいという相手に、取り込み中と断って電話を切る。
圭司が運び込まれた病院。ロビーの公衆電話から詩子が部長に連絡を入れる。…最後の段階は家族と過ごす方がいいと主人は言うんですけど、家で世話するのは限界で…。担当医にはこのまま病院にいる方がいいとお伝えしたんですけど…。
詩子が学校に呼び出され、担任(谷川昭一朗)と面談する。…なかなか11歳でこういう文章書ける子っていないです。作文としては素晴らしいです。ただですね、先月書いた作文がこういうタイトルなんですよ。詩子は担任から手渡された作文には「みなしごになりたい」とあった。どうしてこういう発想が出て来るんですかねぇ。お母さん、何か心当たりはありますか? いいえ。
担任との面談を終えた詩子が昇降口で待っていたフキの所に来る。勝手に親を殺すな! 先生って暇ね。たかが作文じゃない。詩子はフキを自転車の荷台に乗せて家へ急ぐ。フキは母親の腰の辺りに手を翳すものの、掴まろうとはしない。
病院で詩子が看護師と話している。…私は仕事があるので難しいんですよ。週末、お願いできませんか? その間にフキは父の病室に食事を運ぶ。
父がベッドで起き上がり食事を取る。フキは窓に飾り付けをする。向かいのベッドの夫の見舞いに来た老女がフキに挨拶する。フキが挨拶を返す。
英会話教室。フキがペンを口と鼻とで挟んでいると、他の生徒たちとは雰囲気の異なる、制服をピシッと身に付けたお下げの少女(高梨琴乃)がやって来た。フキは彼女のことが気になる。フキは英語の先生(Hana Hope)と1対1でやり取りする。What day is it today? ジュライ、トウェンティ。It's July 20th. イッツジュライトウェンティース。What are your plans for the summer vacation? ノープラン。I have no plans. アイハヴノープラン。Do you want to go to the beach or the mountains? アイウォントゥゴートゥービーチ…。
居間でフキはテレビの超能力者紹介番組に釘付けになっている。インターホンが鳴ったので出るよう詩子に頼まれるが、生返事をするだけ。ちょっと、テレビ消すよっ!
店屋物の天重を食べながらフキはテレビを見続ける。ジェリー・マイコラス(Jeffrey Rowe)が手にしたカードの情報をテレパシーで送る。目をよく見てください。伝わりますよね? 何のカードか分かりましたか? 英語に通訳の日本語が重ねられる。フキはハートの5だと宣言する。進行役がスタジオ観覧者の1人に尋ねると、やはりハートの5と答えた。マイコラスがカードを捲ると、ハートの5だった。フキは大喜び。詩子は端から関心がない。

 

1987年7月。沖田フキ(鈴木唯)は文章を書くのが得意な小学5年生。目下、テレビ番組で見た超能力者に憧れ、自らも能力を覚醒させようと超能力百科記載の訓練に余念が無い。以前から癌を患う父親・沖田圭司(リリー・フランキー)が吐血して倒れ、救急車で病院に運ばれた。母・沖田詩子(石田ひかり)と大人たちのやり取りからは、末期癌の圭司は夏を越せないらしい。収入が断たれる上に治療・入院費がかかるため、詩子は家事・育児、夫の世話をこなしながら職場では管理職に就いた。フキが書いた「みなしごになりたい」という作文が担任(谷川昭一朗)に問題視され、詩子から勝手に親を殺すなとフキは叱られる。折しも成績悪化を理由に小遣いをカットされた子供が両親を刺殺した事件が世間を騒がせていた。常に忙しくしている詩子には頼めないので、見舞いのたび圭司にテレパシーの練習相手になってもらう。共同住宅のゴミ集積所で見つけたヴィデオテープには、様々な幼児の泣く場面が蜿々と映っていた。ベランダから転落死した男性の未亡人・北久理子(河合優実)と超能力の訓練をしていて、ヴィデオテープが亡夫の持ち物だと知る。英会話教室で知り合った清楚で物静かなちひろ(高梨琴乃)と親しくなり、彼女の誕生日に家に招かれる。広い立派な邸宅は母親(西原亜希)と父親の仲が険悪で寒々しい。フキはちひろと超能力開発に挑む。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

父親が末期癌で余命幾ばくも無い。母親は仕事と家事・育児・看病に忙しい。家に家族がいない時間が長く1人で過ごさなくてはならないフキは、父が消えるなら、母も消える可能性があると思う。「みなしごになりたい」という作文は、自分がみなしごになる近未来に備える予行演習なのだ。詩子が近々行われるはずの圭司の葬儀のために喪服を用意することと何ら異なる所はない。
詩子は管理職の研修で知り合った講師・御前崎透(中島歩)の妻(宮下今日子)から健康食品を大量に購入する。圭司の癌に効果があると藁をも縋る気持ちだけではない。透に対する恋心で詩子の判断力は鈍っているのである。他方、詩子は、圭司が「神の子」を自称する怪しい気功家にのめり込んで大金をつぎ込むことを非難する矛盾を犯す。そんな両親を尻目に、フキは、他人に頼らず、自らが超能力を開発することで事態の打開を図る。圭司、ちひろを始め、超能力の訓練に勤しむ。圭司が英文の医療ジャーナルに目を通し会社の企画書に朱を入れるのも、詩子が次々と仕事を抱え込むのも、不安から眼を逸らすためだ。だからフキもまた超能力に打ち込むのだ。その不安とは、無論、死である。
だが死とは何であろうか。例えば、ちひろが青森に引っ越してしまった会えなくなってしまうことと何が異なるのか。小学校に通うフキが友達と一緒にいる場面は、林間学校のシーンを除いてほぼない。フキは限りなく1人ぽっちなのだ。フキは存在しているのであろうか。不在と死とはどう異なるのか。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が起こるのは、本作の描く時期に近接する未来である。少女に近付く親切で優しい大人たちが、どのような意図を抱いているのかは判然としない。フキは不安より好奇心が勝り、伝言ダイヤルを利用して、見ず知らずの濱野薫(坂東龍汰)に近付く。圭司のフキに対する関係、ルノワールの《可愛いイレーヌ》のモデルに対する関係と濱野のフキに対する関係にどのような差異はあるのか。簡単に区別がつくものなのだろうか。
画家ルノワール(Renoir)が故人であることをフキは確認する。ルノワールのイレーヌに注いだ眼差しは《可愛いイレーヌ》に結実している。翻って、《可愛いイレーヌ》にルノワールの存在を見出すことできる。翻って、フキは自らを見詰めることで、自らに注がれた父親の眼差しをいつでも想起できる力を手に入れられる。RenoirはRevoirに通じている。死は別れ(Au revoir!)であるが、再び会う(revoir)ことが期されている。思い出す(revoir)ことでいつでも再会(revoir)できる。
小学5年生のフキは、からだに変化が生じ、大人へと移ろう時期に差し掛かっている。川沿いを自転車で走り抜けるばかりのフキは、いつしか橋を渡る。大人に連れられ、あるいは1人でである。それは、フキが少女から大人へ移り変わるメタファーである。
バブル景気を背景としながら、描き出されるのは、幸せからは懸け離れた孤立した人々だ。それこそ小学5年生のフキが目の当たりにしているリアルな世界である。とりわけ象徴的なのは、ちひろの家庭である。ちひろの誕生日会の飾り付けの成された部屋。ちひろとフキとは派手な帽子を被る。母親の手製のケーキが配られるが、父親が甘さが足りないと憮然とした表情を浮かべる。母親は店で買ってきますと言って、フキが食べているケーキを回収する。声を荒げることこそないものの、両親の冷え切った関係にフキとちひろは悲痛な思いを抱く。裕福であっても少しも幸せでない人々の姿が描かれる。また、フキがポスティングされたチラシで知った伝言ダイヤルには、断片化した人々の孤独と欲望が溢れている。林間学校のキャンプファイヤーの火に、フキは、ソドムないしゴモラと化した社会を焼き尽くす火を見なかっただろうか。最初から、フキの世界に警報はけたたましく鳴り響いていたではないか。ルノワールには、re+Noircir、再び黒く、あるいは、悲観的な眼差しが重ねられているのかもしれない。Paint it black!
そのような世界に歩み出すフキは、やはりみなしごの予行演習を行わなくてはならなかったのだ。バブルの世界、頽廃した世界で流通するのは金だけ。バブルはバベルなのだ。だから、孤立した者同士、言葉を介さないコミュニケーションが必要となる。電話越しにフキが馬などの鳴声を模倣すると、濱野は笑う。悲しいかな、愚鈍な大人には分からないのだ、フキが言葉を介さないコミュニケーションを実践しようとしていることに。テレパシーの能力に目覚めなくてはならない、この悲惨な世界の現実に。