展覧会『切れはしの交換』を鑑賞しての備忘録
Up & Comingにて、2025年5月16日~6月22日。
お互いに絵画制作の指針となる言葉を交換して制作した絵画を中心に構成される、石河彩子、長谷部まり杏、WAKOの三人展。
石河彩子《Quintetto》(727mm×606mm)は、長谷部まり杏の「イルカ」というお題に答え、イルカの骨を中心に構成された作品。卓の上に置かれた鉢植え、巨大な鉱物結晶、骨、さらにその背後に拡がる曇り空に浮かび上がる骨が描かれる。北脇昇など戦前期の日本のシュルレアリストの絵画を連想させる。動物、植物、鉱物の構成は博物学的眼差しであり、自然科学など学問が専門分化する以前の、世界の総合的な把握に対する憧憬がある。"Quintetto"は五大元素を暗示する可能性もある。石河彩子《Texidemy bear lamp》(1000mm×803mm)は、部屋の角に置かれた、熊の下半身の剥製を台座を描いた作品。ほぼ中央にずんぐりした熊の剥製の下半身に載せられたオレンジのランプシェードの照明器具がある。WAKOの「使ったことのない色」という指示に基づき、背後の壁にややくすんだピンクを用いている。壁の左手には洋梨を描いた静物画が覗く。腰壁はくすんだ淡い青緑で、左側にはチューリップを活けた花瓶を載せた椅子が置かれている。画面右側にはランプシェードと同じ色のカーテンが紫のタッセルで纏められている。解剖台の上のミシンとこうもり傘ではないが、熊の剥製の照明器具は、異質な物の出会いを生み出すシュルレアリスム的なイメージである。また、組み合わせることで元々の性質とは異なる何かを生み出す姿勢は錬金術のメタファーでもある。化学以前の学問に対する関心を見出すことも可能であろう。
長谷部まり杏《Sampler quilts 2023-2024》(1600mm×1900mm)は、様々なプリントの布を正方形にカットした裂それぞれに海の生き物や小物などを描き、縦6枚×横7枚で並べ群青の布に縫い付けた作品。作家が一昨年から昨年にかけて海で拾った貝殻や買い集めた小物のカタログは絵日記として機能する。石河彩子の「短いストーリー」という言葉に基づく。ティーポットのような暮らしの象徴と、小鳥の亡骸や貝殻など死の象徴とは全て、くすんだ群青色の布により表現される海に呑み込まれる。小川洋子の文学に通じる。また、長谷部まり杏《sea and me》(803mm×652mm)は、夕陽を受けて輝く海を背にした作家の胸像。画面右側に作家の左半身を描き、画面右側には水面で光が粒子のように散らばり、奥には島影が見える。WAKOの「都市と正反対/海/島々」という言葉に着想された作品で、海に背を向けた作家の眼差しは生活圏としての街に向けられている。
WAKO《Les Pyrénées》(727mm×727mm)は、3人乗りのリフトに並んで坐る3人の老人を描いた作品。朱色の空を背景に、お揃いの薄紫のタンクトップを来た白髪の老人たちが浮かんでいる。アレックス・カッツの描く人物に近い、素朴さが持ち味の絵画である。石河彩子の「対比」という言葉に応じて、WAKOは《Finsbury Park Bowls Club》(727mm×727mm)という作品を対置させた。緑色の画面に、いずれも白いパンツを穿いた3人の白髪の老人が並んで立っている。背景の色、坐る(宙空)か立つ(大地)か、袖の有無などが3人の老人たちという共通要素に対して浮かび上がる。ありうる光景ではあるのだが、どこか現実離れした感覚を抱いてしまう。古語の「あくがる」を思わせる作品である。WAKO《Rock, paper, scissors》(900mm×1500mm)は、緑青のテーブルを囲んで6人の人物(1人は腕先のみ)がじゃんけんをしている場面を表わした作品。長谷部まり杏の「たくさんの人」に応答したもの。それぞれ顔は目鼻の線を軽く入れるのみ。衣装もそれぞれに当てられた1色で、塗り斑はあるものの、平板に表現されている。皆が掌を握っていて、「グー」の形である。髪型や髪の毛の色は異なりつつ、ルールを共有してゲームに興じている。抽象度の高い画面は、単一のシステムが覆うグローバリゼーションの世界とも、様々な人々が共存する平和の象徴とも捉えられる。