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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 川井雄仁個展『神様、もう少しだけ』

展覧会 川井雄仁個展『神様、もう少しだけ』を鑑賞しての備忘録
KOTARO NUKAGA(天王洲)にて、2025年5月17日~6月28日。

かつてテレビドラマなどで描かれた理想の家族をテーマにしたインスタレーション神様、もう少しだけ》・《家族》の他、茶室に見立てたバラックの中や、メディアのキャプチャー画像など大量のイメージを背景に焼物を配した、川井雄仁の個展。展覧会タイトルは1998年に放映のテレビドラマ『神様、もう少しだけ』に因む。壁にコラージュした雑多なイメージとともに、四半世紀前(西暦2000年前後)の世相を映し出す意図がある。

神様、もう少しだけ》は、壁に飾られた額装された写真とテーブルにセットされた食器とで構成される。写真は、ダイニングキッチンのテーブルで父親、母親、息子、娘の4人がすき焼きを食べるシーンが映し出される。木製のテーブルは、同じ材質の2脚ずつ向かい合う計4脚の椅子とお揃い。それぞれの椅子の前に深皿、茶碗、小鉢、マグカップ、スプーン、フォーク、箸が並ぶ。器とカトラリーはすべて灰白色の焼物でできており、カトラリーはバリが取られず残されている。なぜなら素焼きの食器は儀式のための「かわらけ」だからである。テーブル中央にあるケースに収められたシルバーの指輪が、儀式であることを象徴である。父、母、息子、娘という標準的な家族観を葬り去る儀式、すなわち葬儀であり、写真は遺影であった。《神様、もう少しだけ》と対となるのが《家族》である。《神様、もう少しだけ》の裏手には、羨道・横穴式石室を模した暗い通路が設けられ、その奥に《神様、もう少しだけ》と同じ写真(サイズは小さい)が掲げられるとともに、床には欠け、割れ、穴の開いた食器やカトラリーを象ったかわらけが並ぶ。黄泉に赴くための糧として供えられたのであろう。

会場中央には、床の間を持つ四畳半のバラックが設置されている。角材の柱・梁と波板の壁・屋根などで構成された小屋は、柱がコンクリートの床に載るだけで、掘っ立て小屋とも言えない。「茶室」の脇に設置されたゲーム機「ジャンケンマン・ジャックポット」は、手のイメージによる、手水鉢の見立てであろうか。茣蓙を敷いた四畳半の部屋には床の間も設けられ、動画を映し出す掛軸や花を挿したTENGAが飾られる。吉野家のロゴの入った器《吉野家》やユニクロのロゴの入った茶器《ユニクロ》は、衣食を簡素に済ませるファストフードやファストファッションに侘びを見出しているようだ。茶器《Tinder 1》や液晶画面を想起させる色鮮やかな焼物「ときめきメモリアル」シリーズは、マッチングアプリ恋愛シミュレーションにより一期一会を表わすのであろう。バラックインスタレーションには名前が与えられていない。言わば匿名の作品は、《神様、もう少しだけ》と対照すれば、生殖・家族を否定する、独身者の機械である。バラックの脇に置かれたゲーム機は、茶会=出会い(人間関係)が遊戯としてのみあり、家族を構成することなく、バラックが象徴する単身者=独身者は朽ち果てるのである。

21点の焼物の器がそれぞれ台座に設置された空間は、西暦2000年前後を中心に漫画、テレビ、映画、書籍、雑誌、美術のイメージで埋め尽くされた2つの壁面に挟まれている。3ヵ所にはモニターが設置され、ミュージックヴィデオが流れる。焼物は壺ないし器の形状だが、粒、渦、管、あるいは棘皮動物や臓器など有機的な形態が盛り付けられて異様である。白、黒、朱、緑など単色の作品もあれば、複数の色を組み合わせた作品もある。タイトルは、人名、作品名、地名などに由来する。虹のような色彩の《印象、日の出》のように名画を参照したことが明快なものもあれば、ブロッコリーのような緑の器《九段下》など意図が不分明なものもある。アヴァンギャルドである芸術は「うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という岡本太郎の言葉を体現したかのような異形の器は、イメージの洪水に呑み込まれることなく、漂う。(映画『トゥルーマン・ショー(The Truman Show)』(1998)トゥルーマンのように)イメージによって構築される世界から逃れ、自らの世界を構築する、その生命の強度を体現する器である。