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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 中村恭子・郡司ペギオ幸夫二人展『風景の場所』

展覧会『中村恭子・郡司ペギオ幸夫展「風景の場所」』を鑑賞しての備忘録
art space kimura ASK?/ASK?Pにて、2025年6月23日~28日。

「我々はいかにして風景の湧き立つ場所に辿り着けるか」を問う、中村恭子と郡司ペギオ幸夫との二人展。メイン会場のart space kimura ASK?では中村恭子の作品を、地下のASK?Pでは郡司ペギオ幸夫が自らの身体を紙で型取り組み合わせた立体作品《自分の痕跡を集めて塊とする》をそれぞれ展示する。

中村恭子《古墳蝉》(1235mm×405mm)は、玉蝉を農地の中の古墳に見立てた作品。翡翠製の蝉の羽と腹の先に苔らしきものが拡がるのは、古墳に生い茂る樹木であると同時に、蝉の遺骸に群がる蟻でもある。周囲には複数の方形が並ぶ。緑や茶に塗られた面は、水田や畑など農地のイメージである。営農という日常に、古墳の死が組み込まれている。玉蝉は副葬品であるとともに、土から出て羽化する蝉に「羽化登仙」の願望を託し、桃源郷へとアクセスさせる。
中村恭子《たぶれごころの吊尾根》(1235mm×405mm)は、雲の中から姿を表す峻嶮な山稜を描いた作品。蹲る人、横顔、怪物のような顔と人間の横顔、獣の後ろ姿と人間の横顔に、それぞれ見える岩山が手前から奥へと4つ連なり、その尾根には登山する人々の姿が小さく表される。その先に高峰が立ち並ぶのを望む。雲海により下界と切り離された世界には、人間とはスケールの異なる世界が拡がる。
中村恭子《トランジ式同居》(1235mm×405mm)は、内部を朱に塗られた石棺の中に緑青に覆われた銅剣や銅鏡など様々な副葬品を描いた作品。ネックレスの青い玉は蛙の卵のようで、無数の緑の丸い石はそれぞれ蛙の姿となっている。ヒキガエルやカメなどが石の蛙に紛れ込む。青銅器などの朽ちる過程に蛙の誕生・増殖が対置される。
《古墳蝉》・《たぶれごころの吊尾根》・《トランジ式同居》は「反古墳三部作」を構成する。蝉に古墳を、山に人間・獣を、副葬品に蛙を、といった見立ては、空間や時間のスケールを攪乱する。それは常識的判断とは乖離した仙術、すなわち創造を可能にするための仕掛けである。

中村恭子《書割少女》は四幅対(各845mm×300mm)で、植物文様など精緻な刺繍を施した布が垂らされた手前に、頭から布を被り、脹ら脛あたりまで垂らした少女がそれぞれに描かれている。背景に立たされた布のデザインも、少女の被る布の種類も、少女のポーズも異なるが、円錐状の頭部に花が飾られている点で共通する。布を被った少女たちの存在は虚ろで、頭頂部の花が避雷針のように何かが雷が落ちてくるのを待っている。避雷針に落雷の起きた瞬間、布によって閉ざされた世界が姿を見せる。因みに、《書割少女》四幅対は可動壁に展示され、4枚の可動壁相互には隙間があり、次に紹介する「風景の肉体」三部作の展示空間に光を投げ掛けている。これは《書割少女》が書割の外部へ導くことを暗示するものだ。

中村恭子《風景の肉体―碇泊する〈その世〉》(1278mm×510mm)は複数の蜘蛛の巣を表わした作品。闇の中に黄色や黄緑の光で蜘蛛の巣が浮かび上がる中、斜めに挿入される画面では、蜘蛛と蜘蛛の巣とがモノクロームで表わされる。《風景の肉体―湿地の王》(1278mm×510mm)は銀色の箔を貼った画面に数本のノダイオウを表わした作品。穂のような密集した花の部分は、人の姿にも見えなくはない。実際、明らかに編んだ髪なども描き込まれている。人形劇で操るために棒の付いた人形のようである。《風景の肉体―レッドログ》(1278mm×510mm)は、三角形などの幾何学的な形を散らした画面に、樹影を表わした作品。三角形の尖端を持つ領域に、赤や緑の三角形が表わされ、幹と枝を表わす線が複数配される。画面中央付近には倒立した白い樹影が配され、領域外である画面下部の白い部分と呼応する。
「風景の肉体」三部作にはジャック・ラカン(Jacques Lacan)の世界分類が割り当てられている。象徴界は《風景の肉体―碇泊する〈その世〉》で、複数の蜘蛛の巣が言語を表わすのであろう。現実界は《風景の肉体―湿地の王》で、湿地に立つノダイオウは言葉では捉えられない客体的現実との距離を暗示する。想像界は《風景の肉体―レッドログ》で、倒立する樹木は鏡像段階のメタファーと考えられる。
「風景の肉体」三部作の展示は、世界の客体的現実(現実界)をいかに引き寄せるかという、言わば「仙術」の実験だったのではなかろうか。作品を真正面から照らし出す特別な照明装置が、軸装された3点それぞれの前に設置されている。その照明装置は書割少女であり、また鑑賞者でもある。書割少女(=鑑賞者)を飾る花=(避雷針)に雷(電気)が落ちると、その電気は光に変換され絵画へと向け投射される。光は絵画に触れる。そのとき、絵画=風景はイメージから触れうる実体へと変換するのである。「風景の湧き立つ場所」とは、その転換の生じる作品の存在する場(展覧会場)のことあろう。

郡司ペギオ幸夫《自分の痕跡を集めて塊とする》は、作家の身体を紙で型取りして集めて宙に浮かせた、紙製の雲のような作品である。一人称的視点を超越した三人称視点こそ抽象芸術の肝であると考える作家が、てんかん患者の体外離脱体験及びその体験をシミュレーションする実験(の失敗)を参考に制作されている。

 つまり、任意の自然数nの天下り的教育と同じことが、体外離脱実験では行われているということだ。「自分が見える」という視界は、任意の自然数nと同じ意味で、本質的に三人象的な視界である。数学者が、「どの一人称でもあり、どの一人称でもない」自然数を実感した果てに、三人称的自然数nを創造したように、てんかん患者は、「どの一人称でもあり、どの一人称でもない」視界の必要性を実感した果てに、三人称的視界「自分か見える俯瞰した視界」を創造したのである。だから、天下り的に与えたnにリアリティがないように、天下り的にカメラとヘッドマウントディスプレイで与えた「自分が見える俯瞰した視界」にはリアリティが伴わない。三人称は純粋な抽象であり、抽象は故人が体験しない限り「抽象」として形作られない。
 ここで、全てを見渡す外部観測者と、内部観測者としての天然知能に戻ろう。「どの一人称でもあり、どの一人称でもない」に留まり、三人称の体験を待つ者は、天然知能である。一人称的視界は視点の移動も考慮するなら連続的な一個の全体だ。これを記憶したイメージに置き換えることで、この一人称、あの一人称という分離が起こる。つまり「どの一人称でもある」は、現実と仮想の各々を、「この一人称」と「あの一人称」を置き換えて、両者の接続を図ろうとする操作であり、「どの一人称でもない」は、それを脱色すること、「この一人称」と「あの一人称」の意味を無効にすることに他ならないからだ。
 ここから得られる教訓は、すなわち、「自分が見える俯瞰した視界」を与えるのではなく、被験者自身が創造し、体験するには、実験系自体を、「どの一人称でもあり、どの一人称でもない」に留める必要がある、三人称の手前で寸止めした実験系を設定する必要がある、ということだ。
 (略)
 抽象は体験である。こう言っていいだろう。読者は、「どの一人称でもあり、どの一人称でもない」として形作られる作品は、抽象一歩手前であり、実際に、この条件を満たす形で、バラバラなおのを再統合した全体こそ抽象なのではないか、と思うかもしれない。しかし、体外離脱実験で、天下り的に与えた「自分が見える俯瞰した視界」は三人称的に視界とは言えない。それは単に、天井にカメラを設置して眺めた「特殊な一人称」に過ぎない。三人称的視界は、体験を通して始めて、普遍性を担う抽象となる。(郡司ペギオ幸夫「批評と制作、いや創作とは」『ユリイカ』第57巻第9号/2025/p.441-442)

作品を構成するパーツは一人称視点を、それらを同時に存在させることの不可能性が組み合われたパーツが宙空に浮くこと、現実からの遊離によって示される。換言すれば、言語化=可視化しえ得ない現実界に触れる仙術の提示である。中村恭子作品と主題を同じくするのである。