可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 坂本久美子個展『ひとつの、あるいは欠片』

展覧会『坂本久美子展「ひとつの、あるいは欠片」』を鑑賞しての備忘録
JINEN GALLERYにて、2025年6月24日~29日。

半島の町の郷愁を感じさせる家並や自然景観を白亜地に油彩で描く、坂本久美子の個展。

《理髪店》(140mm×180mm)は、茶色い小さなタイルを腰壁とする窓の多い店舗兼住宅を描いた作品。白亜地に油彩で描かれた作品は、水彩画のような趣である。平滑な画面はホーロー看板に通じ、モティーフと相俟って昭和時代への郷愁を誘う。もっとも作者の狙いは、廃れ行く過去の欠片を拾い集めることにはなく、現在を成り立たせる、命ある存在であることを訴えることにあるように思われる。
《影をつなぐ》(140mm×180mm)はコンクリートブロックと波板の壁、錆びた扉の町工場らしき建物に電柱と電線とが影を投げ掛けている場面を描いた作品。明瞭な姿を見せる電柱や電線の影は、強い日差しの夏を感じさせる。寂びた扉や雨樋、壁の汚れなどが年月の経過を表わす。電柱の影は恰も古い建物を支える柱となり、雨樋は電線と接続する。張り巡らされた電線は神経のように1つ1つの建物を繋ぎ併せ、町が有機体であることを暗示する。住宅街の住居を描いた《生活》(140mm×180mm)では窓手摺に掛けられた洗濯物が描かれる。電線が恰も洗濯物を吊す洗濯紐のように横切る。やはり個々の営みと町とが密接に結び付いていることを示すのだ。町が生命体であることをより強く打ち出しだ作品が、傾斜に立ち並ぶ家並を描く《乱線》(297mm×210mm)である。植物の葉がいずれも太陽光を受けられるようにズレて生えるように、密集した個々の建物が陽当たりの良い空間となるよう高低差を利用して建てられていることが表わされる。ところで、《断崖》(273mm×190mm)は斜面に映える樹木の姿を白と青の濃淡とで表わした作品である。青の濃淡は日光写真(サイアノタイプ)に通じる。太陽光や光合成を想起させることで斜面で光を分かち合う木々の生え方を強調し、傾斜地の家並とのアナロジーを打ち出すのであろう。翻って《乱線》では、敢て白で表わされた電柱と電線とが、生命体としての町の神経として張り巡らされている。展覧会タイトルの「ひとつの、あるいは欠片」は、個々の(「ひとつの」)建物が同時に町の一部(「欠片」)であり、有機体を構成していることの謂であった。
《岩場》(220mm×273mm)は、海岸にある巨大な岩をペンキで塗ったような青空を背に描き出した作品である。白亜地のパキッとした画面が岩場を表わすのに相応しく心地よい作品である。岩場は波や風雨によって徐々に形成されたものである。無論、岩は有機体ではないが、その形は、植物や人間が太陽光を求めて樹林や町を形成するのと同じ必然性(物理法則)による結果である。岩石と生物との共通性によって浮かび上がるのは、地質学的時間に対する、人間や植物の生物的時間感覚ではないだろうか。《岩場》によって、植物の営みと人間の営み、その相同性が体感されるのである。