可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 田中義樹個展『マンモスは死にましぇん!』

展覧会『田中義樹「マンモスは死にましぇん!」』を鑑賞しての備忘録
アート/空家 二人にて、2025年6月20日~7月7日。

「原始時代の私は体が弱かったので、マンモスを狩る係ではなく、マンモスを狩ってきた討伐隊を盛り上げるためにみんなの住処の洞穴を飾りつける係でした。」という物語「胸チラ」を切り口に、巨匠になる野心を抱く作家の自己批評を美術史に絡め展開する、手作り感溢れる作品で構成される、田中義樹の個展。「胸チラ」以外にも複数のテキストが作品鑑賞の手引きとなっている。

会場の入口で出迎えるのは金色の翼を生やした白いフサフサの毛のマンモス像《胸チラ》だ。槍や矢によって狩られ、天に召されたマンモスであるために、天使のような翼を持つ。タイトルは、洞窟壁画を描く「作家」がマンモス討伐隊を率いる女性の胸を垣間見たことに由来する。マンモス同様、「作家」の胸にクピードーの矢が刺さったのだ。それは「作家」が美に囚われた瞬間でもある。「作家」の魂は美のイデアをチラ見したのだ。その記憶が作家をして美への衝動に駆り立てるのだ。「作家」は討伐隊体長に絵を手解きし、彼女の胸の谷間に、現代までの美術の歴史を幻視する。
カモメのソフトスカルプチャー《観光客》は、リチャード・バック(Richard Bach)の小説『かもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull)』に基づく。飛行速度を極限まで追求したジョナサンに芸術家を見る作家は、ジョナサンを神格化する後の世代のカモメに、偉大な芸術家の作品を研究・模倣する自らに重ねる。タイトルは、美術史上の傑作を見て廻る観光客に等しいことを示すのだろう。
《待つ人》は、「やぎさんゆうびん」の白ヤギと黒ヤギをを表わした立体作品である。隣には、赤いオートバイに跨がるヤギの立体作品《ウェイティング・ゴダー》が並び、永遠と手紙を待つヤギたちに、サミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の戯曲『ゴドーを待ちながら(En attendant Godot)』のウラディミールとエストラゴンna擬えられていることが分かる(演劇用か、白ヤギと黒ヤギのマスク《ヤギのマスク》も並ぶ)。作家もまた独創的なインスピレーションを授かるのを待つのだ。
《1年くらい》はテーブルの天板の下に電撃殺虫器を取り付け、テーブルの脚の周囲を透明アクリルボードで囲った作品。電撃殺虫器は殺戮のメタファーであるが、アクリルボードの遮蔽措置で機能することはない。マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović)が拳銃も含めた複数の道具をテーブルに並べ、自らに対する使用を観客に委ねたパフォーマンス《Rhythm 0》に倣うことが暗示される。近くに置かれた南壽イサム作の女性裸体像《untitled》はアブラモヴィッチを暗示するようだ。《1年くらい》の内部に切断された指の模造品が置かれるのは、作家が《Rhythm 0》のような話題作として指の切断を夢想しつつ断念したことを表す。
ウィリアム・モリス(William Morris)の壁紙を貼った壁に、ニホンオオカミを描いた作品《untitled》とニホンオオカミの頭部を持つ人物像《untitled》が掛けられている。ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)がコヨーテとともに過ごすパフォーマンス《I Like America and America Likes Me》に肖り、作家は、ニホンオオカミとのパフォ-マンス《私は日本が好き、日本も私が好き》を構想した。モリスの植物文様の壁紙は作家がニホンオオカミを探しに入った森を、オオカミ男の絵は作家がオオカミ少年となったことを示す。立体作品《トレジャーハンター》はニホンオオカミの頭部を持つ、オオカミ少年としての作家の姿である。
ヴィデオゲーム「ドラクエモンスターズ ジョーカー」で、説明書通りに強力なモンスター「ガルマッゾ」の合成に夢中になった作家は、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)の《遺作》を再現を始めることにした。《ガルマッゾ》は、その制作途上の作品である。脚を開いた、白い肌の女性の裸体像が横たえられている。ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)を援用すれば、《世界の起源(L'Origine du monde)》の提示とも言える。世界の起源とは女性器であり、洞穴である。美術の始原としての洞窟壁画へと回帰するのである。
マンモスが美のイデアである以上、決して死ぬことはない。作家は美を手に入れるべく、美術史上の巨匠たちに学び、傑作の合成に励む。その作家の真摯な制作姿勢そのものが唯一無二の作品となっている。