可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『夏の砂の上』

映画『夏の砂の上』を鑑賞しての備忘録
2025年製作の日本映画。
102分。
監督・脚本は、玉田真也。
原作は、松田正隆の戯曲『夏の砂の上』。
撮影は、月永雄太。
照明は、秋山恵二郎。
録音は、山本タカアキ。
美術は、井上心平。
装飾は、小林宙央。
衣装は、立花文乃。
ヘアメイクは、那須野詞。
カラリストは、高田淳。
音響効果は、佐々井宏太。
編集は、ウエダアツシ
音楽は、原摩利彦。

 

長崎。平和祈念像にもめがね橋にも激しい雨が叩きつける。稲佐山の斜面に拡がる住宅地では、石段が滝のようになり、水嵩を増した濁流が水路を呑み込む。
炎天が続き、干上がった水路に捨てられた吸殻が流されることなく溜まっている。小浦治(オダギリジョー)が煙草を吸い、手を翳し空を見上げる。水路に吸殻を投げ捨てる。
小浦が買った弁当のレジ袋を提げて坂道を上がる。今日は暑かね。煙草屋に立ち寄りおばちゃんから煙草を買うと再び坂を登る。細く長い石段の途中に立つ家に辿り着く。引き戸を開ける。
港を走る車から、立ち並ぶガントリークレーンが見える。
小浦が居間の卓に弁当を置く。扇風機を回す。冷蔵庫から水のPETボトルを取り出し、グラスに入れて煽る。妻の小浦恵子(松たか子)が居間にぬっと姿を現わす。びっくりしたっ! えっ? ごめん。そげんつもり無かったとよ。鍵くらいかけんね。近くに出とっただけたい。小浦はソファに坐り、弁当を食べ始める。台所にある沢山のお菓子は? 一昨日、阿佐子が来るって電話あったけん。お前は何しに来たと? 夏物のパジャマが無かったから取りに。買えよ、パジャマくらい。明雄の位牌、持って行こうかな。何で? もうすぐ明雄の命日やけん。位牌、持って行く。置いていけ。忘れとったやろ、命日。忘れとらん。ご飯も水もあげてなかったけん。こいがあったら私が戻ってくると思ったとじゃなかと? 給付金とかもらいに行ってなかと。どげんするとね。どげんもこげんもせん! どこ行くとか? パジャマ! 小浦は廊下の植木鉢にコップの水をやる。
路面電車。川上阿佐子(満島ひかり)が娘の川上優子(髙石あかり)とともに揺られている。優子はゆっくりと流れる風景を眺めている。もうすぐよ。路面電車を降り、優子がスーツケースを引いて歩く。阿佐子が扇で仰ぎながら、娘の汗を拭ってやる。スーパーに立ち寄り、阿佐子が買い物をする。3,206円です。お会計は3番でお願いします。ありがとう。母親の会計を担当したレジ係の立山孝太郎(高橋文哉)を店の外で待つ優子が見詰める。
ああ、やっぱ暑いね、こっちは。阿佐子は居間から外を眺めながら扇で扇ぐ。優子は黙って坐っている。恵子もまだ残っていた。今年は特別やけん。雨も降らん。クーラーくらい直したらいいのに。お前は一体何しに来たとや。博多に店持たないかって。スナック。中洲のいいとこなの。3軒あって、私に一番いいとこ任せてくれるって。話半分でも、まあいい話でしょ。で、兄さんにはこの娘預かって欲しいと思って。優子、預かってくれない? 唖然とする小浦。住むとこ見付かってないし、お店の改装もあるから。一段落したら迎えに来るから。ちょっと! 伯父さんや伯母さんの言うこと聞くのよ。義姉さん、よろしくお願いします。はい。安請け合いする恵子。おい! 優子には仕事させる。お土産買うとき話付けてきたから。そげん簡単なことじゃなかと。どこに行くとや! トイレ。犬や猫の仔預かるのじゃなかとよ。優子の身になって考えとっとや。男の出来たとやろ。この娘だってそのくらいのこと分かってるわよ。子供じゃないんだから。阿佐子がトイレから出て来る。じゃあ、駄目なの? 駄目とか、そういうことじゃなかとやろが。はっきりさせてよ、他当たるから。……。じゃ、いいのね。優子、好き嫌い言って迷惑掛けちゃ駄目だからね。じゃ、兄さん、義姉さん、よろしく。どげんすれば、ちょっと待て、阿佐子!
書棚には絵本、墨にはビニール袋を掛けた天体望遠鏡がある2階の子供部屋に優子を恵子が案内する。物置になってるけど、自分の好きなように使うたらよかよ。恵子が窓を開ける。錆びついとるね。港の方は重うなっとるわ。潰れるはずたいね。それじゃあ、帰ります。私もいろいろ大変かとよ。
優子が朝起きて居間に降りると、チンして食べるようにとメモを付けた弁当が卓の上に置いてあった。
小浦が溜息を吐いて階段を降る。

 

炎天続きの長崎。勤務先の造船所が潰れた小浦治(オダギリジョー)は職探しをすることなく、稲佐山にある実家でその日をやり過ごす。職場の上司だった持田隆信(光石研)のタクシー会社への就職も決まり、元同僚たちは新しい人生をスタートさせていた。弁当と煙草を買いに出て戻ると、妻・小浦恵子(松たか子)の姿があった。元同僚の陣野航平(森山直太朗)と交際し家を出ていた。恵子は小浦の未練を断ち切らせるためにも、5歳で鉄砲水に呑まれた明雄の位牌を持って行くと言う。そこへ東京で暮らす小浦の妹・川上阿佐子(満島ひかり)が17歳の娘・川上優子(髙石あかり)と訪れる。阿佐子は福岡・中洲のスナックを任されたから落ち着くまで優子を預かって欲しいと言い置いて立ち去った。また阿佐子に男が出来たのだ。優子はアルバイト先のスーパーで同僚の大学生・立山孝太郎(高橋文)に積極的にアプローチされる。小浦は朝帰りする優子を心配するが、優子は聴く耳を持たない。陣野に情けないと言われ発憤した小浦は職安を訪れるが、溶接資格を活かせる職は見付からなかった。

(以下では、全篇の内容について言及する。)

小浦治は、5歳の息子の明雄を事故で亡くし、妻の恵子を同僚の陣野に奪われ、勤務先の造船所は潰れてしまう。炎天下の坂道を一人上り下りする小浦の姿は、打ち拉がれた小浦の人生そのものの象徴だ。水路が干上がり、給水制限で水道が利用できなくなるのも、小浦の乾いた心を映す。小浦は煙草を吸うことで時をやり過ごす。小浦にとって大切な存在が立ち上る煙のように儚く消えてゆく。小浦自身もまた煙に他ならない。
川上優子は水商売に従事する母親・川上阿佐子が男を替える度、家に居場所がなかったのだろう。阿佐子が福岡に移るのも新しい男と暮らすためだ。父親がおらず、母親から注意を払われない優子は、自分に対して愛着が湧かない。そのため優子は自らに関わる人物にも無頓着だ。アルバイト先の同僚である大学生・立山孝太郎が自分に対して恋愛感情を持つことを訝しむ
阿佐子から優子の世話を押し付けられ、小浦は保護者の立場に立つ。小浦は造船所で培った技術を活かせる職を探すのを諦め、中華料理店の洗い場に立つ。同じ場所から動けない小浦にとっては大きな前進であった。
小浦の造船所での先輩・持田隆信は慣れないタクシー運転手の仕事を始める。かつての同僚たちの前では持田は極めて明るく振る舞う。だが街の変化についていけないと小浦につい吐露してしまうように、持田は心の裡を隠している。持田は時代や社会の激しい変化の濁流に呑み込まれ命を落とすのだ。
持田の葬儀に際し、小浦恵子が喪服を取りに来る。小浦は持田の死というさらなる喪失を経験し、孤独に苛まれ、恵子に癒やしを求めようと突然関係を迫る。恵子が時折家に姿を現わすことから復縁の可能性があると踏んだのだろう。だが恵子はが小浦に対して持ち合わせるのは愛情ではなく、憐憫の情である。この件が決定打となり、小浦と恵子とは離婚する。
小浦は陣野の妻・茂子(篠原ゆき子)から、妻・恵子を監督していない責任を糾弾される。茂子の小浦に対する激しい叱責は、その実、茂子が夫を繋ぎ止めることができなかった自らに対する怒りを転嫁しているに過ぎない
根無し草の優子は、自らに温かな眼差しを注ぐ小浦と心を通わせるようになる(酩酊して帰宅し突っ伏した小浦の肩を撫でるなど)。優子は、小浦が思い出の多い場所に留まり続けることが問題であると考え、転地を提案する。しかし、小浦は優子の提案を受け容れない。この場所に留まり続けることを選択する。そして、煙のような自分同様、息子が消えることのないように、豚骨を切断する際、自らの手指を切断する。息子が確かに存在して亡くなったことを、自らの手指の喪失に重ね合せるのだ。小浦流の記憶術である。
久しぶりに激しい雨に見舞われる。その甘露を小浦と優子は二人で飲む。お互いの存在を胸に、これまでの場所で、別の場所で、それぞれの新しい生活をスタートさせることができるようになる。小浦に照りつける容赦なく厳しい日差しも、優子の存在が遮ってくれるだろう。小浦が優子からプレゼントされた麦藁帽子がその確かな印である。
髙石あかりの瑞々しさが乾いた世界に潤いを与える。
小浦が煙草の吸殻を投げ捨てるシーンがあるが、小浦の同僚の一人を演じた浅井浩介にも、その技能(犬飼勝哉の戯曲『木星の運行』参照)を披露して欲しかった。