展覧会『岡本太郎と太陽の塔 万国博に賭けたもの』を鑑賞しての備忘録
川崎市岡本太郎美術館にて、2025年4月26日~7月6日。
1970年開催の日本万国博覧会にテーマ展示プロデューサーとして参加した岡本太郎(1911-1996)が、「人類の進歩と調和」という近代主義に異議を唱えつつ、いかにその職責を果たしたかを「太陽の塔」と「テーマ展示」を中心に概観する企画。戦前におけるパリでの民俗学との関わりを紹介する「第1章:民族学との出会い―パリ時代の岡本太郎」、戦後の日本で民俗学のフィールドワークを実践した仕事を辿る「第2章:人間の原点を求めて―取材旅行と執筆活動」、同時並行で制作が進められた《太陽の塔》と《明日の神話》とを紹介する「第3章:万国博前夜―《明日の神話》と《太陽の塔》」、生命の歴史に人類を位置付けた地下のテーマ展示のうち主に〈いのり〉の空間を取り上げる「第4章:太陽の塔の地下空間」、1970年万国博の記録とその後に開催された博覧会との関わりを伝える「第5章:万国博が残したもの」の5章で構成される。
【第1章:民族学との出会い―パリ時代の岡本太郎】
1929年、岡本太郎は東京美術学校を中退し、一家でパリに渡る(両親は1932年に帰国)。パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の作品に感銘を受け、美術団体アプストラクシオン・クレアシオン協会に参加。1937年パリ博の跡地にできた人類博物館(Musée de l'Homme)で世界各地の仮面や神像を目にした。「時空を越えた人間本来のあり方、そこから出てくる、むっとするほど強烈な生活感。ダイレクトにぶつかってくる、こんな具体的な資料を土台に、われわれは抽象的論理よりも、それを超えた人間学を学ぶべきではないか」と述懐する。マルセル・モース(Marcel Mauss)から人類学や社会学を学ぶ。マルセル・モースの"Sociologie et Anthropologie"や"Manuel d'ethnographie"は岡本の旧蔵書から、民俗学への関心が窺える。岡本は、ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)とも親交を結んだ。バタイユの雑誌『アセファル(ACÉPHALE)』の、アンドレ・マッソン(André Masson)による表紙絵は、雑誌名「無頭人」に因み、両腕を拡げて立つ首の無い人物である。理性中心主義に対する批判であることは明らかである。パリ滞在中の作品は後に戦災で失われた。煙か何かで覆われた空の下、仰向けに寝るアダムと俯くイヴとを描く《幸なき楽園》(1936)(画集『OKAMOTO』(1937)のモノクロ図版を拡大したもの)は現代批判とも読める。
【第2章:人間の原点を求めて―取材旅行と執筆活動】
1940年に帰国。1942年に中国へ出征。復員後、二科展に出展しながら、花田清輝らと「夜の会」を結成し、前衛芸術運動を牽引する。1950年代には、民俗学的知見を活かし、自身の立脚点としての日本の文化や風土を研究し、次々と刊行した著作で世に問う。侘び寂びの通念に疑問を呈し「伝統とは創造である」と訴えた『日本の伝統』(1956年)。中世の庭などのフィールドワークを通じ、伝統と近代に引き裂かれた日本の矛盾を突く『日本再発見 芸術風土記』(1958)、琉球王国の歴史や御嶽などの信仰、沖縄舞踊・歌を通じて古代日本の源流を探る『忘れられた日本―沖縄文化論』(1961)、聖地での祭と人々の営みを紹介する『神秘日本』(1964)である。
【第3章:万国博前夜―《明日の神話》と《太陽の塔》】
1967年5月、1970年日本万国博覧会のテーマ展示プロデューサー就任を打診された岡本は、「人類の進歩と調和」というテーマに否定的であった。同博覧会の基幹施設プロデューサーであった丹下健三の大屋根を突き破るプランを構想する「祭りとは、そこぬけに明るい喜びであり、無用的なエネルギーの消費であり、爆発的な命の燃焼である。だから、世界を舞台にしたお祭りである万国博のテーマ展示は、べらぼうな魅力にあふれた、なんだこれはと驚きあきれながら、ついつい引きずり込まれ、にっこりうれしくなってしまうようにしてみた」。あるいは、「無邪気に驚き、喜び、われを忘れる。日常のわくやこだわりを全部捨て去る。そして心身ともに平気でカラッポになる。それが肝心だ。膨大な費用をつぎ込んだこのすごい施設は、みんなカラッポになるための装置だと考えた方がいい。カラッポにすると、次の瞬間、真空状態の容器をあけたとたんに、爆発的に祭りの空気が押し入ってくるように、猛烈な新しい生命がわきおこる。質的転換が行われるのだ」と、後に岡本は万国博の広報誌にコメントを寄せている。1967年7月、欧米や中南米を巡りながら《太陽の塔》の外観デザインを検討する最中、メキシコシティに建設するオテル・デ・メヒコのロビーを飾る壁画の制作をマヌエル・スアレス(Manuel Suárez)に依頼された。《太陽の塔》と、原爆の炸裂する瞬間をモティーフに、その惨劇の乗り越えることを訴える壁画《明日の神話》の制作とは同時に進められた。
【第4章:太陽の塔の地下空間】
1970年日本万国博覧会のテーマ展示は、太陽の塔を含む3つの塔、大屋根、地下展示で構成された。地下・地上・空中がそれぞれ過去・現在・未来を象徴し、生命の樹を内包する。太陽の塔は3つの階層を縦に貫く。「進歩といえば当然、未来を考えるわけだが、その像は実は現在の投映である。さらに人間の奥深い根源にあるものを瞬間瞬間にふりかえって、その土台から未来を勧化手いかなければ空しい。といっても、また古いものを郷愁的に讃美するのではなく、未来をつかみ取る新しい眼で人間の過去、そして伝統を再発見するのだ」。テーマ展示のうち過去を象徴する地下空間では、生命の誕生から人類の歴史を解き明かす。高さ50mの《生命の樹》に292体の生命模型を誕生順に配することで40億年の生命の歴史を表現した。「〈ひと〉の空間」では、洞穴の手形、埋葬遺跡、狩猟採集生活により古代人の生活を再現した。「〈いのり〉の空間」では、祈りを捧げるという人間特有の営みにの生々しさを体感させるべく仮面や神像を並べた(蒐集品は国立民族学博物館に収蔵)。昭和女子大学光葉博物館所蔵の仮面と、武蔵野美術大学美術館・図書館民俗資料室の生活用具などにより、太陽の塔の地下空間を再現する。岡本は、韓国の仮面が「それが舞い踊る、祭り全体のイメージを夢見る。半島の民俗芸術にはそのような全体的な流動感、表情が強い。物であるというよりは、より純粋に時間と空間だ。音、動き。それは面であると同時に、民謡であり、民族舞踊でもあるのだ」と述べている。《ノン》、《樹霊Ⅰ》、《戦士》など岡本太郎の彫刻、太陽の塔とテーマ展示を再現した映像作品《甦るVR太陽の塔 Ver.7》の上映も。