展覧会『金子葵「魔法クラブ2」』を鑑賞しての備忘録
下北沢アーツにて、2025年7月2日~13日。
観光地の華やかな時代の面影を残す装飾が施された建物などに着想したキッチュな世界を起ち上げる、フュージョン料理的絵画で構成される、金子葵の個展。
《Daydream》(910mm×1167mm)には、陶磁器の窓絵のように枠の中に描かれた花の絵が所狭しと飾られた青や緑の壁と橙の天井の室内に、緑色の階段、スワンの玩具(あるいはおまる)、池、山並を描いた書割のある天蓋付の舞台を描いた作品。キッチュなアジア・テイストの室内のイメージは、赤い花を並べた青い縁の中によって囲まれ、室内に設けられた舞台と入れ籠である。描かれたフレームと同様のデザインの縁飾られた壁もまた同様の関係に立ち、陶磁器のデザインとの類似は、壺中の天を想起させる。壺の中に花を活けた壺を描いた《Pottery》(530mm×455mm)、あるいは擬岩のある池(山を描いた絵=窓との内外の反転)や魚を描いた額絵(ヨナを呑み込んだ魚への連想)を飾った室内を描く《Whisper》(727mm×910mm)などからも、作家の入れ籠構造や壺中の天に対する意識が窺える。ところで緑の階段は一番上の段の先が高めに仕切られており、この階段を使って空間に出入りすることが想定されていない(《Wedding reception》(727mm×910mm)でも中央に設置された衝立の脇に緑色の階段があるがやはりどこにも通じていないように見える)。作者不在の超芸術「トマソン」の一種「純粋階段」に比せられよう。翻って階段のある空間そのものが、美しく保存された無用の長物「トマソン」的である。それもそのはず、作家は観光地の華やかな時代の面影を伝える老朽化した建物のイメージを下敷きにしているのである。訪れる者のいない空間、演者のいない舞台、その装飾。過剰さは意図や合理性を超える。それで構わないのだ。なぜなら、無人の空間・舞台は、来世ないし天国に、すなわち超越者に捧げられている。言わば、「お客様は神様」である。
《Cloudy》(530mm×802mm)は、2階建ての陸屋根の建物を描いた作品。本作も室内を描いた作品同様、半ば抽象化された花の文様を遇った縁を表わし、窓絵のようにしてある。建物の外壁や窓も、室内の壁や天井に描いていたのと同様の装飾が施され、出入り口も見当たらない。建物は閉鎖されている。ところで、縁に沿って宙空に浮く装飾が施され、かつ庭の飛び石が建物の2階に向かって浮き上がり連なる。神に捧げられた舞台に到達するためには、想像力を駆使して出入り口のない建物に入らなくてはならないということを暗示する。言わば魔法の使用が、無観客の演劇を楽しむ倶楽部への入会資格なのだ。
《LOOP》(727mm×606mm)は画面を大きさ・形の異なる4つの矩形に分割し、それぞれに建物、花、オウムガイ(?)、花を配する。2階建ての建物はやはり装飾により窓や出入り口が封鎖されている。そして、オウムガイによって示される、巻貝の構造である。出入り口のない建物と螺旋構造との組み合わせは、無限螺旋、すなわち永久機関を想起させる。不可能を可能にすること。それが魔法を操る作家の狙いである。