映画『逆火』を鑑賞しての備忘録
2025年、日本製作。
108分。
監督・原案は、内田英治。
脚本は、まなべゆきこ。
撮影は、野口健司。
照明は、後閑健太。
録音は、高田伸也。
スタイリストは、川本誠子。
VFXは、若松みゆき。
音響効果は、堀内みゆき。
編集は、小美野昌史。
音楽は、小林洋平。
ビルや集合住宅が密集する地域。昼間、誰もいない屋上にジャージ姿の女性が姿を現わす。
1年前、野島浩介(北村有起哉)は、新進気鋭の映画監督・大沢祥平(岩崎う大)の次回作『ラスト・ラブレター』にチーフ助監督として参加し、撮影準備に追われていた。
撮影1ヶ月前。
野島浩介がロケハンの行われている老朽化した2階建てのアパルトマンに向かう。スタッフに次々と声をかけられる。浩介さん、ここってまだ時間かかりそうですかね? 時間かかると思うよ。じゃ、次の物件遅らせておきます。お願いします。浩介さん、照明なんですけど、ここって作りのデイシーンとかってありそうですか? 撮影はまだ1ヶ月先なんだから、そんなの分かる訳ないじゃん。技師さんに言っておいて。了解しました。ここでスチール撮らせてもらっていいですか? いいよ。お願いします。おはようございます。ねえ、カメラ、スキャン違くない? 4500って言ってなかったっけ? なぜ5600になってんの? 撮影監督の斉田夏織(岡谷瞳)がアシスタント(青波澄)に注意する。すいません。ちゃんと自分で考えてやらないと駄目だよ。分かりました。カメラテスト行けそう? はい。浩介さん、部屋の中も後で撮ってみたいんだけど。メインロケハンまだ残ってんじゃん。ちょっとだけ。浩介がアパルトマンの階段まで来ると、階上のセカンド助監督(辻凪子)から声がかかる。浩介さん、ちょっといいっすか? アクション部の階段落ちなんですけど、ここで足を滑らせて、ゴロンゴロンってなって、ここで俯せですか? それとも仰向け? それ監督に聞いてくるから。浩介が階段を上る。
おはようございます。プロデューサーの橘郁美(片岡礼子)がアシスタントプロデューサーの丸岡恵美(金野美穂)とともにロケハンに姿を現わす。野島君いる? 現場です。ありがとう。2人が階段を上がる。野島君! おはようございます。まだあるんですねえ、こんなとこ。監督の要求が細かくて苦労したらしいですよ。制作部さんのお手柄ですよね。それでね、この前言ってた、病室のセット建てるって話なんだけど、やっぱり予算的に無理っぽいのよ。はあ。今回だってこんないいアパート見つけられてるんだから。ロケセットで何とかならないかな? いや、それ、プロデューサーから監督に直接言って下さいよ。だよね。
アパルトマンの1室では大沢監督が台本を手に考え込む。やっぱセット組みたいっすね。ですよねえ。重要なシーンだから。ここはやっぱり。…分かりました、じゃあ1度電話してきます。お願いします。橘が出て行く。浩介さん、有紗ってスマホ持ってましたかね? サード助監督の三船蓮(小松遼太)が尋ねる。監督に聞いて。監督、有紗さんのスマホ、どうしますか? えっ、どうって? スマホ持ってたら、貧乏に見えないかなって。そう? 貧乏だから持ってないって発想の方が僕はおかしいと思うけど。ですよね、じゃあ、ありで。斉田の息子たくみ(吉本凪沙)が駆け込んでくる。ママのとこいたいって。外で遊んでなさいって言ったでしょ。つまんない。いつでも連れてきて下さい。
野島浩介(北村有起哉)は一度は通信社に勤務したものの退職し、映画監督を目指している。提出した企画書がプロデューサーの橘郁美(片岡礼子)の御眼鏡に適い、夢に一歩近付いた。浩介は新進気鋭の映画監督・大沢祥平(岩崎う大)の次回作『ラスト・ラブレター』にチーフ助監督として参加する。原作は、起業家・小原有紗(円井わん)の同名ノンフィクション。働きに出た母親(島田桃依)に代わり中学生で父親(三島ゆたか)の介護をした経験を高校時代に綴って東アジア生命「未来へつなぐ作文コンクール」で大賞を獲って話題となり、ヤングケアラーの日々を述懐した書籍が上梓されたのだ。大沢監督は映画化で社会問題に関心を深めてもらうとともに現役のヤングケアラーに希望を与えたいと意気込んでいる。裏取りで有紗の伯父(世志男)から父親の墓が無いと知り訝しんだ浩介は、有紗の同級生に接触し、ある噂を聞かされた。浩介は2人に紹介された美緒(田中梨湖)をガールズバーに訪ねて噂の真偽を確認する。そこで系列のコンカフェの面接に来た高校生の娘・野島光(中心愛)に出会す。光は映画の犠牲になったから自分で稼ぐ他無いと言う。浩介は光を帰宅させると妻の野島幸(大山真絵子)に仕事を休んで光を見張るよう言い付けた。浩介から原作は真実と乖離していると知らされた撮影監督・斉田夏織(岡谷瞳)は、映画が流れるのではと動揺する。既に主演女優漆原みゆき(中島もも)らのリハーサルが重ねられ、スタジオのセットも組まれようとしている。浩介はこのまま撮影することはできないと悩む。
(以下では、全篇について言及する。)
映画の制作を描くことによって、映画の意義を問う映画。
小原有紗は中学時代、働きに出た母の代わりに、倒れた父親の介護を担った。友達づきあいもできず、父親の「ありがとう」の言葉だけを頼りに甲斐甲斐しく世話した。ある日、買い物に出た有紗が帰宅すると、アパルトマンの階段の下に父が倒れ、傍らには傘が落ちていた。雨が降り始めたため、父は娘に傘を届けようとしていたのだ。父の死後、有紗のために父が生命保険をかけていたことを知る。有紗は父のお蔭で高校に進学する夢を叶えることができた。これが小原有紗のノンフィクションを原作とする、映画『ラスト・ラブレター』の粗筋だ。ところが浩介は、有紗の伯父から、有紗の父親の墓がないことを知る。調査を進めた浩介は、有紗の中学時代の同級生・美緒とともにパパ活を行っていたことを知る。さらに生命保険も母親がかけていたもので、保険金がおりる前から母親は金遣いが荒くなっていたという。
有紗は、浩介に対して、あっさりと事実を認める。東アジア生命「未来へつなぐ作文コンクール」に応募したのも副賞の7万円のためだった。美しい話でなければ、大賞は穫れない。しかも、有紗は作文を書いているときは楽しかったという。暴力を振るう父親を放置すれば、家は汚れるばかり。陰惨な現実とは違う世界を有紗は夢想したのだった。しかも内容の真正性は応募の条件ではなかったのだ。
浩介の娘の光は学校で居場所がなく、トー横で友達とつるんでいる。深夜でも家には帰って来るからと見逃していたが、朝まで帰ってこない日もよくあるようになった。美緒への聴き取りのために訪れたガールズバーで、系列店のコンカフェのアルバイトに来た光に出会す。光は自分の夢のために仕事を辞めて家族を苦しい生活に追いやったと浩介を詰り、足りない金を自分で稼いでいるだけだと言い放つ。
浩介は妻の幸に家事や光の面倒を任せ、家でも映画の仕事に没頭する。自分の言いたいことだけを言い、ろくに理由も説明しない。そんな唯我独尊の浩介を光は目にしてきたのだろう。ダイニングのテーブルに1人坐る妻、隣接する部屋に一人坐る浩介という寒々しい自宅の風景。光画居間に顔を出すことなく自室に引き籠もるのも無理は無い。浩介の家族は崩壊している。
ニュースサイトの荒瀬(岩男海史)に、小原有紗の真実を伝えようとしていたところで、幸から光の出演するポルノ映像が送信されてきた。浩介は幸とともに歌舞伎町に向かい、道路で仲間と屯していた光に激昂し、家に連れ帰ろうとする。そのとき、有紗の仲間たちがDVだと動画を撮る。止めろと訴える浩介。有紗もDVだと笑って父親にスマホを向ける。
光や仲間たちは浩介のドキュメンタリーを撮っている。すなわち、映画を撮る浩介と同じ存在なのだ。浩介の映画と、光の仲間達の動画との間にどんな違いがあるというのだろう。浩介には果たして撮影をとめる権利があるのか。娘のスマホ=キャメラを踏み付けて破壊する浩介は、娘の大事なものに価値を認めていないことを示してしまう。
大沢監督は、多くの人が映画の制作に関わっていることや、ヤングケアラーの問題を訴えることができる点などを挙げ、もっと早い段階で判明していればともかく現時点の中止は無いと判断する。浩介はヤングケアラーを描いたとして、当事者は映画を見るだろうかと疑念をぶつける。映画を見る金なんて持っていないだろうし、あったとしてもアニメーションやアクション映画を見るだろう。貧困を扱う映画は文化資本を継承できた者の自己満足に過ぎないのではないかと。
楠プロデューサーも中止による損失は大きい上、事実に沿う内容では誰も見ないと脚本の書き換えも否定する。アシスタントプロデューサーの丸岡が浩介に同調して理想論を訴えると、自分で金を出して映画を撮ってから言えと一蹴する。
クランクイン当日のロケバスに乗り込むスタッフたちに対し、一人歩く浩介の姿によって、浩介の選択が示される。
そして、浩介は監督となる。
浩介は自らの夢を叶えることができた。だが浩介の家族はその踏み台になった。光のいなくなった光の暗い部屋。それは美談=嘘の無い映画のメタファーではないか。コマ送りのため半分闇という映画の本来的な構造からしても、映画から虚構を取り除くことは出来ないのではないか。人は事実のみに生きるのではない。光は虚構の世界に生きることで現実をやり過ごそうとしたのである。光は好きなアニメーションのキャラクターと同じピンクに髪を染め、その世界に殉じた。