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芸術鑑賞の備忘録

展覧会『「時代に生きよ、時代を超えよ」―川口黎爾の直視』(後期)

展覧会『「時代に生きよ、時代を超えよ」―川口黎爾の直視』(後期)を鑑賞しての備忘録
慶應義塾大学アート・センターにて、2025年7月9日~8月8日。

川口黎爾の蒐集品から、アントニ・タピエス[Antoni Tàpies]、スタンリー・ブラウン[Stanley Brouwn]、イミ・クネーベル[Imi Knoebel]、ハンネ・ダルボーフェン[Hanne Darboven]、ブリンキー・パレルモ[Blinky Palermo]、アナ・メンディエタ[Ana Mendieta]の作品を展観。タイトルは、作品鑑賞において優れた洞察力を発揮した川口黎爾が「直視」を「まなざし」と書いたこと、その蒐集品の核となる作家・藤牧義夫(戦前日本の作品を展観した前期(6月9日~7月5日)で紹介)が残した「時代に生きよ、時代を超えよ」という言葉に因む。会場では、渡部葉子の論考「時代に生き、時代を超える」と作品図版とを収めた冊子が配布される。

アナ・メンディエタのカラー写真《シルエッタ作品:メキシコ(GP#0420-11)》(500mm×337mm)[1973-77]は、岩で囲まれた空間の底の地面に作家の身体を象るように花と葉を並べた光景を捉えた作品。左側には坑道の入口が見え、右手にはその坑道を塞いでいたものか石板が見える。身体の輪郭を形作る花と葉とは、棺の遺体を飾る花のようだ。脚を閉じる一方、両腕を開いている輪郭は、クリオネのようでもあり、身体の不在はその飛翔によるものではないかとの想像を搔き立てる。《シルエッタ作品:メキシコ(GP#0420-6)》(339mm×500mm)[1973-77]には波打際の砂に花で両腕を拡げた人の姿を表わした場面が収められている。下半身に当たる部分が消え、画面左側に花が寄っているのは、砂の色味の違いからも、花が波に攫われたからだと知られる。波打際という生と死との境界で、今まさに消えつつある、自然に還りつつある存在を表わしている。モノクロ写真の《無題》(492mm×392mm)[1978]は草地の上に残る人形(ひとがた)を映した作品。人の身体を曖昧に表わす部分は、色味の薄く葉の小さい草が生えている。その周囲には色が濃く葉の大きい草が蔓延る。人の身体を象った板などを一定期間設置して作り上げたものではなかろうか。遺体の存在を強く喚起するイメージは九相図にも通じる。《無題》(166mm×112mm)[1982]は木の葉に女性の身体を文様のように描いた作品。乳房と腰が強調された土偶のようなイメージは、頭部、胸部の2つの乳房、下半身の陰部の渦によって呪術的な印象を生む。海や大地に還る死のイメージに対し、土偶ないし地母神による生の主題が浮かび上がる。

イミ・クネーベル《ブラック・ペインティング》(300mm×210mm×70mm)[1991]は、ファイバーボードに切れ目を入れ、黒い絵具を塗り付けた作品。画面には厚みある板が取り付けられ、厚みが70mmあり、箱状である。一部には穴が開き、穴越しに背後の展示室の壁が覗く。塗り付けられた黒い絵具も一部が盛り上がり、物としての存在感を放っている。特別出品の《四角いファイバーボード(カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチへのオマージュ)》[1991](大谷芳久蔵)も箱形であるが、やや塗り斑が見られるものの黄土色で塗り籠められた曖昧な画面が《ブラック・ペインティング》とは対照的である。動と静と対立しながらも、両作品とも廃墟や混沌を介して死を想起させる。

スタンリー・ブラウンの《5 steps 1:1, on 1m1:1》(479mm×200mm)[1974]は、1mmから1000mmまでを100mmずつ10個のブロックで記した作品。771mm、773mm、774mm、777mm、778mmの5ヵ所に赤い下線が引いてある。作家の歩幅を記録したものという。《1x1foot, 1/2x1/2foot, 1/4x1/4foot》(260mm×655mm)[1989]は、サイズの異なるアルミニウム製の正方形の板を並べた作品。長さの単位とともに足を表わすfootは、ル・コルビュジエ(Le Corbusier)のモデュロール(Modulor)を想起させる。3枚の存在は世界の全てを表現できる三人称に通じ、なおかつ一辺の長さを半分(あるいは倍)に並べることで無限の縮小(あるいは拡大)を暗示する。極大と極小のどこまでも拡がる世界に、自らの生を刻印している。

ハンネ・ダルボーフェンの《無題》(559mm×737mm)[1973]は、鉛筆で18行の波線を引き、それぞれの波線を1本の直線で消去したものを4枚並べた作品。波線は寄せては返す波を介して永遠を想起させる一方、消去線に着目すれば心電図の波形とそれが平坦となることにより死を思わずにはいられない。

ブリンキー・パレルモの《無題》(665mm×500mm)[1974]は赤い矩形と緑の矩形をずらして並べた作品(グラノリトグラフ)。補色という対照を示しつつ、緑の矩形がやや細長く対称が崩されている。生と死とを抽象的に表わしたものと捉えることは可能であろう。方眼紙に黒い矩形を連ねたイメージを表わした《無題》(620mm×480mm)[1969]は、方眼紙の左上にドッグイアを施し、イメージにおいても折曲げを意図する書き込みがある。反転が意図されている。

アントニ・タピエスの《版画作品》(735mm×539mm)[1974]は意見すると数学の授業の黒板のようなイメージ。黒い画面に白い文字や記号の描き込みがあるが、もともと白い紙に黒で書き込んだものが反転したようである。ここにも反転がある。また、紙を折り曲げた跡のような十字が白くぼんやりと画面に現われ、聖性の顕現を想起させる。