展覧会『大人倫菜個展「Solitaire in Dreams」』を鑑賞しての備忘録
Art Space 銀河101にて、2025年8月1日~8月8日。
色についての物理学的な事実を把握しつつ白黒の環境で生活してきたマリーが初めて色を眼にするときに何が起こるのかという、フランク・ジャクソン[Frank Jackson]の思考実験「メアリーの部屋[Mary's Room]」を下敷きに、思春期の少女マリーの暮らす白黒の部屋を設営し、その部屋の内部で彼女の見る夢を絵画作品などにより提示する、大人倫菜の個展。
2つの部屋で構成される。
最初の部屋には、3枚の絵画を載せたキャビネットが置かれ、その抽斗には、マリーの見る夢をモティーフにした絵画《Ido》・《Wtch's Shadow》・《In the Flower Field》・《Teenager's Profile》・《Counting Goats》・《The Mountains of My Father》・《Prince in the Spring》・《Kitty with the Key》、《Cradle Land》などが収められている。マリーがネズミと草原にいる絵や、チェス盤の絵などからは、『不思議の国のアリス[Alice's Adventures in Wonderland]』のような世界観が連想される。
壁際の備え付けの棚にはプレイングカード5枚とプレイングカードを象徴する52の円を描いた紙とが置かれ、奥の壁には影絵遊びが投映される。影絵の映像では、夢が思考の「ソリティア[Solitaire]」(独り遊び)であること、マリーが毎晩見る夢の中で、不在の父に手紙を届ける冒険に赴き、4つの「束縛するもの」に出会う、人生確立のための物語を繰り返し見ることが説明される。
もう1つはマリーの寝室で、灰色の床と灰色の壁に囲われた部屋は角に置かれたテーブルランプだけに照らされ、鑑賞者が壁際の黒いベンチに坐り、天井に持ち上げられて固定された寝台の裏側を見上げるように設えられている。
白黒で統一された暗い展示空間に投映される影絵遊びの映像は、「洞窟の比喩」を想起させ、部屋で白黒の本を読み白黒テレビを視聴するマリーだけでなく、人間の認識の限界にも言及するようだ。体験を伴わず、統計データを繋げただけの記号接地しない情報はAIのメタファーと解され、AIが人間に近付くというより、人間がAI化している状況を揶揄するようである。
《Ido》はマリーが顔の前に巨大な手鏡を抱えているが、そこには映らないはずのマリー自身の姿が映し出される。真実を曝く鏡は、マリーの欲望[Ido / Es]を露わにするのだろう。「私はジョーカーで、2枚ある」とマリー自らが述懐する通り、マリーは自我[ego / das Ich]とイド(エス)とで成り立つのだろう。ならば不在の父親は超自我[super-ego / Über-Ich]であり、マリーは自らを確立するために父親=超自我に会いに出かけようとするのである。
ジークムント・フロイト[Sigmund Freud]が下敷きなら、欲望は何より性慾となる。魔女に突き付けられる刃物、泉に現われる王子、ネズミの持つ鍵などからは破瓜が連想される。セックスのメタファーである寝台が浮いているのは、性体験が無いために記号接地していない性に関する情報ということになろう。