可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 佐藤絵莉香・福原優太二人展『SPOT』

展覧会『佐藤絵莉香・福原優太二人展「SPOT」』を鑑賞しての備忘録
下北沢アーツにて、2025年7月26日~8月11日。

卑近な光景のゲニウス・ロキ[genius loci]と自らの印象とを動物などの姿に仮託して描く佐藤絵莉香と、自動車の車窓越しの眺めなど流れる景観から擦過傷のように残された印象を画面に定着させる福原優太との二人展。ありふれた景観をモティーフとした両者の作品が調和して一体感がある。

佐藤絵莉香
まぼろし》(910mm×606mm)は、川辺に生えるヒメムカシヨモギ(?)越しに川面を泳ぐアヒルの姿を捉えた作品。画面の下端から8割近くまでの高さまでヒメムカシヨモギが茎を伸ばし、その周囲にも丈の短い草が蔓延っている。アヒルは一番高い中央のヒメムカシヨモギの先端に接するように配され、水面に波紋を拡げている。一見明るい画面だが、宵闇が迫っているらしい。というのも、真ん中のヒメムカシヨモギと重なるようにタワーマンションの影が、部屋の灯とともに水面に映り込んでいるからだ。帰化植物の繁茂と川岸に立つタワーマンションとのアナロジー。「たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり」と方丈記にあるように、高層建築を水鏡に表わす。人の生は「淀みに浮かぶうたかた」であること、すなわち「まぼろし」に等しいことを、アヒルは、《Bayside》(333mm×242mm)の砂浜を滑空するカモメのように、達観するのである。
《お前は自由だ》(333mm×242mm)は、鉄条網越しに描いた対岸に立つ工場の景観に、カラスの姿を重ねた作品。画面下部には暗緑色の海に立つ波と重なるような有刺鉄線の円の連なりを描き、その最上段に沿って対岸お埋め立て地に立つ工場の建物群が表わされている。中央に立つ煙突は炎を上げている。フレアスタックである。その上には薄曇りの空が拡がる。画面全体にカラスが目・鼻・嘴を除いては輪郭線だけで戯画的に表わされている。煙突の尖端で赤々と燃える炎が秘められた情熱を表現する。21世紀の枯木寒鴉図である。因みに、《巣みたいな工場》(333mm×242mm)では、工場の建物に張り巡らされた配管などを蜘蛛の巣に見立て、糸を垂らしてぶら下がる蜘蛛を垂らしている。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を踏まえれば、蜘蛛の糸はお釈迦様の垂らしたもの。自由(極楽)への頼みの綱となる。また、カラスは《マリーナ》(333mm×242mm)において、枯れ木に留まる3羽がヨットと組み合わさることで、恰もマストに佇むように表わされる。ヨットが出て行く海もまた自由の象徴だ。それに対し、《溜まり場》(333mm×242mm)では、背の高いコンクリートブロックの塀は落書きで覆われ、またブロック塀の先も空を覆うように樹木が生い茂り、塀の脇のカラスが自由に飛び立つことができない。

福原優太
《Over Umihotaru》(652mm×910mm)には、高台から水田を見下ろした雨の日の風景が描かれる。手前にコンクリートの低い壁があり、その向こうにいくつもの長方形に区切られた、田植えを終えてから比較的日が浅い時期なのであろう、まだ若い稲の田が黄緑色をして並ぶ。農地の右側の高台にはガードレールで仕切られたS字の道路が茶色い路面を見せて、緑で覆われる世界に変化を与えている。農地の奥には深緑の森が拡がり、厚い雲が覆い被さる。ちょうど大きな雨粒がパラパラと降ってきたところらしい。画面を穿つような円形が画面に点在する。雨滴は光の粒でもある。
《Passing Nightscape》(1303mm×970mm)は、高台を走る自動車から夜の街を一望した作品。手前の斜面に立つ3、4本の円錐形の針葉樹が視界を塞いでいる。その隙間から黄やオレンジの街の灯が、画面最上段の地平線まで拡がる。のっぺりした灰青の夜空と地平線との境にはピンクの光が仄めく。《Passing Nightscape》という画題と、画面下端に水平方向に延びる白い帯により、走行する自動車からの眺めであることが分かる。もっとも、近景の並木はうねるような太いタッチで塗り込められているものの、ガードレールのように流れ去る景色に溶けてしまうことなく円錐の形状を保つ。写真を元に描かれた風景ではないようだ。
夜を描くことに関心があるらしい。《Untitled》(530mm×455mm)では、夜の暗い海面に対岸の街の灯が照り映える。《Tama River》(333mm×242mm)では、息を殺し身を潜めるように、灰青の夜空と同じ色の川が、対岸の目映い光の影に隠れる場面が描かれる。同題の別作品《Tama River》(273mm×220mm)では、木の間から、川の対岸の木陰にある人家の光を描いている。《By That 7-Eleven》(273mm×220mm)は、コンヴィニエンスストアと道路を挟んで向かいの白い木肌の植栽に映る、緑やオレンジの光を表わした作品である。
これら夜の景観に共通するのは、対岸への眼差しである。夜は彼岸、冥府への連想を誘う。それだけではない。夜だからこそ、向こう側に光が見える。イデアを追究する作家の姿勢が作品に反映されている。《Untitled》(333mm×242mm)は緑地に立つ1本の木をオレンジ色などで表わした作品だが、一見すると木の葉に見えるものは、裸木の背面に並ぶ緑であることに気付く。背景のくすんだ水色は空ではなく水面であるらしい。枝の背面の緑は中洲なのだ。ならば此岸に立つ樹木はその中洲を越えて枝を伸ばしていることになろう。この樹木は、(画面には表わされていない)不可視の対岸の光(=イデア)を求める作家の似姿なのだ。