映画『MELT メルト』を鑑賞しての備忘録
2023年、ベルギー・オランダ合作。
111分。
監督は、フィーラ・バーテンス[Veerle Baetens]。
原作は、リゼ・スピット[Lize Spit]の小説"Het smelt"。
脚本は、フィーラ・バーテンス[Veerle Baetens]とマーテン・ロイクス[Maarten Loix]。
撮影は、フレデリック・フォン・ザンディク[Frederic Van Zandycke]。
美術は、ロベ・ヌイテンス[Robbe Nuyttens]。
衣装は、マニュ・フェルシューレン[Manu Verschueren]。
編集は、トーマス・ポータス[Thomas Pooters]。
音楽は、ビョルン・エリクソン[Bjorn Eriksson]。
原題は、"Het smelt"。
ブリュッセル。アパルトマンの一室。薄暗いダイニングキッチン。椅子に腰掛けたエヴァ(Charlotte De Bruyne)が卓上の箱を右手でゆっくり押しやる。箱は落ち、中身が砕ける音がする。
エヴァが冷凍庫のプラグをコンセントに挿し込み作動させる。バケツに水を汲み、冷凍庫に入れた青い箱に水を注ぐ。青い箱を水で充たすと、冷凍庫の蓋を閉める。
目抜き通りに面したバルコニーに出る。陽が沈もうとしていて、建物はシルエットとなり、街灯が灯り、数多くの車が行き交うのを眺める。
写真スタジオ。エッフェル塔の背景幕の前で、カメラマンに促され、カップルが熱烈なキスを交わす。レフ板を構えるエヴァにカメラマンがもう少し高い位置に光を当てるよう指示する。カメラマンが2人を褒めながらシャッターを切っていく。
2人の世界に入ってたな。撮影を終えたカメラマンが笑う。飲みに行かないか? 無理です。妹と予定があるから。本当に妹なんているの? それとも言い訳? 妹は実在します。僕に問題があるのかな?
エヴァがスタジオを出る。目の前の路地をデモの若者達が通り過ぎるのをやり過ごす。
ダイニングキッチンのテーブルでエヴァが妹のテス(Femke Van der Steen)と食事をとっている。本とスマートフォン、あとは何を持ってたか分からないけど。本当、無理だった。その後はうまくいったよ。みんな大笑いだったから。テスが笑う。じゃ、行くね。泊まっていかないの? ごめん。今日、部屋の鍵を受け取るの。一緒に来る? パパとママも来るわ。そんな顔しないで。両親に会うのは私の勝手でしょ。泊まらないから怒ってるの? 新しい部屋で寝たいって分かるでしょ? 怒ってる? 大丈夫。怒ってるよね? 大丈夫。引っ越しの時に会おう。
テスがコートを着る。水槽の亀に声をかける。モリー、寂しくなる? 私は寂しい。残りは土曜日に持って来てくれる? 全部は運べないから。もちろん。モリーは置いていくの? この部屋に慣れてるから。次泊まる時は映画見たり楽しいことしよう。キスして。愛してるわ。土曜にね。テスが出て行く。
エヴァはテスとの2人の写真をプリントしたマグカップを箱にしまう。ラップトップにティム・フータルス(Spencer Bogaert)から招待状が届く。「デフェルム」開店祝いとヤン・フータルス追悼を兼ねたイヴェントだった。「過去は記憶に未来は手に」と英文が添えられていた。スクロールすると、ティムとヤンとの子供の頃の写真、ティムがデフェルムの前で家族と撮った写真が並んでいた。精肉店のラウレンス(Laurens)と彼の母マリー(Femke Heijens)がツマミを提供するというメッセージも写真付きで掲載されていた。エヴァは動揺し、涙が溢れる。
エヴァはバルコニーに出て、冷たい空気を吸う。夜の通りに、サイレンの音が響く。
朝、再びエヴァはバルコニーに出て、外の空気を吸う。
改めてティムからの招待状を眺める。「時が経つのは早い、エヴァ、ラウレンス、僕、三銃士!」とのコメントを添えた、子供時代のエヴァ、ラウレンス、ティムが並んでいる写真があった。
きつくなった水着を着たエヴァ(Rosa Marchant)が鏡に映る自分の姿を眺めている。用意できた? 家の外から妹のテス(Amber Metdepenningen)が姉を急かす。
エヴァが、眼の絵を切り抜いて貼り付けた水中眼鏡を着けたテスを荷台に乗せて自転車を走らせる。もっともっと速く! テスが興奮して叫ぶ。
精肉店ではマリーが梯子に登って看板を拭いていた。こんにちは。こんにちは、マリー。ラウレンス、エヴァが来たわ。お休みに入って嬉しい? マリーが2人を抱き締める。マリーはエヴァだけに小声で話しかける。成績が良かったって? 内緒よ。マリーはエヴァに封筒を渡す。ありがとう。水着が小さくなったわね。お母さんに新しいのを買ってもらいなさい。あの子はまた待たせてるね。そこへラウレンス(Matthijs Meertens)が自転車に乗って現われる。テスが私の目が変になったと訴え、写真を撮るようにラウレンスに強請る。マリーは息子のバッグから菓子を取り上げ、4時までに帰って来るように言い付ける。汚水槽には近付かないのよ。みんなも、いい? 楽しんできなさい。3人が燥ぎながら自転車で町を出てティム(Anthony Vyt)の農場へ向かう。
ブリュッセル。26歳のエヴァ(Charlotte De Bruyne)は写真スタジオで助手として働いているが、気を遣ってくれるボスとうまく関係を築けない。同居していた妹のテス(Femke Van der Steen)が転居し、引っ越しの手伝いにテスの新居に向かったが、疎遠の母と父がいた。テスに帰ると告げると引越し祝いの姉妹の写真をプリントしたマグカップを突き返されてしまった。久しく戻っていない故郷ボーフミアで、幼馴染みのティム(Spencer Bogaert)が亡き兄ヤンの追悼を兼ねた開店記念イヴェントを催すという通知が届いた。エヴァは氷塊を用意すると、亀のモリーの水槽とともに車に積み込む。
ボーフミア。13歳のエヴァ(Rosa Marchant)は、稼ぎの悪い父親(Sebastien Dewaele)と諍いが絶えず始終酒瓶を放さない母親(Naomi Velissariou)との仲を取り持ち、妹のテス(Amber Metdepenningen)の面倒を看ながら暮らしていた。エヴァは女の子たちとではなく、男の子たちと連み、ティム(Anthony Vyt)とラウレンス(Matthijs Meertens)とともに「三銃士」で通っていた。精肉店を営む、ラウレンスの母親マリー(Femke Heijens)はそんなエヴァを不憫に思い、いつも我が娘のように目をかけてくれた。女子に対する気遣いのできる、ティムの兄ヤンが汚水槽に落ちて亡くなり、またティムやラウレンスが女子に性的な興味を持ち始めるようになると、エヴァは自らを女の子として見てくれないティムとの関係に思い悩む。
(以下では、冒頭以外の内容について言及する。)
鬱屈するエヴァのとる奇妙な行動の原因が、エヴァが思い返す少女時代の記憶によって徐々に明らかにされるサスペンス。
父親は仕事で家におらず、家にはほとんど寝るために帰るだけ。酒浸りの母親は妹のテスばかりを可愛がり、エヴァに関心を持たない。エヴァが反発しても突き放されてしまう。
生活に余裕がない家庭に育ち、エヴァはテスとともにいつも短い髪型にさせられている。ティムが女子――女性の身体――に関心を持つようになっても、エヴァは友達だからと相手にされない。親戚のいる町に身を寄せることになった大人びたエリザ(Olga Leyers)にティムが興味を示すと、エヴァはエリザに近付き、化粧の仕方などを学ぶ。
(以下では、全篇の内容について言及する。)
エヴァは、エリザの愛馬トウィンクルにそこらに生える草を与えて可愛がるが、中に馬の腎機能に影響する植物が紛れ込んでおり、結果的に死に追いやってしまった。愛情を十分に注がれず、他人との接し方が分からないエヴァが他人との関係を破綻させてしまうことのメタファーとなっている。
エヴァは、ヤンを失った父親からお前が代わりに死ねば良かったと貶されるティムに、母親から愛されない自らの姿を重ねる。エヴァはティムに淡い恋心を抱いている。だがティムは「三銃士」のメンバーである男っぽいエヴァではなく、女らしい身体を求めて相手にしない。
愛馬トウィンクルの死の真相を知ったエリザは、トウィンクルを殺したエヴァを犯せばヤらせてあげると自分に執着するティムたちを誘惑する。エヴァは、ティムたちによって無理矢理犯される。エヴァは、恋心を抱いていたティムによって、エリザとのセックスという目的を果たすための単なる道具となる。言わば、ティムに二重に強姦されたのである。
だが何よりもエヴァの心を壊してしまったのは、娘のように可愛がり困ったことがあれば頼るように言ってくれていたマリーが、息子ラウレンスのレイプを隠蔽するため、救いを求めるエヴァを拒絶し追い返したことである。マリーは血の繋がる息子のためにエヴァを切り捨てた。だがエヴァは肉親によって保護されることはなかった(直接描かれてはいないが、両親との疎遠となった原因であるのは間違いない)。
ティムは招待状に"the future is in hands"と記していた。エヴァは未来までも奪われたにも拘わらず。マリーもラウレンスも精肉店に現われたエヴァに気付かない。気付いた後は動揺するも一切過去については触れず、開店祝いの話しかしない。謝罪はない。ティムに到っては、イヴェントに現われ思い出話をするマリーを遮る。自らの犯した犯罪に向き合わず、被害者エヴァに対して償おうとしない。とりわけ自らの欲望だけを満たそうとするティムの行動は、エヴァをレイプした時と全く変わっていない。
問題を時間が解決するのは、少なくとも何らかの解決の端緒が与えられた場合である。隠蔽は問題を冷凍保存してしまう。"Het smelt"とは、問題が解決するということではなく、むしろ氷付けにされていた問題が解けて現われることを指す。エヴァが血痕の残る下着を物証として持ち出すことに示されるように。
"Het smelt"というタイトルにも拘わらず、いつまでもずっしりとした氷塊が鑑賞者の心に解けず残ってしまう作品である。
映画『アイム・スティル・ヒア[Ainda Estou Aqui]』(2024)は、軍事独裁政権下で反対派を殺害しながら、未だ何の罪に問われずに安穏に暮らす者たちを指弾する。過去を無かったことにして未来に生きようとする者たちに対し、「それでも私はここにいる」と訴える同作は、本作と同じ主題を扱っていると言える。
少女時代のエヴァを演じたRosa Marchantが、疎外感に苛まれる辛い日々をやり過ごそうとしつつ、避けがたく苛まれる痛みを体現して見せた。
因みに大人になったエヴァを演じたCharlotte De Bruyneの出演作『トリとロキタ[Tori et Lokita]』(2022)も容赦ない。