映画『パルテノペ ナポリの宝石』を鑑賞しての備忘録
2024年、イタリア・フランス合作。
136分。
監督・脚本は、パオロ・ソレンティーノ[Paolo Sorrentino]。
撮影は、ダリア・ダントニオ[Daria D'Antonio]。
美術は、カーマイン・グァリーノ[Carmine Guarino]。
衣装は、カルロ・ポッジョーリ[Carlo Poggioli]。
編集は、クリスティアーノ・トラバリョーリ[Cristiano Travaglioli]。
音楽は、レーレ・マルキテッリ[Lele Marchitelli]。
原題は、"Parthenope"。
あなたの眼には輝きがないと、女優に言われた。でも、自由への情熱は燃え続けていた。人生は果てしなく拡がり、どこにいても迷ってしまう。
1950年。霧のかかるナポリ湾。霧が晴れると、車輪付きの寝台とともに台船に乗る「提督」(Alfonso Santagata)の姿が現われた。
ポジッリポの邸宅。車輪付きの寝台が部屋に置かれた。ヴェルサイユから運び込んだのだ、素敵な贈り物だろう? 「提督」が出産を控えたマギー(Silvia Degrandi)に訴える。寝ながらにして旅に出られるんだ。それは言い過ぎでしょう、と2人の子の父親になるササ(Lorenzo Gleijeses)が言う。私はライモンドともうすぐ生まれる娘の代父だろう? 「提督」がライモンド(Antonio Annina)を抱き締める。娘かどうかもまだ分かりませんよ。女の子だ、分かる。
夜、ライモンドがベッドに横たわる母親の大きなお腹に息を吹きかける。ライモンドは1人車輪付きの寝台を見に行く。
息んで! 邸宅前の海に浸かったマギーが産婆の指示を受けながら分娩している。ササやライモンドが浜辺で、使用人たちが屋敷の中から固唾を呑んで見守る。女の子だ! 拍手が起きる。言ったとおりだろう! 名前はどうします? パルテノペ、パルテノペにしよう!
1968年。パルテノペ(Celeste Dalla Porta)が海から上がる。海岸で煙草を吸っていたサンドリーノ(Dario Aita)が近付いて来る彼女の姿態に見蕩れる。彼女に煙草を渡す。オレンジ色の布を敷いて2人が坐る。海で泳いだ後の煙草の方がプールで泳いだ後の煙草より旨い。理由があるの? さあ。分かる? いいえ。人生の機微を知るにはまだ若すぎるのよ。ライモンドは? 春を迎えたの。それで? 裸のナポリを見学に行ったわ。パルテノペは熱い眼差しを注いでくるサンドリーノの胸にぶら下がる十字架に触れる。パルテノペが起ち上がり、サンドリーノに手を差し出す。行きましょう。サンドリーノが起ち上がる。手にしたオレンジの布が浜風に靡く。
車輪付きの寝台の中にパルテノペが裸で坐っている。入ってもいい? サンドリーノが尋ねる。駄目よ。廻りから眺めるのは構わないわ。
パルテノペがベランダに出て煙草を吸っていると、海上で練習していたレガッタの学生たちが目を奪われる。婚約しないか? サンドリーノが尋ねる。そこに未来は見えるの? 未来は私やあなたよりも大きいの。いつそんなことを思い付くんだ? 旅の途中で、馬車の中で。何を考えてるんだ?
大学の階段教室。教壇にはデヴォート・マロッタ教授(Silvio Orlando)と副査を務める助手たちが口頭試問のために居並ぶ。フランコ・アシオーネが呼ばれる。緊張する学生はトイレに行く許可を求める。大学でもう糞尿塗れだろう、坐り給え。パルテノペが笑う。病気の息子を抱えてるから意地が悪いんだと言われてますよ。私が知らないことを君は知っているのかね? 何も知りません。何も知らないのか。
パルテノペ・ディサングロ。パルテノペが呼ばれる。助手たちの中には彼女の美しさに賛嘆する者もいる。おはようございます。おはよう。教授の隣の助手から質問を受ける。グリアンの3つの要点は? 第1に個人、第2に個人の置かれる状況、第3に個人の置かれた状況への対処、です。アルチュセールについてはどう考えますか? 決定論者、構造主義者、文化学者同様、人類学的契機をイデオロギーと看做していますが、私は興味がありません。では何に興味が? マロッタ教授が尋ねる。グリアンです。文化とは精神的価値と物質的価値とを含む全体であり、糧食獲得から芸術創造まで実存的な諸問題に応答しようとしていることに感銘を受けました。助手たちの中に思わず笑う者がいた。私の答えが的外れで笑うんですか? 君は何でも知っているんだな。30点満点です。何も知りませんけど、全てに興味があります。何を知らないんだね? 人類学とは何なのか、分かりません。30点満点優秀だな。教授、人類学とは何ですか? 若い人たちは答えを求めるばかりで、問いの立て方がなっていないのだ。パルテノペが鼻で笑う。納得できないのかね? いいえ。ただ、ありきたりな常套句だと。人類学は人間の類型や様相を形態学的・心理学的観点から研究する科学だよ。それが正答ですか? いや、君の問いに対する答えに過ぎん。ありがとうございました。パルテノペが微笑んで席を立つ。
海を見渡すバルコニー。「提督」がペタンクの球を投じると、ビュットのギリギリに転がる。やっぱり「提督」が勝つ! ライモンド[Daniele Rienzo]が歓声をあげると「提督」が笑う。ライモンドが煙草に火を点ける。ところで、決心したか? 申し訳ないんですが、あなたの会社で父の跡を継ぐのには向いないと思います。親父さんが引退したら私の海運会社を任せてもいいんだ。父さんとは違いますよ。仕事を探さないとな。バルト海に向かう船に船員として雇って下さい。世界で一番美しい場所にいるのにどうして寒い世界に出て行く必要がある? 世界で一番美しい場所では幸せに何てなれないからです。
1950年。ナポリ。ポジッリポの海岸に邸宅を構えるディサングロ家のササ(Lorenzo Gleijeses)とマギー(Silvia Degrandi)の夫婦に娘が生まれる。息子ライモンド(Antonio Annina)の代父である、ササの経営する海運会社のオーナー「提督」(Alfonso Santagata)が再び代父となり、娘にパルテノペと名付ける。
1968年。美しく成長したパルテノペ(Celeste Dalla Porta)は大学生となり、デヴォート・マロッタ教授(Silvio Orlando)に師事して人類学を学ぶ。家事使用人の息子で幼馴染みのサンドリーノ(Dario Aita)はパルテノペに夢中になっていた。ライモンド[Daniele Rienzo]はササの跡を継ぐようにとの「提督」の提案を断る。ライモンドもまた妹の魅力に抗しがたいと感じていた。
(以下では、全篇について言及する。)
パルテノペとナポリの美しさを描く作品。
パルテノペの美しさは兄ライモンドまでも魅了する。ライモンドは、実家を離れることを考えたり、他の女性と付き合うことでパルテノペに対する想いを断とうとするが、うまくいかない。
背面から海に落ちる姿が繰り返し画面に登場し、ライモンドの鬱屈が描かれる。パルテノペがジョン・チーヴァー[John Cheever]の作品に惹かれるのは鬱屈によってであるが、それは兄の思いに共鳴しているからであろう。ライモンドとサンドリーノとともに訪れたカプリ島では、ジョン・チーヴァー(Gary Oldman)と偶然知り合う。
妹が幼馴染みのサンドリーノと関係を持つのを目撃したライモンドは、その衝撃に耐えきれず海に身を投げる。
両親はパルテノペに原因があると考える。だがパルテノペが兄を死に追いやったのだろうか? パルテノペの責任とすることで問題を葬り去り、自らの心に平穏をもたらしたいだけではないのか。実際には両親ともにパルテノペにライモンドの死の責任があるとは思えていない。裕福な暮らしを誇った邸宅は荒んだ両親の心そのままに廃墟と化していく。
パルテノペは人類学者のマロッタ教授から問いの立て方を誤ってはならないと教えられる。誰がライモンドを自死に追い込んだのか、という問いの設定が間違っているのだ。
その死まで繰り返される、ライモンドが背から海に落ちる姿は、ヴァルター・ベンヤミン[Walter Benjamin]がパウル・クレー[Paul Klee]の《新しい天使[Angelus Novus]》に触発されて描き出した「歴史の天使」の、顔を過去に向けながら未来へと追い立てられる姿に重ねることができる。死者の視点で、すなわち人類学的な視点でナポリを見つめ直すことで、パルテノペはライモンドの死の意味を捉え直そうとする。マロッタ教授は自殺ではなく奇蹟を主題にするよう提案する。
人類学者のパルテノペは、聖ジェンナーロの奇蹟を研究するため、マロッタ教授が悪党と呼ぶテゾローネ枢機卿(Peppe Lanzetta)を訪ねる。枢機卿は儀式の最中に信徒が月経が回復したと叫ぶのを茶番として喜ばない。奇蹟や信仰に人々の欲望、視点が投映されている。奇蹟とは、インセスト・タブー同様、人間が生み出した文化である。
マロッタ教授が人目を避けて養育する息子は巨大な幼児のような異形である。彼の受け答えは幼児のようであり、ネオテニーとは異なり、知力は発達していない。短絡的な答えを性急に得ることばかりが横行する社会を象徴するのが、巨大な幼児ではないか。
教授は異形の息子が海のように塩と水でできているという。だが教授の息子ばかりではない。パルテノペはマギーの海中出産で生まれ、美しく成長したパルテノペは海から姿を現わす。人は海から生まれた。他方、ライモンドは海に身を投げる。人は海に還っていく。
神は海を好まない。神を秩序と看做した場合、混沌とした海は対立することになる。だが混沌の中にも秩序がある。冒頭、立ち籠める霧の中からナポリの街並が姿を現わすのとパラレルである。
寝台車(馬車)が「提督」によってヴェルサイユから持ち込まれる。寝ながらにして旅ができる装置。それは映画のメタファーである。馬車の中に坐る裸のパルテノペを紗幕越しに眺めるサンドリーノは観客の似姿だ。