可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『愛はステロイド』

映画『愛はステロイド』を鑑賞しての備忘録
2024年、イギリス・アメリカ合作。
104分。
監督は、ローズ・グラス[Rose Glass]。
脚本は、ローズ・グラス[Rose Glass]とベロニカ・トフィウスカ[Weronika Tofilska]。
撮影は、ベン・フォーデスマン[Ben Fordesman]。
美術は、ケイティ・ヒックマン[Katie Hickman]。
衣装は、オルガ・ミル[Olga Mill]。
編集は、マーク・タウンズ[Mark Towns]。
音楽は、クリント・マンセル[Clint Mansell]。
原題は、"Love Lies Bleeding"。

 

星の輝く晩。郊外のスポーツジム「クレーター」は、マシンを使い黙々とトレーニングに励む会員で賑わっている。ルー(Kristen Stewart)が便所で詰まった便器の清掃をしていると、デイジー(Anna Baryshnikov)が甘ったるい声でルーの名を呼びながら現われた。ここにいたの。手一杯ってところね。そう。詰まりを取って水を流すとうまく流れてくれた。どうしたの? 後で会いたくない? ウィンキーに行って。ベスの手伝いをしなきゃ。可哀想なルル。お姉さんのお世話ばっかり。自分のことも構ってあげないと。終わらせなきゃならないことがあるし。時間はあるって。楽しんできなよ。ルーが紙幣を差し出す。そんなことしなくていいの。大丈夫だから、楽しんで来て。またの機会に。
ジムのネオンサインの電源を切る。閉店業務を終えて消灯する。鍵を掛け、ピックアップトラックに乗り込む。
ルーは1人暮らしの部屋に帰ると、ビールを取り出し、冷凍食品を温め、猫に餌をやり、ラジカセでテープを再生する。煙草を吸う際にはニコチンという薬物も吸引することになります。薬物は毒物とも言えます。しっかりした基礎のない建物のように洗脳は解けやすいものです。カードで組み立てた家のように一瞬で崩壊してしまいます…。食事を終えたルーはカウチに俯せになると、秘部を弄る。
駐車場に停めた車の中でJJ(Dave Franco)がジャッキー(Katy O'Brian)を後ろから犯している。俺のチンポは気に入ったか? 激しく腰を使いJJが果てる。身支度を整えながらジャッキーが尋ねる。電話した方がいい? 何だ? 仕事よ。ああ。JJが名詞を取り出す。明日、立ち寄ってくれ。ジャッキーが車を降りる。この辺りで寝るの、気を付けろよ。物騒だからな。分かった。JJが車を出す。ジャッキーは人気の無い夜中の駐車場に1人残される。
道路の高架下。野宿していたジャッキーが目を覚ますと腕立て伏せなどトレーニングをこなし、歯を磨く。
ルーが煙草を吸いながらピックアップトラックを走らせる。車内にはカセットテープの男性の声が流れる。…ニコチン離脱症状は軽い空虚感と不安感とを引き起こします。そのような感情を抑えようと煙草に火を点けてしまうのです…。ルーが住宅の前で車を停める。
ドアを叩くと、姉のベス(Jena Malone)がすぐに現われた。ベスの顔に痣があった。おはよう。遅刻しそう。心配要らないわ。男の子たちが駆け回っている。仮面をかぶった1人(Eldon Jones)がルーにぶつかる。慌てないで。歯が抜けた! もっと気を付けないと。おい、ビリー、纏わり付くな。カウチでテレビを見ていたJJが息子に注意する。荷物を持って、ルー叔母さんが学校に送ってくれるわ。相変わらず子供たちは燥いでいる。ベスはルーにメイクで痣が隠せているか確認する。ベシー、店に立ち寄るか? 何故? 何か必要なの? 煙草を買ってくれ。時間がないんだ。分かったわ、店に寄る。JJとキスしているベスに遅刻しそうなんでしょとルーが声をかける。行ってくるとJJが家を出る。
郊外に立つ「ルーヴィル射撃クラブ」にジャッキーが徒歩で向かう。
JJがジャッキーに銃声が鳴り止まない屋外射撃場を案内する。『ダイ・ハード』以来みんなベレッタを試したがる。向こうに屋根付きの射撃場を新築する予定だ。初心者用の練習場もあって、長距離とか、動く標的とか、目新しいもので、観光客に1日遊んでもらう。だいたいヤバい外国人だな。あれが食堂。サンドイッチとか飲み物とか。ちょっとは羽目を外してもいい。こっちだ。JJはオレンジ色のトレーラーハウスにジャッキーを連れていく。緊張感を出した方がいい? 役立たずに見られなきゃいいさ。背筋を伸ばせ。精一杯やるわ。JJがノックして中に入る。社長、時間ありますか? いつでも構わん。奥の机に向かうと、社長(Ed Harris)が皿に大きな幼虫を載せていた。何です、これは? ヘラクレスオオカブトの幼虫だ。寝床を整えてやってるだけだ。湿っていた方がいいんだ。ジャッキーです。こちらがラングストンさん。仕事が必要で、何でもやると言っています。私も人手が欲しいと思っていたんです。銃は好きなのか? それほどでも。じゃあ何しに来た? 銃を手にすれば自分が強くなれる気がするでしょうけど、私は自分の肉体の強さを知りたいんです。そうなのか? ラングストンがジャッキーを見据える。ジャッキーは動じることなく社長を見詰め返す。

 

1989年。ニューメキシコ州郊外。スポーツジム「クレーター」の雇われ店長ルー(Kristen Stewart)は、日常的に暴力を振るう夫JJ(Dave Franco)に従順な姉ベス(Jena Malone)が心配でならない。JJの暴力はエスカレートする一方だが、警察も12年前の母の失踪以来長らく疎遠になっている父(Ed Harris)も内輪の問題としてルーの訴えを取り上げない。レズビアンのルーは馴染みのデイジー(Anna Baryshnikov)の誘いにも応じず、家と職場を往復するだけの毎日を送っている。ある晩、「クレーター」に身体の仕上がったボディービルダーのジャッキー(Katy O'Brian)が現われ、ルーは一目惚れする。オクラホマ州出身のジャッキーはボディビル・コンテストに出場するためヒッチハイクでラスベガスを目指していた。JJと寝て射撃場のウェイトレスの仕事を手に入れたジャッキーは筋肉量増加のためにジムを訪れたのだった。営業終了後、ジャッキーが飲みに誘ってきた男と一悶着を起こして怪我をすると、ルーは応急手当をするとともにステロイドを試すようジャッキーに促す。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

男性から支配される女性と、その支配に抵抗する女性の姿とを描く。舞台を1989年に設定したのは、男性優位が現在より強い時代を描くためと、ベルリンの壁崩壊に現状打破のイメージを重ね合せるためである。
ステロイドを注入したジャッキーの筋肉が漫画のように誇張して表現される。邦題はその印象的な描写をもとに考案されたのだろう。
ルーの姉ベスは、夫JJから繰り返される振るわれる暴力を受け容れてしまう。怪我をしても夫を失うよりもマシだと考えている。ルーはベスが暴力により洗脳されているせいだと警察に被害を訴えるが、警察は一向にJJを逮捕しようとしない。表向きは射撃場経営者だが、メキシコへの銃器密輸を裏稼業とする父親は、警察を買収して不都合な人物を次々に抹殺してきた。その父が部下のJJを守るべく警察に手を廻していたのだった。
ベスがJJから意識不明になるほどの重傷を負わされると、ルーは姉を守れなかった自分を悔やむ。悲嘆する恋人ルーの姿を見て義憤に駆られたジャッキーは、ルーの眠っている隙にピックアップトラックの鍵を取り、JJの家へと向かう。

(以下では、終盤の内容についても言及する。)

ルーはタクシーで帰宅中、自分のピックアップトラックをベスの家の傍で見かける。ルーはベスの家で顔面を砕かれたJJの遺体と、風呂場に潜むジャッキーを発見する。JJの車にJJの遺体を載せたルーは、車に灯油をまぶして遺体ごと渓谷に落とし火を放つ。その渓谷はかつてルーが父の犯罪の片棒を担いでいた時代から遺体を遺棄していた場所だった。沙漠の中で燃え上がる煙により当局の捜査が始まり、JJだけでなく複数の遺体が発見される。
ルーが父親に刃向かえないのは、かつて自らが父親の右腕として働いていたためだった。沙漠に口を開ける深淵を覗き込むことは、自分の暗部に対峙することでもある。ルーは愛するジャッキーを守るため、敢て遺体処理現場を、以前から父を嗅ぎ回っているFBIに発見させ、父が証人JJを消した状況を演出したのである。もっとも過去を清算してジャッキーへの愛を貫くためには、ルー自らも血を流すことは不可避である。ルーと父との対決がクライマックスだ。
ジャッキーをラスベガスのボディビルコンテストに参加したものの、自らが殺害したJJの遺体を遺棄した渓谷の記憶がフラッシュバックし、審査中に吐瀉してしまう。自らの行動の報いを受けるのだ。舞台袖でジャッキーを笑いものにした参加者に襲いかかったジャッキーは勾留される。その危機を救ったのが社長=ルーの父だった。社長は証拠隠滅のため、ルーとジャッキーが車で連れ立って渓谷に向かうのを目撃したデイジーを消させることにする。デイジー殺害は、ルーがジャッキーを選んでデイジーを捨てたことのメタファーとなっている(クロージングクレジットの映像も同旨である)。愛は血を流している[Love lies bleeding]。
ルーは地元を離れたことがないのに対して、ジャッキーはオクラホマの故郷からラスベガスを目指して放浪する。実家に電話するときのジャッキーは弱々しい。だが愛するルーを守るジャッキーは、フランシスコ・デ・ゴヤ[Francisco de Goya]の《巨人[El Coloso]》とパブロ・ピカソ[Pablo Picasso]の新古典主義時代の絵画を組み合わせたようなイメージで描かれる。『ガリバー旅行記[Gulliver's Travels]』のアニメーション(リリパット国の場面)が挿入されるのは、ジャッキーがニューメキシコで巨人化することの前触れであった。