可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会『東京藝術大学日本画第一研究室研究発表展』(2025)

展覧会『東京藝術大学日本画第一研究室研究発表展』を鑑賞しての備忘録
東京藝術大学大学美術館〔陳列館・正木記念館〕にて、2025年9月2日~11日。

毎年恒例の東京藝術大学日本画第一研究室の教員と大学院生の研究成果発表展。23回目となる本年は、「内なる風景―身体が映す記憶と絵画」をテーマに、教員6名と修士課程・博士課程の大学院生10名に加え、内田あぐりが参加する。

内田あぐり《川面 Ⅰ》(900mm×1280mm)・《川面 Ⅱ》は、阿多古和紙に描かれた緑色の水の流れ。藻などの繁茂により水は緑を呈しているのだろうか。あらゆる有機物、無機物が流れ込み、生命を奪いつつ新たな生命を生み出す混沌としたスープのような川である。そのような川のイメージを長大な画面に展開したのが《安里 ASATO/積層》(1940mm×10480mm)で、和室の畳の上に龍がのた打つように折り曲げられ、鑑賞者を挟むように展開され、鑑賞者を濁流に呑み込む。
杉山佳《涅槃[nirvana]》(910mm×1167mm)は、巨大なカウチが様々な種類の小さな椅子に取り囲まれる、涅槃図の見立て。山吹色のカウチ、深緑の地面、赤茶の椅子が夕陽を浴びて全てが溶け込んでしまう世界を現出させる。
菊池玲生《柚木祥一個展「澄処」》は、AIを用いてゼロから作り上げた、日本画家・柚木祥一を取り上げたアートフェアの画廊香苑のブースというインスタレーション静岡県生まれで藝大院卒の日本画家が「名前のつかない風景のかけらに、ふと心をとめ」て描いたという、果物や富士などの額装作品が並べられる。統計的に割り出されたイメージや言葉が小部屋(cell)を介して流通する、現代の日本画の有り様を批判的に映し出す。
内藤丈晴《門》(2273mm×1818mm)は、中央やや左側に矩形を配し、その上半分に横線を4行3列を配し、画面右端に矩形の闇が覗く、暗緑色の濃淡で表現された模糊としたイメージ。横線の入った矩形部分を扉、その周囲を門柱とする門を表わしているようだが、定かではない。立ちはだかる壁のような門は、フランツ・カフカ[Franz Kafka]の「掟の門」のように、見る者に対し鎖されていながら開かれている。
今井菜々美《不失花》(1303mm×1620mm)は、中央に墨を刷いた部分、左側に花の模様などが遇われ、画面下部には矩形の連なりなど、複数のモティーフが描き入れられているが、朦朧として捉えどころが無い。それでも、隅の部分を眼窩、矩形の連なりを歯列とした頭蓋骨の形を見出し、ヴァニタスと解することができそうだ。限りある存在に対し、姿を見せない花を芸術のイデアとして提示する作品であろうか。
岡路貴理《window sketch 25-01》(910mm×727mm)・《window sketch 25-02》(727mm×910mm)は、ブロックガラス越しの風景を描いた作品。格子の中に嵌められたブロックガラスに木々の姿がぼんやりと映り込む。ピクセルに分割され、座標で示される世界をディスプレイ越しに見詰めることで構成される、現代人の置かれた視覚環境を象徴する。
中田開大《あちら側、こちら側》(1167mm×910mm)は、結露したガラス窓越しに花瓶の青い花を描いた作品。指で曇った窓に描いた星(五芒星)から水滴が垂れ落ちる。《柳橋水車図屏風》で彼岸(あちら側)と此岸(こちら側)の境界に配される蛇籠の籠目を、指で描いた星に仕立てたものだ。橋の代わりにガラス窓を結界としているのである。映像の時代に相応しい舞台の選択である。
陶紅《風も知らぬ[The Wind Knows Not]》(1303mm×1620mm)は、植物や建物、発条のようなモティーフが模糊とした画面の中に散らされた中に、1枚の薄い紙片が貼られ、風に揺らぐ作品。風は、あらゆる存在を通り抜けて循環する空気の流れを浮かび上がらせ、異なる形をとるあらゆる存在がその実、一体であること、色即是空であることを告げる。