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芸術鑑賞の備忘録

展覧会 内田涼個展『裏庭に二羽、庭に二羽』

展覧会『内田涼個展「裏庭に二羽、庭に二羽」』を鑑賞しての備忘録
アート/空家 二人にて、2025年8月29日~9月15日。

デカルコマニーや装飾模様のようなモティーフを繰り返し登場させる抽象絵画とその習作と言える「pōnō」シリーズとを中心に、グリッドを塗り潰すパターン、リバーシのような立体作品などを組み合わせた、内田涼の個展。

《ワーム》の縦長の画面は十字に4分割され、デカルコマニーのような不定形のイメージが配される。支持体を貼り合せて得られたものではなく飽くまで描かれたイメージであるため、厳密な線対称ではない。上側の2つの「デカルコマニー」は灰色でそれぞれ太さの異なる藍色で縁取られ、対になるイメージが部分的に重なっている。下の2つは濃紺や茶で縁取りはない。左右それぞれの上下の「デカルコマニー」をそれぞれ繋げるように青や黄、赤などが滲む不定形のイメージが描かれている。それはワームであるとともに境界を超えるワームホールでもある。
《二話(二輪)》は、緑味のある茶色による紙を折って切り抜いたような左右対照的装飾文様と水色の矩形に描き込んだ渦とともに、それらに黄や青やクリームなどを重ねて滲ませたイメージが部分的に重ねられている類似の2枚の画面を左右に並べたもの。一方の画面を180度回転させるともう一方の画面が現われるような構図であるが、対称性は完全ではない。、切り絵的イメージはロールシャッハテストよろしく、2人の人物にも、鼻先を突き合せる仮面にも見える。2つの渦である「二輪」とともに、2つの画面により物語とその再話、すなわち「二話」を表わすようだ。
《二羽のこと(五羽)》には、上段に薄い墨のような縦線6本の間に青や茶の縞で左右反転したS字が5つ挟まれている。下段には、左側にアニマル柄的な黒い模様に緑の線などを描き加えた矩形を縦に重ね、中央上部に灰青で表わしたJ字を連ねたようなものが配される。J字が二羽の鳥(例えば鳩)を、左右反転したS字が別種の5羽の鳥(例えば雀)を表わし、矩形に庭を見立てることも可能だろう。
《庭のこと(五羽)》には、上段に6本の白と黒との滲んだ縦線の間に緑と茶の縞のV字を5つ挟み、そこから下段に向かって茶、水色、オレンジ、黄緑などの描線が流れるように入れられ、左右対称の切り絵的イメージあるいは4面に類似の形を表わした正方形の装飾が9つ、3列3行で重ねられている。《二羽のこと(五羽)》にも登場する縦の線に挟まれた縞の線が5羽の鳥を表わすのは間違いない。流れる絵具は、植物、土、水、光などで構成される庭を、矩形の装飾文様は柵や門扉その他の仕切りを表わすのかもしれない。
《庭のこと(窓)》の左側には茶や緑の絵具が滲み、垂れ、混ざり合う抽象的なイメージが配され、右側には淡い緑や茶の混ざり合う面に白っぽい群青の線や灰緑の矩形の装飾模様が重ねられる。緑や茶は植物や地面を、淡いイメージは磨りガラスのような窓を表わすものと解される。

《ブロック:青#1-#15》は、水色の方眼紙の枡に赤、緑、灰色、青を配列することで文様を表わした作品。《リバーシ》は、果物を並べて入れる梱包用モールド(フルーツトレイ)に白と黒のコースターを並べてリバーシのように仕立てたもの。《コート》は4隅をゴムボールで支えた額縁を重ねてマットを敷き、その上に結んだ紐を散らしたオブジェ。《天地:庭から》は、アンティーク調のプランター上下に積み重ねて柱状にした彫刻作品。面や空間を仕切り、色を配する。《ブロック:青#1-#15》はピクセルそのものである。《リバーシ》や《天地:庭から》の黒白、上下といった要素は二進法のメタファーであり、全てをデジタル・データへと変換していく世界が象徴される。《コート》は男女(雌雄)とその染色体であろう。無論、生命もまたデータへと変換されているのである。

庭は世界、鳥は生命の象徴である。デカルコマニーや切り絵を連想させるイメージが示すのは複製性である。但し、DNAの転写のように、複製にはエラーが不可避である。そのエラーを示すためにこそデカルコマニーや切り絵ではなく手描きが採用されているのだ。なぜならエラーは変異であり、生命の多様化を可能にする鍵だからである。世界を豊かにするためには、デジタルデータの複製性、再現可能性を超えなければならない。芸術は常識という曖昧な固定観念に囚われているとき、エラーに見える。だが芸術こそ、エラーでなければならない。庭を二羽にするような鳥違え、否、取違えが必要なのだ。