可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

映画『Dear Stranger ディア・ストレンジャー』

映画『Dear Stranger ディア・ストレンジャー』を鑑賞しての備忘録
2025年、日本・台湾・アメリカ合作。
138分。
監督・脚本は、真利子哲也
撮影は、佐々木靖之。
照明は、チャド・ドハティ[Chad Dougherty]。
録音は、金地宏晃。
美術は、ソニア・フォルターツ[Sonia Foltarz]。
衣装は、リジー・ドネラン[Lizzie Donelan]。
編集は、マチュー・ラクロー[Matthieu Laclau]。
音楽は、ジム・オルーク[Jim O'Rourke]。

 

ニューヨークの郊外に立つアパルトマン。朝、出勤の準備をしている才賀賢治(西島秀俊)が妻のジェーン・ヤン(Lun-Mei Gwei[桂綸鎂])に尋ねられた。ここに置いたカイのセーター知らない? 洗濯機に入れた。洗濯機? 手洗いしたのに。ジェーンが戸締まりで窓を閉める。
賢治の運転でチャイナタウンへ向かう。帰りに買い物しとこうか? 講義後時間があるから。賢治が助手席のジェーンに尋ねる。助かる。牛乳ないの。後で買い物リスト送って。ジェーンは後部座席に坐るカイ(Everest Talde)を振り返る。見過ぎじゃない? ガオーと怪獣のフリをして息子からタブレットを取り上げる。休園は来週に終わるって。やっとか。
ベール工科大学の小教室で賢治が講義する。聖書によれば人類はバベルの塔によって自然から自らを切り離した。この人類の挑戦に対し神は人々の言語をバラバラにすることで応じた。お互いに言葉が通じず、協業できない。塔の建設は中断し、崩壊した。塔の建設は建築の始まりであるとともに最初の廃墟でもあった。ならば廃墟とは神の仕業とも言える。日本語では廃墟は荒れ果てた跡を表わし、静的な死を喚起する。他方、英語のruinsはラテン語のruereに由来し、建物が崩れ落ちる動的なイメージである。
チャイナタウンの宇安雑貨店。冷凍ショーケースの前でカイが1人お絵描きしている。カウンターのジェーンは電話で話している。…お手数お掛けします。母が心配しています。そうですか…。母に代わってもらえます? 你聽說了嗎? 也許是中介的錯。他們會找別人的。そのとき黒づくめの男たちが店の中に押し入る。ジェーンは慌ててカイに駆け寄り抱き締める。男たちはレジの金を持ち出し出て行った。大丈夫? ジェーンが通報する。
夜。雨の中、賢治が車で宇安雑貨店にやって来る。店の前には警察車両が停まっていた。ジェーンが賢治を見て飛び出して来た。2人は抱き合う。カイは? 怪我は? 大丈夫。母と遊んでるわ。お義父さんもいた? ショックだったろう? 二度目なの。ありえないわ。ジェーンは賢治と車に行く。トランクを開けて。ああ。ジェーンが荷物を入れる。それは何? 母がくれたの。防犯用に。本物の銃? 父が闇で手に入れたの。とりあえずここに置かせて。危なくないか? 家には置きたくないもの。ジェーンが店に駆け戻る。
賢治の運転で3人が帰宅する。リヴィングのカウチにカイを寝かせたジェーンは自分もカウチに倒れ込む。賢治もカウチに腰掛け、怪獣のハンドパペットを手に辛苦了、辛苦了と言う。やめてよ。着替えさせないと。俺がやるよ。シャワーを浴びなよ。やらなきゃいけないことがあるの。明日、大丈夫だよね? お昼に出るから。何だよ。何もないわ。2人はキスを交わす。ジェーンが自室へ。賢治がカイを抱き抱える。
ジェーンは自室で人形を操り踊らせる。ありがとう。観客への挨拶をした後、顔を手にやり人形に泣く仕草をさせる。何故なの? ジェーンは人形の頭を鏡に押し付ける。ジェーンは人形を自らに向け、腹話術的なやり取りを始める。お前だな。人形に自らを糾弾させる。違うわ。お前だ。人形がジェーンの顔を撫で、口に手を入れる。ジェーンの頭を叩く。
朝。賢治がカイの世話をしている間、ジェーンが朝食をとる。
3人が車でジェーンの実家を訪れた。ヘルパーはまだいないの? そうよ。代わりの人を探すって。いらっしゃい。シュアン・ヤオ(Fiona Fu[雅南])がドアを開ける。おばあちゃん! 你睡得好嗎?

 

2024年。ニューヨーク。才賀賢治(西島秀俊)はかつて日本で震災により家族を失い、単身アメリカに渡った。現在はベール工科大学の建築学准教授として廃墟を研究する。コンラッド教授(Steve McCoy)に業績を認められ、研究成果出版の話も進む。賢治の妻ジェーン(Lun-Mei Gwei[桂綸鎂])は人形劇団を率いる人形作家で、5年ぶりの公演を控える。認知症を患う父エンユウ・ヤン(James Chu)のヘルパーを代理店の手違いで確保できなくなり、母シュアン・ヤオ(Fiona Fu[雅南])に代わり幼稚園休園中の息子カイ(Everest Talde)と宇安雑貨店の店番をしていて強盗に襲われる。レジの金を盗られたものの幸い危害は加えられなかったが、母親から防犯にと銃を渡され、車のトランクにしまう。ジェーンがカイとスーパーで買い物中、駐車場の車に"BLANK"と落書きされてしまったため、賢治は車の修理に旧知のミゲル・ロンベーラ(Aitor Martin)を訪ねる。賢治はミゲルが雇い入れた娘モニカ(Mia Reece)の交際相手ドニー(Julian Wang)と出会した。

(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)

賢治は震災で家族を失った。厳密には行方不明のままだ。だから廃墟は決して空虚ではない。廃墟に家族との繋がりを見出している。だから賢治は廃墟の研究に導かれた。
バベルの塔の建築は、神が人々の言葉をバラバラにしたがために人々は協業できず、建設は中断した。バベルの塔は廃墟の起源であり、言わば神の作品である。
賢治は、閉鎖されて朽ちるに任せた劇場に1人忍び込む。かつてジェーンと出遭った劇場であった。劇場は賢治とジェーンとの関係を象徴する。その舞台で愉快な音楽が流れ出す。天井に向けて銃を撃った瞬間、賢治は何者かの影を見る。
ジェーンは人形作家である。ジェーンの人形は自らの分身である。ジェーンは人形に自らを糾弾させる。賢治との関係がギクシャクする原因が自らにあると考えている。
賢治はジェーンやカイと英語で会話する。賢治は感情が高ぶると日本語で悪態を吐く。ジェーンは母シュアンとの会話は台湾華語である。ジェーンは両親との同居を考えているが、シュアンは賢治との関係から難しいと否定する。言語の違いが賢治と義父母との関係を遮っている。ミゲルは南米系で英語とは別にスペイン語を用いる。娘モニカ同様である。
ジェーンはカイとスーパーで買い物中、駐車場に停めていた車にBLANKと落書きされる。賢治は落書きされたまま車を使う。自動車修理工のミゲルから買い換えた方が遙かに安上がりだと指摘される車は常に軋む音を立てる。車は賢治、ジェーン、カイの生活の一部であり、家族の象徴でもある。軋む音も鳴り続ける(空白がない)と気付かなくなってしまう。その車にスプレーで記された"BLANK"は、家族が空虚であることを突き付ける。

(以下では、全篇について言及する。)

カイはジェーンが以前交際していたドニーとの間に出来た子である。ドニーはジェーンが妊娠すると逃げてしまった。ジェーンは自らの子として受け容れてくれた賢治と結婚した。ジェーンは賢治と子供を持とうとしているが、セックスレスに陥っている。
ジェーンの人形劇では、子供が大きくなり、父親と母親とが風船のようにどこかへ飛んでいってしまう描写がある。むしろ子供の成長は風船の膨張に擬えられ、その爆発によって、家族が粉砕されてしまう可能性が暗示されているようだ。カイは次第にドニーに似ていくだろう。
ジェーンの人形劇団には聾啞者がいる。ジェーンは手話を交えコミュニケーションをとる。人形劇に打楽器や笛などによる劇伴はあるが、ほぼ科白なしに進行する。音声=言語によらない世界を現出させる。すなわち、言語による分断のない社会を人形劇により実現しようとする。
賢治は失ってしまった家族を、ジェーンに求めようとしたのではないか。賢治の家族は存在しないが故に理想化されている。言わば虚像である。その虚像をジェーンに重ねた。ジェーンが人形作家であり、自らと人形とを同一視する点に、ジェーンの虚像としての性格が重ねられている。従って、賢治が生身のジェーンに理想を見出すことはできない。むしろ、家族の姿は多様であって、あらゆる形態をとりうる。カイとはギリシャ文字のXであり、変数であり、blankである。どんな姿をも代入できるのである。
賢治はカイ[X]に対する疑いを晴らすため無実の罪を被る――Xに賢治が代入される――とき、Xに賢治はX=キリスト(χριστός)になる。空白は埋められ、再生された家族が姿を現わす。全ては廃墟から始まる。どんなに愛する者も、初めて出遭うときには見知らぬ人(stranger)である。