展覧会『橋本悠希「Mediums」』を鑑賞しての備忘録
eitoeikoにて、2025年9月6日~27日。
ポルトガルの青いタイル「アズレージョ[azulejo]」による作品、大理石に銅版画の技法で線刻した作品、雁皮紙に砂を画材にして描いた作品、羊皮紙に羊毛を縫い付けた作品などで構成される、橋本悠希の個展。
《Threshold Figure》(420mm×140mm)は、アズレージョのタイル(140mm×140mm)を縦に3枚連ね、上の2枚には青を刷いた画面に浮かび上がるぼんやりとした人物の立像を描き、下の1枚には作家のサインだけを入れた作品。古材の板に取り付けて壁に掛けることで戸口を連想させる。此岸と彼岸との境界に立つ人物である。
《別れの時間》(840mm×560mm)は、アズレージョのタイル縦6枚×横4枚に鉢植えの芙蓉(?)を表わした作品。台の上の鉢から延びる幹を描いた下半分12枚と葉の中に大きな花を咲かせる上半分12枚との間に幾何学模様を濃紺で染め出した布を配して壁に掛けてある。東洋では吉祥を表わす芙蓉を、ポルトガルのタイルに染め付けヴァニタスに転換した上で、さらに布で三途の川を表わしたのだろう。洋の東西を往き来する作品である。
《Liminal Being #2》(300mm×300mm×130mm)は、石灰岩の正方形の板の上に、大理石を研磨して平らにした面に眼を穿ち、鼻・口・顎の線をエッチングの要領で入れて(腐食性の液体で溶かして)赤銅色の絵の具を載せ、横顔を浮かび上がらせた作品。壁に掛けた石灰岩の板から浮いた大理石という重力に対する抵抗と、大理石のマーブルに浮かび上がる顔という画面のテクスチャーと間とを活かしたイメージにより、現実から遊離する境界上の存在を表現する。《Liminal Being #1》(300mm×300mm×110mm)は、大理石のパネルにエッチングの技法で多数の葉を線刻し赤や金の絵具で埋めた上に、石灰岩の一面を平らにしエッチング技法で陰刻した人物立像を金の絵具で浮き上がらせた作品。大理石の一面の葉叢は草葉の陰を連想させる。此岸と彼岸との境界とを表わす人物である。
床に緑の大理石のパネル4枚を並べた上に古い木製の踏み台を置き、陶製の頭部の無い鳥6羽と石灰岩に人物像を線刻した《Transitory Being #1》(130mm×250mm×210mm)・《Transitory Being #2》(260mm×200mm×220mm)を飾り付けた作品がある。《Transitory Being #1》は一面を平らにしてエッチングの技法により線刻して銀の絵具を埋めて人物の立像を表わし、周囲を葉の文様で囲ってある。2羽の鳥とともに踏み台の上に載せられている。《Transitory Being #2》は人物立像のみが藍・銀・金の線で表わされ、大理石のパネルの上に置かれている。敢て列を崩すように並べられた大理石パネルは海の拡がりを、木製の台座は島を思わせる。頭部の無い鳥たちは当て所なく、人は蓬萊を求めて海を渡る。否、鳥は魂を運ぶのであり、儚い存在である人はアルノルト・ベックリン[Arnold Böcklin]の描く《死の島[Die Toteninsel]》へ向かうと捉えた方が題意に相応しいだろう。
《江口の君》(1260mm×980mm)は、アズレージョのタイル59枚で構成される画面に、江戸時代に多くの絵師によって描かれた《江口の君図》の構図を下敷きに、白象に乗る江口の君を表わした作品。一種の美人画として鮮やかに描かれる江戸期の江口の君とは異なり、葉叢の中で白象に乗る江口の君は淡い白象の光に浮かび上がる模糊とした影に過ぎない。その心霊写真のようなイメージは、むしろ旅僧の出遭う亡霊としての江口の君であり謡曲「江口」の再現に相応しい。
《このコンテンツはご利用できま》(275mm×205mm×110mm)は、木箱から前に飛び出す支柱に取り付けられた石灰岩に「このコンテンツはご利用できま」とエッティング技法で陽刻した作品。横書きで書かれた文字は左右反転し、なおかつ縦で記されている。箱の上には山型の屋根が乗り、制札を連想させる。もっとも、コンテンツの消滅を告げる文言は禁令というより墓標である。その墓標の文字が反転しているのは、此岸ではなく彼岸から世界を眺めることを暗示する。禁止規範は反転し、死者の声を聴き取る霊媒(medium)となることを鑑賞者に要求するのである。