展覧会『山本桂輔「思い出せない詩を育てる」』を鑑賞しての備忘録
小山登美夫ギャラリー六本木にて、2025年9月13日~10月11日。
地中と宇宙とを繋ぐ柱のような木彫作品を中心とする、山本桂輔の個展。
面取りしてピンク、橙色、山吹色などを塗り黒い点を1つ入れた、歪な太陽と思しき木彫《ピンク網と黒点》(177mm×135mm×145mm)が天井からぶら下がる傍に、人や蝶や蕾を茎の先に付けた植物の入った籠を背負う人物を彫り出した《夢遊する樹》(2655mm×730mm×820mm)が置かれる。帽子を被り遠くを見つめる旅人の像である。背の高い彫像はタイトルから地中に根を張り太陽に向かい枝を伸ばす樹であり、大地=地球と宇宙とを繋ぐ存在である。さらに太陽の廻りを巡る旅人は惑星地球そのものでもある。籠の植物の先に姿を見せる様々な形の生命は全て地球で生まれた兄弟に他ならない。
蛇体を思わせるチューブ状の「尻尾」の上にマン・レイ[Man Ray]の写真《白と黒[Noir et Blanche]》よろしく横倒しの頭部が置かれた《逃げるしっぽ》(377mm×279mm×145mm)に添えられたレモンと青い球体は、妖精と思しき存在の花弁のスカートから青い光を放つ《甘い光》(347mm×265mm×245mm)と相俟って、ヨーゼフ・ボイス[Joseph Beuys]のカプリ・バッテリー[Capri batterie]を連想させる。レモンは言わば太陽からのエネルギーを蓄えた電池である。
《熱水泉の庭》(907mm×400mm×330mm)は、丸太の頂部を彫り込んだ中に水面を表現し、若者が水に腰まで浸る姿を表した作品。頂部の縁には溝があり、ビー玉が転がる。丸太の側面には石が埋め込まれていたり、球が吊り下がっていたりする。下部にある丸い穴の開いた扉の中は焼却炉で、樹上のプールの水を温めているようだ。プールは生命を生み出した始原の海「原始スープ」を表わすのだろう。《手品、プールの底の種》(620mm×330mm×321mm)では、プールの底にある青い球体=種に翳される手により生命が誕生するマジックが演じられているのがその証左である。原始スープから誕生した生命=球は以来生命をリレーし多様な姿を示しながら連綿と連なっているのだ。
《湖面エレクトロ》(730mm×438mm×415mm)は、丸太の上に、ピンクの紱が溜まった穴があり、その周囲に拡がる水辺を人を乗せた小舟が進む。小舟と反対側に浮かぶ黄色い球体は太陽だろう。太陽光のエネルギーで世界が動力を得るのである。
丸太の上に階段や池のあるタイル張りの庭を表わした《ワープと磁場》(1424mm×390mm×350mm)や、色取り取りのドットの入った球体をルーレットのような台の上に設置した《観察者》(432mm×375mm×325mm)にはサイコロも登場する。言わば神がふるサイコロは、量子力学により説明される宇宙のメタファーである。
《転がる猫》(298mm×183mm×45mm)においてヨットの帆に重なる三日月の上を転がる灰色の球は猫である。《涙をあつめる》(295mm×185mm×58mm)において、鳥が手に入れた水色の球は涙である。球は生命であり、感情である。
《静止考、詩人の森》(1325mm×333mm×350mm)は、鳥の巣箱が設置された樹木とその枝先に留まる鳥などを表わした作品。歌う鳥は詩人のメタファーである。巣箱の下に下げられた鍵は詩人の創作の秘密が生活=巣箱の中にあることを暗示する。樹の天辺には円盤が載る。円盤は高速で回転しているために止まって見えるに過ぎない。大地=地球もまた高速度で回転する。世界と同期するとき、詩が生まれる。詩を思い出す必要などない。漱石の「夢十夜」で運慶が木から仁王を彫り出して見せる通り、始めからそこら中に埋まっているからである。作家はただ詩を彫り出しては見せてくれているのだ。