展覧会『初見 石川九楊展』を鑑賞しての備忘録
思文閣銀座にて、2025年9月29日~10月24日。
1976~1995年に制作された未発表の書で構成される、石川九楊の個展。作家によるコメントを掲載したハンドアウトが鑑賞の手引きになる。
「人は大古、鳥だった」との思いを籠めた一行書《鳥飛返故郷》(1160mm×210mm)(1993)。「鳥」は滲みで羽毛を、細い線で趾を表す。「飛」は上下に素早く運ばれる筆で文字通り飛び回る。「返」は拡げた翼のような弧で戻る動作を示す。「故」は滲んで大小の黒い塊となっているが、払いの線が「郷」と相似を成し一体化する。「郷」は中央に垂れ落ちる4つの点が涙とも時間経過ないし余韻を生むリーダーとも見える。との。
「『中の君が匂宮に迎えられ、花の盛りに薫が中の君と対面した』早蕨の帖の世界を織りあげた」という《源氏物語Ⅱ 早蕨》(470mm×610mm)(1995)には、垂直・水平に震える細い線が不均一に並び、画面に"」"状の姿を現わす。その中をやや太い線が跳ね廻り、またところどころに渦が描かれる抽象絵画のような作品。
《こうまでしても救いようのない人間にやりきれない疲労静かな絶望的な優しさ》(1380mm1090mm)(1981)には、たっぷり墨を含んだ「こうまでしても」、分散する細い線の「救い」、擦れ割れた「疲労」など複数の書法が見える。何より眼を惹く左の隅には「静かな絶望的な優しさ」を書いた上で塗り潰したものという。曰く「書き切った完結感は句の世界にそぐわない、未完の風景を欲した」。隣に掲げられた《落書演習》(630mm×700mm)(1981)では思い付くままに漢字を書き散らした画面の四周を隅で囲い込み「ひとつの完結した語彙集として」いるのと対照的である。
「二十にしてすでに心朽ちたり」を表す《李賀詩 贈陳商》(1360mm×690mm)(1992)はほぼ前面を墨が覆う。その墨の中にぼんやり、より濃い線が並ぶ。「墨の海の中にかすかに文字が影を見せる」作品。自己に沈潜する姿が表現されている。
《徒然草 No.16》(1470mm×2090mm)(1991)は、薄墨の震える線による罅割れや毛細血管のようなもので雑草が蔓延るように大画面を埋める作品。血の通う、淡淡とした日々の暮らしの表現と解し得る。
《屈原 漁父(全文)》(480mm×530mm)(1995)は、「世の乱れと己の孤立無援を歎」く屈原に対し「市井の老漁師」が「水清まば纓(冠のひも)を濯い、水濁らば足を濯へばいい」と応じたという詩の全文。その朗らかな詩の内容を受け、個々の文字(character)が様々な動作をする人物(character)のように表されている。
《拒絶》(1390mm×700mm)(1981)年は画面から食み出さんばかりに「拒絶」の文字を太い線で表してある。その線は肉感的で腕や脚のようだ。スクラムを組み、あるいは座り込みをする人の姿が立ち現われる。
「『書』とは『筆蝕(筆触+刻蝕)』の表現であ」り、「『書』=『書家』は、世界を触覚+蝕覚で成り立っていると見做す」作家にとって《触手》(1350mm×350mm)(1990)は最重要な字を扱う作品だろう。「触」の偏(角)が左に大きく食み出すように描かれるのに対し「手」の第一画が右に払ってバランスがとられる。曰く「ひとつの言葉はつねに内に反語を含む」。触=蝕の作用と反作用も表現されている。三行書《昇華地平昇華》(1380mm×690mm)(1985)において紙の上端に寄せた文字から画面下端へ長く線を引き下ろしているのも、却って打ち上げられたロケットの航跡のように見える。ここで冒頭に掲げられた書の「返」が思い返されるのである。
《大道無門》(各700mm×200mmの2点組)(1982)の意は、「大いなる道には門は無い――門が無いのだから大いなる道に入ることは困難だとも、またきめられた門などないのだから、いたるところに門があり、どこからでも入れるとも考えられる」。右の書は画面一杯に立ちはだかる壁のような文字を表すことで閉ざされた解釈を、左の書は人が駆けて跳ね廻る人物のように文字を書いて開かれた解釈を示す。日々接しない訳にはいかない文字を芸術とする書の世界もまたどこからも入れるようで入りがたくもある。