展覧会『第3回BUG Art Award ファイナリスト展』を鑑賞しての備忘録
BUGにて、2025年9月23日~10月19日。
新しい表現への挑戦やキャリア形成支援を目的に、制作活動年数10年以下の作家を対象とする、株式会社リクルートホールディングス運営の公募展「BUG Art Award」。応募総数418件から一次・二次審査を通過した善養寺歩由、髙橋瑞樹、吉原遼平、里央、徐秋成、沖田愛有美の作品を展観。
善養寺歩由の《Generated Pimples》は、AIで生成した美しい女性の顔を映した、駅構内に設置される広告モニター(デジタルサイネージ)を模した装置3台と、円筒の頂面の皮膚を模した部分に吹き出物を思わせる突起が現われる装置10台とで構成される。「モニター」は裏表二面あり、一方には女性の整った顔が表示され、他方(会場の入口に向く側)には同じ顔のそれぞれに9個、8個、10個の穴が穿たれている。その穴に対応して床にそれぞれ同数の円筒形の装置が置かれる。頂面にベージュとクリーム色の中間色の膜が張られ、時折内部機構の昇降により1つないし2つの突起が現われる。例えばアニメーション・キャラクターのような容姿の人物が街を闊歩する姿も日常的景観であるように、メディアに登場する理想像はある種の規範として社会に浸透していく。完全に滑らかな皮膚という理想に対し、現実の肌にはニキビを始め様々な凹凸が存在する。その理想と現実との差異、落差を訴える。「AIが生み出すイメージは一見新しいが、過去の視覚文化の反復に過ぎ」ないというAIの統計的処理による限界や、「AIによる肖像生成はモデルの同意を介さずに行われ、顔を匿名化された記号として操作可能にしてしまう」剽窃といった隠された問題を可視化する狙いもあるという。後者の問題はAIではなく著名なイラストレーターによって行われていることが報じられたところである。
髙橋瑞樹の《壊れた時計の針を見つめる》は、絵画を自動的に制作する機械である。廃品の金属製部品を組み合わせた機械は200近くもの動作を経るが、描画に直接関係するのはタンクから絵具をノズルに供給し下部に置かれた紙に滴らせるくらいである。約15分に1回のペースで絵が完成する。プリンターのような自動給紙の仕組みは無く紙を置かなければならず、また完成した絵画を自動排出する機構はなく手で取り出す必要がある。ぎこちなく冗長な動作と相俟って非効率な装置だ。ジャン・ティンゲリー[Jean Tinguely]の動く彫刻を想起させよう。数多くの工程を経るのは作家の介入から作品を遠ざけ「目に見えない力を誘発する」ための「儀式」として構想されているからである。大戦の惨禍から理性不信に陥った時代に登場したダダやシュルレアリスムの系譜に連なる。のみならず、茶の湯のような芸道にも通じよう。茶道もまた茶を飲む極日常的な行為を儀式として延長することで芸術へと変換するからだ。分子調理のように結果が「同じ」であれば過程を厭わない経済の論理から距離を取り、文字通り間延びさせることでその「間」に人智を超えた力を取り込もうとするのである。AI時代において芸術家とはシャーマンたるべきである。
吉原遼平の《五大湖 The Great Lakes》は、五大湖と似た形の湖・ダムを作家の住まいの周辺から探し出し、GPSを埋め込んだ丸太をそれぞれの湖に放り、会場には大きさ・形の異なる5つの黒いプラ船に水を張って浮かべた円筒のQRコードから丸太の位置を読み取れるようにしたインスタレーション。併せて五大湖の方向を指し示すポールも立てられている。北米の五大湖と日本の5つの湖・ダムとは形態の模倣で、5つの湖・ダムと会場のプラ船とは丸太の存在で、それぞれ繋がりを生み出している。黒いゴムシートの上に設置された、水を張りポンプで水面を波立たせた5つのプラ船は、五大湖の「うつし」であり、無機質な工業製品のような見た目であるが、自然の模倣という古典的な西洋芸術の系譜に連なる。のみならず、見立てという日本の伝統に特徴的な性格をも併せ持つ。再び偉大(great)となることを目指す国家に追従する島国の姿(五輪・五体)が闇の中に浮かび上がる。
グランプリを受賞した里央の《Purple Back》は、アフリカ系の父親を持つ異母兄弟タニヤとジョーダンに作家が扮し、2人の会話の音声に合せて口を動かす映像作品。タニヤとジョーダンはともに日本で暮らす日本語話者だがアフリカ系の容姿から度々外国人であるとの誤解を受けてきた。小学校低学年の頃、タニヤは自画像を描く課題を与えられたが、どうしても肌の色を塗ることができなかった。浅黒い肌をする自分がピンクに近い「はだいろ」のクレヨンを手に取ることができず、かといって「ちゃいろ」で塗るのにも抵抗を感じた。先生からは肌を塗るように言われ、ブラックルーツを自認する「ちゃいろ」を受け容れるのも1つの取るべき選択肢とは感じつつも、敢て虹色で塗り込めたという。ジョーダンは地元と渋谷とで1日に3回も警察官の職務質問を受けたこと(しかも1回は「大麻持ってるよね」と尋ねられたという)がトラウマになっている。作家が2人に扮することで生じるおかしみによりタニヤとジョーダンに親しみを感じさせる。またモデルを演劇のキャラクターとする間接性は問題を一般化する効果を持つ。のみならず2人はハンモックに坐って会話しており、ハンモックの快適さを述懐することから、ハンモックに坐って鑑賞する者は時空を違える2人と揺れ(viberation)=気分(vibes)を共有し、同期することになる。
徐秋成[Xu Qiucheng]の《さざ波:200年後の大地震》は、国生み神話から説き起こし、宇宙移住を経て、地球外生命体となった人類の子孫がかつての地球の姿を想像するという3DCGの映像作品。来日して日本語で生活することになった自らの経験を再生と捉える。その再生は誕生そのものとは異なる意志に基づく行為である。それゆえ子宮から産道を通って母体外へ出る行為が、黄泉からの脱出という積極的な行為となる。個人的な再生を創世神話に擬えることで、誰もがヴィデオゲームの同じキャラクターとしてゲーム内の世界に生きるように、鑑賞者をプレイヤーとして作家に同化させる。
沖田愛有美の《実りについて》は、樹上で木の実を手にする女性の姿を表わした絵画と、籾殻を敷いて果実を模した漆芸品を入れた古い笊や漆を掻き取った漆の木から成るインスタレーション。描かれた樹状の女性は山姥であり、彼女の手にする木の実と笊の中の漆芸の果実とによって絵画と展示空間とが接続される。そして、籾殻の存在により、山姥が山の神であり、田に豊饒をもたらす存在であることが示される。