可能性 ある 島 の

芸術鑑賞の備忘録

展覧会 三輪瑛士個展『No.329自由』

展覧会『三輪瑛士 新作個展「No.329自由」』を鑑賞しての備忘録
Gallery & Bakery Tokyo 8分にて、2025年9月20日~10月14日。

ある場面を忠実に描こうと画家が注視すればするほど却って時間経過により描画対象が変化を蒙ってしまうという逆説を意識的に受け容れ制作する、三輪瑛士の個展。

《No.25094》(1120mm×1620mm)は記念写真に収まるかのように椅子に腰掛ける5人の男女を描いた作品。左から、口髭を蓄えた茶のスーツの男性、ベージュのドレスの女性、薄茶色のシャツに同色のパンツの黒髪の女性、ジャケット、スカートなど白でコーティネートした白髪の女性、濃紺のパンツに茶のジャケットを羽織った男性が並ぶ。白味を帯びた茶色の床、茶色い壁に囲まれた空間に、5人の姿が馴染む。大まかな筆致ながら的確に描き分けた衣装に対し、詳細に描き込まれた顔が崩れていたり、二重になっていたりする点が目を惹く。この表現はモデルの動きを捉えようとするものではない。最初に受けた印象が刻々と崩れていく観察者の記憶するイメージだろう。
(1620mm×1620mm)は陽光の中、草花の咲き誇る庭でテーブルを囲む7人の男女を描いた作品。紫や黄色、オレンジなどの花に囲まれた芝の上にテーブルがあり、年配の7人が椅子に坐って談笑している。7人のうち顔が見えるのはテーブルの奥側に坐る2人だが、年配の女性の顔は背後の花が重なるように目元が表されていない。その他の人物の姿も溶けていたり、ダブっていたりする。さらには画面上部には卓の中央から右の倒立したイメージが水鏡のように描き込まれている。目にした光景の不確かさは水面の映像と変わりない不確かなものであることが訴えられている。《No.25062》(970mm×1620mm)はステッキを手にする燕尾服の男性と彼を見上げるドレスの女性とを中心とするパーティーの場面を表した作品。集まった人物の断片的なイメージがパッチワークのように連ねて構成されている。この作品にも一部に倒立したイメージが配される。《No.25064》(1167mm×807mm)もパーティーの一場面のような作品。燕尾服の男性を中心にドレスの女性の姿などが描かれる。登場する数人の人物の顔は全て崩れ、複数のガラスないし鏡を配したかのように、画面の至るところに別のイメージが重ね合わされる。《No.25052》(1300mm×970mm)はキャメルのジャケットの女性とその背後にモスグリーンの半袖シャツの女性とが並んで立つ姿を表した作品。2人は同一人物のようだ。背後の女性のイメージは大きく崩れるとともに、脚の周囲にはモティーフのはっきりしないモノクロームのイメージが配される。《No.25031》(895mm×1303mm)は、青い壁の部屋でベッドの上に坐るアフリカ系の女性を真横から捉えた作品。ウールのセーターにデニムのパンツの女性はクッションを背中に挟んで脚を伸ばす。背中の背後で線対称に左右反転した彼女の姿が水鏡のように描かれる。
《No.25072》(1120mm×1455mm)は、花柄の壁紙の部屋で撮影した7人家族の記念写真のようなモノクロームの絵画。中央では父親と母親とが幼い子供をそれぞれ抱き抱え、その左右に年長の3人の子供が立つ。父親の頭部はゆがみ、眼球が飛び出したかのような左目が覗く。父親に抱き抱えられた娘も顔の位置に対して眼だけずれた位置に描かれる。母親の顔も半ば崩れ、左端の少年も右顔だけが下に落ちている。時の経過とともに写真に焼き付けられたイメージと記憶との落差は大きくなっていく。
《No.25081》(1167mm×910mm)は青を背に男性の顔を画面一杯に描いた作品。顔を正面に向けたまま右を見る男性の目は、左目の下にもう1つの小さな左目が、額の右側に大きな右目が重ねられ、4つある。鼻の穴は鼻がずれることで3つとなり、唇は歪んで溶け拡がる。《No.25091》(1167mm×910mm)は、やや赤みがかった淡い灰色を背に男性の顔を描いた作品。右目は眼窩に落ち窪んで縮小し、また額の生え際て拡大する。左目は眼球が飛び出したかのようで、さらに鼻筋近くとの2ヵ所にもある。鼻は半ば溶けている。《No.25093》(1167mm×910mm)正面を向く少女の顔を画面一杯に表す。鼻の周辺から下で赤や緑の筆致が跳ね廻り、色取り取りの紙吹雪が舞ったようなイメージとなっている。《No.25032》(659mm×530mm)は山吹色のコートを着たアジア系の女性の胸像。顔を右側に傾げ長い黒髪が流れ落ちる。その流れに引っ張られるかのように右の頬の辺りが歪む。《No.25024 私はこれを知らない》(415mm×320mm)も男性の顔を画面一杯に描いた作品であるが、モノクロームの倒立像である。口の辺りに波紋が拡がるように歪んでおり、水面に映ったイメージのようである。

眼の水晶体は光を屈折させ網膜には上下左右の逆の像が映る。普段眼にする(と認識する)光景は脳によって処理された像に過ぎない。また、フランシス・ベーコン[Francis Bacon]の4つのイドラ、とりわけ「種族のイドラ」の錯覚や「洞窟のイドラ」の偏見のように、見ることは頼りない。一見現実離れして見える歪んだ世界には、視覚の本来的性質が忠実に映し出されるのである。自由[freedom]とは「イドラがない[free from the Idols]」状態のことであった。