展覧会『木々津鏡「くもりガラスの両手」』を鑑賞しての備忘録
MIDORI.so GALLERYにて、2025年9月26日~10月12日。
写実的描写により現実感を醸成しつつ、どこかに現実離れした仕掛けを施したマジックリアリズム的絵画で構成される、木々津鏡の個展。
《優しい誰かの手の形》(1940mm×1620mm)は、カーテンの閉め切られた暗い部屋で、恰も「透明人間」が両手を前に差し出すように、ジャケットと手袋とが正面左側からの光で浮かび上がる作品。白いジャケットの下にはレースの襟飾りの付いたブラウスを身につけていて、前が開いていることで、襟から裾にかけての空洞が強調される。ジャケットの上からレースのアームレストを着けて(あるいはジャケットにレースの袖飾りが着いて)いて、指を伸ばした白い手袋が前に突き出される。指先は細く垂れており、右手の指は伸びているが、左手の人差指や中指は途中で折れ曲がる。背後には水玉模様のスカーフとサングラスが宙に浮き、服の動作する姿勢と相俟って、不可視の人物の存在を暗示する。
《風船の通り道》(910mm×652mm)は海を前に白いノースリーブのシャツを着て白いパンツを穿いた人物がやや前屈みになり、エメラルドグリーンの風船を背中で捉えようとしている後ろ姿を表した作品。青空とやや暗い青い海の前に立つ人物の前屈みになっているために頭が見えない。両手を腰の辺りに廻して、浮いている半ば透明のエメラルドグリーンの風船を掴もうとしている。風船が、左側からの光線に対して不自然に思わる青い影をシャツの裾とパンツのウェストバンドに落とし、海岸に切り立つ壁のような風景を形作る。パンツの下部には風船の光を受けた青い部分があり、風船と影と相俟って、風船が上昇するイメージを生み出す。
《温かい場所へ行きたい》(455mm×606mm)は、透明度の高い浅い海と異様に低い位置に浮く厚い雲とを描いた作品。水面から2000mを下限とする積乱雲にしては海面からの距離が近すぎる。エメラルドグリーンの海は一見南国風だが、実は寒冷地の水辺なのだろうか。もっとも、層雲としては厚すぎるように思われる。画面上端からは線状の葉が垂れ、画面右側には白い水飛沫が見える。
《泡時計》(410mm×318mm)には、砂時計を思わせる両端が閉じ中央がくびれたガラス管の中に、砂の代わりに泡が詰まった「泡時計」が描かれる。近くに何度か捻った白い管状の物体が置かれているのが不可解さを高める。
《メロン》(273mm×220mm)には、布の上に置かれた半分に切られたメロンに対してさらに庖丁が入れられる場面が描かれる。画面は90度回転させて右側が下になるように壁面に設置されている。メロンがぶら下がるような印象は画中の蔓と画布自体の解れとによって強調される。
《日食》(606mm×500mm)はマスカット1房を手にする左手を描いた作品。画面奥上方からの光を受けたマスカットは明るい黄緑を呈する粒と影で暗い粒とに別れる。中に1粒だけ黒ずんだ粒があるのが眼を惹く。その黒ずんだ1粒だけが実体かのように画面奥に1粒だけの影が見える。実際、手首の位置のマスカットは手首に透けている。あるいは手の方が透けている。画面下に1粒分の明るい黄緑の光が映る。
いずれの作品もエメラルドグリーン、あるいは水色の基調色で統一された、明るさと同時にどこか暗さを感じさせる。写実的描写により現実の光景を起ち上げつつ、透けること、影の向き、不可思議な位置関係などのトリックにより、非現実を画面に自然に溶け込ませている、マジックリアリズム的な絵画である。とりわけ《優しい誰かの手の形》により人物を不可視にし、《風船の通り道》で頭部を風船の置き換え、《日食》では手を透けさせるなど、人間の存在の儚さ、あるいは実体の捉え難さが表現されている。明るいか暗いかのような二者択一ではなく両者の中間領域にこそ現実はあること、あるいは、ある現象には常にそれに反する現象が潜んでいることを明るみに出す企てなのだ。