エカ・クルニアワン『美は傷』春秋社(2024)を読了しての備忘録
Eka Kurniawan, 2002, "Cantik Itu Luka"
太田りべか訳
ジャワ島南部の港町ハリムンダ。享年52歳のデウィ・アユが墓場で甦り21年ぶりに我が家へ向かう。死の直前に出産した4番目の娘チャンティック〔美しい〕に会うためだ。デウィ・アユは4人目の子を堕ろそうとして失敗し、住み込みの家政婦で聾啞者のロシナーの知恵で醜い子に生まれるよう祈っていた。デウィ・アユは、オランダ領東インド時代、オランダ人カカオ農園主テッド・ステームラーとマリエッテ・ステームラーの息子ヘンリを父に、テッドと地元民の妾マ・イヤンの間にできたアネウを母に持つ。生後間もないデウィ・アユを残して両親が駆け落ちしたため、祖父母とおばハンネッケと暮らしていた。日本軍の侵攻によりテッドは戦場に送られ、マリエッテとハンネッケはオーストラリア疎開の際に船が撃沈されて亡くなった。農園に残った16歳のデウィ・アユは祖母マ・イヤンと相思相愛であった老人マ・グディックと無理矢理結婚するが、マ・グディックはマ・イヤンへの思いを貫き自ら命を絶つ。日本軍のハリムンダ占領によりオランダ人は強制収容所に送られ、さらに娘たちは慰安所で日本兵の相手をさせられた。慰安所を差配するママ・カロンと親しくなったデウィ・アユは、日本軍撤退の後、ママ・カロンの娼館で春を鬻ぐ。町の成人男性のうちデウィ・アユを買ったことのない者はいないほどの美貌を誇り、父親不明の娘アラマンダ、アディンダ、マヤ・デウィもまた美しく成長した。
3月のある週末の夕暮れ時、デウィ・アユは死後21年にして墓場からよみがえった。プルメリアの木の下で昼寝をしていた羊飼いの少年は飛び起きて、悲鳴を挙げるよりも先にズボンを穿いたまま失禁し、4頭の羊は、まるで目の前に虎を放たれたかのように石や木の墓標の間を縫って闇雲に駆け回った。ことの起こりは古びた墓の鳴動だった。墓標に名はなく、草が膝に届くほどおい茂っていたが、それがデウィ・アユの墓であることはだれもが知っていた。デウィ・アユは52歳で死んで21年後に生き返り、今ではもう、どう年を数えていいのか、だれにもわからなかった。(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.5)
墓地から死者が姿を現わす、マジックリアリズム的手法で冒頭から読者を引き付ける。しかも復活した死者は、かつてその美貌で町中の男を虜にした娼婦だった。
なにはともあれ、デウィ・アユは町一番の娼婦だった。娼婦として時を経てきた間に、町の成人の男性のほぼ全員がデウィ・アユと寝てきたのであり、(略)。デウィ・アユの美貌に関する伝説は町の祖にも匹敵するほどで、デウィ・アユを巡って戦争が起こらなかった唯一の理由は、デウィ・アユが娼婦であったため、お金さえあればだれであろうとデウィ・アユと寝ることができたからだった。(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.142)
傑物であるデヴィ・アユは、貞淑な妻であっても結納品や、もしもあれば愛と引き換えに身体を売るのだから、女は皆娼婦と言っても過言ではない(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.145参照)と達観している。
「愛があるって信じていないわけじゃないいし、それどころか、私はすべてを愛を込めてやってきたわ」とデウィ・アユは言葉を継いだ。「カトリックのオランダ人の家に生まれて、宣誓もできないうちからカトリック信徒になってそれから最初に結婚した日にイスラム教徒になった。結婚したこともあったし、宗教の信者になったこともあったけれど、今ではどれもなくなってしまった。でも、だからといって愛までなくしてしまったわけじゃない。娼婦になるには、なにもかも愛さなければならないのよ。どんな人でも、どんな物でも。あれも、指先も、それとも牛の足でも。なんだか聖女兼神秘思想家にでもなったみたいな気がするわね」(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.145-146)。
デウィ・アユには父親の分からない娘アラマンダ、アディンダ、マヤ・デウィがいて、いずれも美貌を誇った。そして、4人目の子を中絶しようとして叶わず、醜い子が生まれることを望む。
(略)これから生まれてくる子がどんな子であってほしいか願いをかけることのできるその時、デウィ・アユは――おそらく世界ではじめての例だといえるだろうし、そのせいもあって、死の時が訪れるまで願いが叶ったとは思いもしなかったのだが――醜い赤ん坊が生まれますようにと願ったのだった。デヴィ・アユは椰子の実の殻に黒い煤で醜い赤ん坊の姿を描いたが、それはほとんど何者にも似ても似つかぬものだった。本来ならばドラウパティーか、シータ―か、クンティーか、それともだれであれ、美しいワヤンの登場人物の顔を描くはずだった。どの母親も、少なくともこの町では、そういった美しい子が生まれてきてほしいと願うものだからだ。男の子がほしければ、ユディシュティラかアルジュナかピーマを描く。だが、デウィ・アユの場合は違った。猪やら黒毛猿に似ているというのなら別だが、それ以外は自分の知っている人物のだれにも、あるいはどんな物にも似ていてほしいとは思わなかった。そうしてデウィ・アユは恐ろしげな怪物の姿を描いたわけだが、死体となって埋葬されるときまで、その成果を目にすることはなかったのである。(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.22-23)
なぜデウィ・アユは醜い子が生まれることを望むのか。その理由がデウィ・アユや3人の美しい娘たちのエピソードにより明らかにされていくという結構である。
インドネシアの架空の町ハリムンダが、オランダ、日本、独立を果たした共和国に次々に支配されてきた歴史を、余りに美しいがゆえに悲劇を招く娘たちの姿に重ねている。そして、時代に翻弄されるのは市井の人々である。
「何年もの間、小団長、ぼくらはその日必要な分と、それから大きな嵐が来たときに備えて少し余分なだけの魚を獲ってきたんです。何年もぼくらはそうやって生活してきて、すごくお金持ちになったこともないけれど、すごく貧乏になったこともなかったんです。でも今、あなたはその漁師たちを情け容赦のない貧困の中へ突き落とそうとしている。いつも彼らが獲っていた魚をあなたはあの船で奪い取り、たとえ彼らが魚を獲ることができたとしても、魚市場で売るだけの価値もなくなってしまい、自分たちで食べる分の干し魚にするしかなくなってしまった」
「きっと、きみあらは牛の頭を海に投げ込むのを忘れたんでしょうな。それで海を司るラトゥ・キドゥル〔南海の女王〕が、魚を分けてくれる気をなくしたんでしょう」。小団長はくすくす笑いながら言い、コーヒーを飲んで丁子入りの煙草をふかした。
「そのとおりです、小団長。もう牛1頭買うお金すらないんですから。あの貧しい人たちを怒らせない方がいいですよ。腹をすかせて怒った人間に立ち向かえる者はひとりもいません」(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.260)
クリウォンは漁師たちの惨状を見かねて起ち上がる。後にハリムンダの共産党支部を率いたクリウォンは、ジャカルタでの共産党のクーデター、その後の全国的な共産主義者狩りに捲き込まれる。クリウォンは共産党支部で――軍部により新聞社が占領されたために――届かない新聞をひたすら待っているだけだった。だが新聞を待っていたことこそが罪だとハリムンダを牛耳る小団長から指弾された。ニュース≒新しいものを求める者は体制を覆す者として排除されるのだ。
これが、10を超えるストライキを組織し、ハリムンダの1000人以上の共産主義者を指導して、あげくにすべてを失った男だった。はっきりと数はわからないが、1000人以上の党員やシンパたちが死に、わずかな生き残りは捕えられ、そのうちの多くは今もブルーデンカンプに拘禁されていた。クリウォンはこの町で捕えられていない唯一の共産主義者の生き残りで、闘争の同志たちとの連絡を断たれ、生まれ育った町が新しい世界へ、共産主義者のいない世界へと向かう只中に、ひとり取り残されていた。
病院で一週間隔絶されて過ごし、その間アディンダがつき添って、ミナも毎朝顔を出した。まだ意識が不安定なせいで、ときにはうわごとを言い、仲間たちの名を呼んだけれど、その全員がおそらくもう死んでしまい、おそらくは地獄へ落ちたはずだった。また別のときには、なおも10月はじめに発行されなかった新聞のことを尋ね、いまだにそれらを受け取って読まねばならないと思い込んでいた。この混乱のすべてが、いつも読んでいた新聞がやって来なかったことから始まったのだと、今もなお考えていたのである。
アディンダは、それらの新聞はたしかに10月1日には発行されなかったし、その後も発行されていないと幾度も言って聞かせようとした。けれどもクリウォン同志は、それらの新聞は発行されたはずで、いつもどおりに印刷されたはずだと言い張った。「それなのに、あのくそったれの軍人どもが全部奪ってしまったんだ」。筋の通らないうわごとを言い始めると、アディンダは発熱した額を急いで冷やしてやり、クリウォンはたちまち眠りに落ちるのだった。
「精神病院を紹介した方がいいですかね」と医者がアディンダに尋ねた。
「その必要はありません」とアディンダは言った。「この人は、ほんとうはものすごくまともで、狂ってるのはこの人の目の前にある世界の方なんだから」(エカ・クルニアワン〔太田りべか〕『美は傷』春秋社/2024/p.368-369)