展覧会『鈴木基真展「a piece of cake」』を鑑賞しての備忘録
第一生命ギャラリーにて、2025年10月1日~21日。
住宅、トレーラーハウス、モーテルなど主に建築物をモティーフとした木彫、ジオラマのような木彫、窓を模した絵画で構成される、鈴木基真の個展。
ジオラマ風の木彫は、森を切り拓いた農地といくつかの住宅を表す。なだらかな土地に高さの揃った同樹種の森が拡がる中を1本の自動車道が貫く。道の一方には農家と農地が拡がり、他方には池のある住宅など複数の建物が点在する小さな住宅地がある。農地にも住宅地にも森が迫り、とりわけ住宅地は建物の周辺だけが開けている。ジオラマ風の作品は木箱の台座に載せられているものの、床に近い低い位置にあるため見下ろして鑑賞することになる。俯瞰という、鳥からの眺め、さらには神の視点が浮かび上がる。
窓を模した絵画は、素木の窓枠で囲った板に白い雲のかかる青空を背にした葉の繁る樹木を描いた作品。縦長の窓は上側に横長の矩形、下側に縦長の幅の異なる2つの矩形の3つの部分に分割されている。画面のほとんどを樹木が占め、樹冠の背後に白い雲のかかる青空を覗かせる。表面にニスが塗ってあるのか、光沢のある画面である。レオン・バッティスタ・アルベルティ[Leon Battista Alberti]以来、絵画は窓に擬えられるが、壁に掛けられた窓枠を持つ絵画は窓に擬態しつつ却って窓でないことを印象付ける。絵画を見ることは窓越しに景色を眺めることではない。非日常的な特殊な事態である。液晶画面=window(s)越しに世界を眺める常態の特殊性、その枠組みに囚われていることに対する無意識・無関心を露わにさせる。
住宅、トレーラーハウス、アパルトマン(?)、モーテル、駅舎、バスとバスケットボールのコート、海食崖にできた洞に置かれた小舟、街灯の脇に置かれたカート、給水塔(?)を表した木彫作品が高い展示台の上に並ぶ。建造物など彫り出された景観にはジオラマ作品と異なり彩色が施されていないが、彫刻刀を入れていない木材の切断面には、それぞれ朱、ピンク、茶、青、臙脂、山吹、緑、紺、灰色が単色で塗られている。その鮮やかさが景観をモノクロームないしセピアの写真の世界に封じ込めてしまう。素木の板の展示台の上に並ぶ風景の木彫には素材としての一体感がある。他方で、互いの距離、縮尺の違い、そして切断面の華やかな色彩によって相互に孤絶している。その孤絶は生活の場を舞台にしながら人物が存在しないことに思い到らせる。そこに打ち棄てられた廃墟を見るのか、物語を紡ぐ余地を見るのか、鑑賞者は試されているとも言える。そして、敢て高く設定された展示台は、却って普段作品が見えているという鑑賞者の思い込みを炙り出す。鑑賞者は一体作品(の何)を見ているのか。見ることとは容易い事[a piece of cake]ではない。