映画『ミーツ・ザ・ワールド』を鑑賞しての備忘録
2025年、日本製作。
126分。
監督は、松居大悟。
原作は、金原ひとみの小説『ミーツ・ザ・ワールド』。
脚本は、國吉咲貴と松居大悟。
撮影は、塩谷大樹。
照明は、藤井勇。
録音は、西條博介。
美術は、井上心平。
装飾は、遠藤善人。
スタイリストは、山本マナ。
ヘアメイクは、風間啓子。
アニメーション制作は、UWAN Pictures。
キャラクターデザインは、あおいれびん。
編集は、瀧田隆一。
音楽は、クリープハイプ。
雨上がりの夜の歌舞伎町。激しい吐き気に襲われた三ツ橋由嘉里(杉咲花)がフェンス脇にしゃがみ込んでいる。手にはアニメーション『ミート・イズ・マイン』のキャラクターのポーチ。トモサン、助けて…。救急車、呼んだ方が良い感じ? キャバクラ嬢(南琴奈)に声を掛けられる。綺麗な人…。有り難う。あなたみたいな顔になりたかった。300万あればなれるんじゃない? 300万? 派手に嘔吐する由嘉里。あなたみたいになりたかった。あなたみたいな顔に生まれたかった。あなたみたいに生きたかった。300万あげるよ。あんたがあたしの顔になって、あたしになったらいい。彼女が由嘉里に手を差し出す。由嘉里がその手を握る。新しい世界に連れて行ってあげるからさ。由嘉里は彼女に引っ張られて夜の歌舞伎町を歩き出す。水溜まりには看板の鮮やかな光が映っている。
何ですかこれ? シャワーを浴びて頭の冴えた由嘉里が部屋を前に呆然と立ち尽くす。ゴミの海が拡がる中、カウチの島で彼女はスマートフォンを見ている。ヤバいですよ。死んじゃいますよ。死ぬの。人はいつかは死ぬ。人は見た目ではないですね。母のようないい口ですが…。由嘉里は自らが臨死体験した合コンの記憶が甦る。三橋さん、腐女子なんですよね? その一言で場の空気が凍り付いたのだった。これがLGBTQならアウティングですよ。なのに腐女子にはネタ感があるんですよ。憤慨して熱弁を振るう由嘉里。お酒頼むときはチェイサー頼みなよ。彼女は冷静な反応。イケメンの出て来るアプリにハマってる娘、キャバ嬢にもいるよ。由嘉里は水を飲もうと冷蔵庫に向かおうとするが足の踏み場がない。ゴミ袋ありますか? 大丈夫、いろいろ踏んでいいから。由嘉里は近くに落ちていたビニール傘で者を除けながら冷蔵庫に到着する。庫内には水のペットボトルと得体の知れない黒いものだけ。何ですか、この黒いの? 滅茶苦茶怖いんですけど。醤油かな。今更ですけどお名前は何て言うんですか? シカノライ。動物の鹿に野原の野、ライは難しい字だから分からないと思う。惜しいよね、頭に馬があればバカの嘘って名前だったのに。三ツ橋由嘉里です。婚活始めました。婚活かあ、私も死ぬ前に1回やってみようかな。鹿野さんみたいな顔だったらなあ。ライでいいよ。300万で顔変えたらいい。私、死ぬの。だからお金あげるよ。さっきからちょいちょいその話出て来ますけど。ギフテッドなの、この世から消える。やめた方がいいですよ、死ぬの。どうしてですか? もうちょっと生きていれば適応できるかもしれないじゃないですか? 適応できるかどうかじゃないの。生きてて普通に楽しいし。由嘉里は冷蔵庫の傍で発見したゴミ袋を拡げる。部屋は住んでる人の心の鏡って言いますから。しなくていいと言うライに構わず、由嘉里は張り切って部屋のゴミを拾い集め始める。ライさん、そんなところにいたら粗大ゴミに出しますよ! 清掃中にライから『ミート・イズ・マイン』について尋ねられた由嘉里は、焼肉の部位を擬人化した漫画について熱く語り、自分の推すキャラクターの画像を見せる。ライにイケメンじゃんと言われて調子の乗る由嘉里は、次々と画像を見せながら、公式ではないですと断わりながら自らの妄想を垂れ流す。2人でゴミ袋を出しに行き部屋に戻ったライは感嘆する。天国みたい。ちょっとは生きたくなりました? あんた仕事は? 1時間半後に出ると由嘉里が伝えると、ライはいつもカウチで寝るからベッドを使うように言われる。家に帰りたくないならここに帰って来てもいいよ。ライがたこ焼きのキーホルダーの付いた鍵を由嘉里に投げ渡す。可愛いでしょ。
銀行に事務員として勤める三ツ橋由嘉里(杉咲花)は、焼肉の部位を擬人化したアニメーション『ミート・イズ・マイン』の熱烈なファン。母親(筒井真理子)から暗に受ける結婚のプレッシャー、三次元の男を知らずに仕事と趣味だけで生きていく孤独に苛まれる中、同僚の高藤恵美(加藤千尋)に誘われて合コンに参加することに。ところが腐女子であることを暴露されショックから痛飲した由嘉里は歌舞伎町の街角で吐き気のために1人動けなくなってしまう。通りすがりの眉目秀麗なキャバクラ嬢・鹿野ライ(南琴奈)に助けられ家に招かれた由嘉里がライみたいなルックスだったら良かったと僻むと、300万円あげるから整形すればいいと提案される。ライは自らをこの世から消えるギフテッドだと信じ生に執着がなかった。由嘉里はライの自殺念慮は汚い部屋が原因と即座に大掃除を敢行する。ライは家に帰りたくなければここに帰って来てもいいと由嘉里に部屋の鍵を預け、2人の共同生活が始まった。由嘉里は合コンで知り合った奥山譲(くるま)から予想外の連絡を受ける。返信に悩む由嘉里がライに相談すると即座にメッセージを送信されて奥山と会うことになり激しく狼狽える。ラーメン屋で食事をしていた由嘉里とライはライの旧知のホスト・アサヒ(板垣李光人)にオシン(渋川清彦)のバーに連れて行かれ、由嘉里は作家のユキ(蒼井優)と知り合う。
(以下では、冒頭以外の内容についても言及する。)
男が出来れば孤独が解消されると期待する由嘉里は恋愛に過度な幻想を抱いているとライに喝破される。また、言い寄ってくる男を選り好みできる権利なんて無いと言う由嘉里は当の相手や由嘉里を思う人に失礼だとライに直言される。由嘉里の固定観念がライによって崩されていく。自分を取り巻いてきた家族や友人や職場の同僚とは異なるライ――そしてライを取り巻く歌舞伎町の人々――の世界観との出会いが「ミーツ・ザ・ワールド[meets the world]」なのだろう。
ミーツ[meets]は肉[meat]との掛詞であり、由嘉里が愛するアニメーション『ミート・イズ・マイン』に連なる。焼肉の部位[meat]は擬人化により肉体[flesh]となる。肉体は私のもの。由嘉里はライの美貌に憧れる。由嘉里は肉慾に執着しているのだ。
子は、母から見られた自分が自分であることを受け入れることによって自己になるわけだが、この自己を自己とする眼は――はじめは手がかりとして母の眼の位置にあるにせよ――そのとき中空にあるとでもいうほかない。そしてじつは、この中空にあって俯瞰している眼のほうが自己なるものにほかならないのだ。だからこそ、自己にとっては自己の身体があたかも外部から与えられたもののように見えてしまうのである。中空に位置する眼という言い方は奇矯に響くかもしれないが、これは視覚の本質、距離の本質にかかわることであって、(略)
いずれにせよ、明瞭になってくるのは、人間の身体はじつは自己などというものではまったくないということだ。
(略)
ほんとうは、身体が外部なのではない。自己という現象のほうが外部なのだ。にもかかわらず、人間は逆に考えるのである。容貌も背丈も何もかも外部から与えられたものであるかのように不平不満を漏らすにいたるのだ。もう少し背丈があれば、もう少し容貌が美しければと思い悩むようになる。悩むだけではない。変えようとさえする。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』講談社/2018/p.113-114)
「身体が外部なのではな」く、「自己という現象のほうが外部なのだ」ということを直観しているのがライである。身体は私のものではない。だからライは、肉慾に囚われた由嘉里に300万円で整形して理想の容貌を手に入れればいいと平然と言い放つのである。
死を覚悟するならば、瞞されることに怯える必要はないのだ。
重要なのは、孤独にも感動にも、騙し騙される次元がつねに介在しているということだ。眼も、言葉も、騙されやすく、かつ騙されることを喜ぶのである。人間にとっては、恐怖が驚きに転じ、驚きが笑いに転ずる瞬間こそ快楽なのだ。真理が登場するのはその後である。当然のことだが、仮象は心理に先立つ。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』講談社/2018/p.477)
ライは死ぬと言い、この世から消えると言う。「死を覚悟するならば、瞞されることに怯える必要はない」。偶然出遭った由嘉里を受け容れることも可能である。そして、ライは自らの名前を嘘[lie]だと言ってのける。
言語革命は死後を発明しただけではない。
この世をあの世に変えたのである。
出生した赤子に名を与えることはこの世に位置づけることだが、名は生命とともに消えるわけではない。名は既になかばはこの世を超えているのである。与えられた名を生きることは生きながらにして死の世界に足を踏み入れることであり、墓を築くことは死者の名をなおこの世にとどめ、大なり小なりそれがこの世を支配することを許すことなのだ。ブランショ風にいえば、死の空間である文学空間はこの段階ですでに始まっているのだ。人間は死者に立ち混じって生きること、死者を生かし続ける術を発明したのである。(略)
人は生きるために死という広大な領域を発明し、そのなかに立ち入ったのである。
人間は生と死を転倒させたといっていいが、そのようにして初めて生を意識しえたのだ。要するに、人はみな文学空間に住むことになった。(三浦雅士『孤独の発明 または言語の政治学』講談社/2018/p.480-481)
ライ=嘘が生み出したのは死後の世界であり、ライの部屋は死の空間=文学空間である。由嘉里は、ライと「立ち混じって生きること」、ライを「生かし続ける術を発明した」のであり、「初めて生を意識しえたの」である。
宮沢賢治をモティーフとしたテレビドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』での好演も記憶に新しい南琴奈が、現実離れしたキャラクターであるライにリアリティを与えた。