展覧会『没後70年 坂口安吾展 あちらこちら命がけ』を鑑賞しての備忘録
神奈川近代文学館にて、2025年10月4日~11月30日。
『堕落論』や『白痴』で知られる作家・坂口安吾(1906-1955)の回顧展。導入として「あちらこちら命がけ」などの書、机上の品々や眼鏡や衣服、カメラなどの遺愛品を陳列。戦前・戦中の第1部「世に出るまで」は、「偉大なる落伍者」、「修行のころ」、「文壇デビュー」、「失意と放浪の時代」、「戦時下で」のトピックで、戦後の第2部「時代の寵児」は「生きよ堕ちよ」、「人気作家として」、「伊東へ」、「安吾もの」などのトピックで構成され、おおよそ時代順に坂口安吾の生涯を辿る。
第1部「世に出るまで」では、新潟市西大畑町で資産家の父・坂口仁一郎(新潟新聞社社長、衆議院議員)と大地主の出の母アサの五男として丙午に生を享け「炳五」と名付けられたことから説き起こされる。ガキ大将で成績優秀であった炳五は新聞や立川文庫の講談に夢中になったという(第2部には後年、講談を通じて知っていた馬庭念流を実際に見学する機会に恵まれたエピソードも紹介される)。主軸は自伝的小説「石の思い」にある。
8ツぐらいの時であったが、母は私に手を焼き、お前は私の子供ではない、貰い子だと言った。そのときの私の嬉しかったこと。この鬼婆アの子供ではなかった、という発見は私の胸をふくらませ、私は一人のとき、そして寝床へはいったとき、どこかにいる本当の母を考えていつも幸福であった。私を可愛がってくれた女中頭の婆やがあり、私が本当の母のことをあまりしつこく訊くので、いつか母の耳にもはいり、母は非常な怖れを感じたのであった。(坂口安吾「石の思い」『ちくま日本文学009 坂口安吾』筑摩書房/2008/p.71-72)
「どこかにいる本当の母を考え」るところなど岡本かの子の「鮨」を髣髴とさせる。本展で取り上げられて印象深かったのは、母のため荒海に蛤を獲りに行ったエピソードである。
(略)母と私はやがて20年をすぎてのち、家族のうちで最も親しい母と子に変ったのだ。私が母の立場に理解を持ちうる年齢に達したとき、母は私の気質を理解した。私ほど母を愛していた子供はなかったのである。母のためには命をすてるほど母を愛していた。(略)私が子供のとき、暴風の日私が海へ行って荒れ海の中で蛤をとってきた、それは母が食べたいと言ったからで、母は子供の私が荒れ海の中で命がけで蛤をとってきたことなど気にもとめず、ふりむきもしなかった。(坂口安吾「石の思い」『ちくま日本文学009 坂口安吾』筑摩書房/2008/p.72)
幼少期の冷淡な母のイメージ。それは荒海と分かち難く結び付いている。
1922年に教師を殴るなどして上京、日大豊山中学に転入する。谷崎潤一郎や英訳のアントン・チェーホフ[Антон Чехов]などを耽読した。1923年に父が病没し、中学卒業後に小学校で代用教員となった。自らの文才に絶望した安吾は1926年に東洋大学で仏教を学ぶ。寝る間も惜しんで仏教学に没頭するが鬱病を発症し、梵語など語学の習得で気分転換を図る。仏教に飽きた安吾は文学熱を再燃させ、アテネ・フランセでフランス語を学び、友人との読書会などを通じてフランス文学を吸収した。
思えば私は少年時代から落伍者が好きであった。私はいくらかフランス語が読めるようになると(略)ルノルマンの「ラテ(落伍者)」という戯曲を読んだ。(略)私は然しもっと少年時代からポオやボードレエルや啄木などを文学と同時に落伍者として愛しており、モリエールやヴォルテールやボンマルシェを熱愛したのも人生の底流に不動の岩盤を露呈している虚無に対する熱愛に外ならなかった。(坂口安吾「いずこへ」坂口安吾『白痴』新潮社〔新潮文庫〕/1948/p.11)
1930年、友人の葛巻義敏(芥川龍之介の甥)らと同人誌『言葉』を創刊する。創刊号の編集後記に「芸術は文学も美術も音楽も常に連絡をとるべきだ」と記す。1931年5月、『言葉』の誌名を『青い馬』と改め岩波書店から刊行。第2号掲載の「風博士」は愉快な分かりにくい作で首を傾げさせると牧野信一に雑誌『文科』で好意的に取り上げられ、順調な文壇デビューを果たす。
私は同人雑誌に「風博士」という小説を書いた。散文のファルスで、私はポオの X'ing ParagraphとかBon Bonなどという馬鹿バナシを愛読していたから、俺も1つ書いてやろうと思ったまでの話で、こういう馬鹿バナシはボードレエルの訳したポオの仏訳の中にも除外されている程だから、まして一般に通用する筈はない。私は始めから諦めていた。ただ、ボードレエルへの抗議のつもりで、ポオを訳しながら、この種のファルスを除外して、アッシャア家の没落などを大事にしているボードレエルの鑑賞眼をひそかに皮肉る快で満足していた。(二十七歳)
しかし作家の矢田津世子との失恋辺りから低迷し、各地を放浪するようになる。
私は矢田津世子の横に腰を下して、たしかに、胸にだきしめたのだ。然し、その腕に私の力がいくらかでも籠っていたという覚えがない。
私は風をだきしめたような思いであった。私の全身から力が失われていたが、むしろ、磁石と鉄の作用の、その反対の作用が、からだを引き放して行くようであった。
私の惰性は、然し、つゞいた。そして、私は、接吻した。
矢田津世子の目は鉛の死んだ目であった。顔も、鉛の、死んだ顔であった。閉じられた口も、鉛の死んだ唇であった。(坂口安吾「三十歳」『文学界』1948年5-7月掲載)
矢田津世子に対する「風をだきしめたような思い」は、かつて安吾が「命がけで蛤をとってきたことなど気にもとめず、ふりむきもしなかった」母に抱いた思いと同じ感慨ではなかろうか。
僕は存在を、僕の書いてゐる仕事の中にだけ見て下さい。僕の肉体は貴方の前ではもう殺さうと思つてゐます。昔の仕事も全て抹殺。(矢田津世子あて書簡1936年6月1日)
矢田津世子という風を抱き締めた安吾こそ肉体を喪失していた。かつて母という海の前で自らの肉体が不可視になっていたのと同じく。矢田津世子も母も安吾にとっては不感症の女に他ならない。不感症の女を愛した男の物語が「私は海をだきしめていたい」である。
海岸へ散歩にでると、その日は物凄い荒れ海だった。女は跣足になり、波のひくまを潜って貝殻をひろっている。女は大胆で敏活だった。波の呼吸をのみこんで、海を征服しているような奔放な動きであった。私はその新鮮さに目を打たれ、どこかで、時々、思いがけなく現われてくる見知らぬ姿態のあざやかさを貪り眺めていたが、私はふと、大きな、身の丈の何倍もある波が起って、やにわに女の姿が呑みこまれ、消えてしまったのを見た。私はその瞬間、やにわに起った波が海をかくし、空の半分をかくしたような、暗い、大きなうねりを見た。私は思わず、心に叫びをあげた。
それは私の一瞬の幻覚だった。空はもうはれていた。女はまだ波のひくまをくぐって、駈け廻っている。私は然しその一瞬の幻覚のあまりの美しさに、さめやらぬ思いであった。私は女の姿の消えて無くなることを欲しているのではない。私は私の肉慾に溺れ、女の肉体を愛していたから、女の消えてなくなることを希ったためしはなかった。
私は谷底のような大きな暗緑色のくぼみを深めてわき起り、一瞬にしぶきの奥に女を隠した水のたわむれの大きさに目を打たれた。女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体を見た。海という肉体だった。ひろびろと、なんと壮大なたわむれだろうと私は思った。
私の肉慾も、あの海の暗いうねりにまかれたい。あの波にうたれて、くぐりたいと思った。私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思った。私は肉慾の小ささが悲しかった。(坂口安吾「私は海をだきしめていたい」坂口安吾『白痴』新潮社〔新潮文庫〕/1948/p.165-167)
不感症の女は海に呑み込まれる。否、そのような場面を錯覚する。女と海とは一体化して、「女の無感動な、ただ柔軟な肉体よりも、もっと無慈悲な、もっと無感動な、もっと柔軟な肉体」となる。言わば不感症の海である。故に「私は海をだきしめて、私の肉慾がみたされてくればよいと思」うのだ。その実、安吾こそ不感症の女なのだ。なぜなら安吾は愛する人(=人間)に対して肉体を殺してしまったのだから、「肉体の感動というものが、ない」(「私は海をだきしめていたい」)のだ。「生きよ堕ちよ」(『堕落論』)とは、肉体を堕として、残る精神において生きるとの宣言であった。だから安吾は記していたのだ。「僕は存在を、僕の書いてゐる仕事の中にだけ見て下さい」と。
単に「形が無い」ということだけで、現実と非現実とが区別せられて堪まろうものではないのだ。「感じる」ということ、感じられる世界の実在すること、そして、感じられる世界が私達にとってこれ程も強い現実であること、ここに実感を持つことの出来ない人々は、芸術のスペシアリテの中へ大胆な足を踏み入れてはならない。
(略)
ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。およそ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。ファルスとは、否定をも肯定し、肯定をも肯定し、さらにまた肯定し、結局人間に関する限りの全てを永遠に永劫に永久に肯定肯定肯定して止むまいとするものである。諦めを肯定し、溜息を肯定し、何言ってやんでいを肯定し、と言ったようなもんだよを肯定し――つまり全的に人間存在を肯定しようとすることは、結局、途方もない混沌を、途方もない矛盾の玉を、グイとばかりに呑みほすことになるのだが、しかし決して矛盾を解決することにはならない、人間ありのままの混沌を永遠に肯定しつづけて止まない所の根気の程を、呆れ果てたる根気の程を、白熱し、一人熱狂して持ちつづけるだけのことである。(坂口安吾「FARCEに就て」『ちくま日本文学009 坂口安吾』筑摩書房/2008/p.56-58)