展覧会『土井沙織「本日の祈り」』を鑑賞しての備忘録
靖山画廊にて、2025年11月6日~18日。
寒冷紗に石膏を塗った支持体に水干絵具や弁柄などで人や擬人化された生き物を描く土井沙織の個展。
《Please》(1830mm×2760mm)は白い獣(牛?)を抱える女性を画面一杯に描いた作品。獣は横向きに伏せている。首を大きく右側に曲げて地面に着けた顔の鼻先はほぼ画面中央に位置する。左顔を見せる獣の目は見開かれているものの何かを見ているのではなく思索に耽るようである。逆光の山吹色の光を僅かに映した白い体は後部が画面に収まり切らず左側で切れていることで巨大さを、肢が描かれないことでずっしりした大地と一体化した量感を表す。黒いワンピースを身につけた女性は地面に膝を突いて獣の背にもたれ掛り、右手を獣の首に回す。彼女は自分よりも大きな獣を手懐けている。黒く表された顔に唯一表された両目は見開かれ、何かを懇願する。逆光となるため、ややくすんだ色味で表される獣と女性とは対照的に、右上に覗く木々の背後から差す山吹色の光が眩しい。
《神使》(600mm×720mm)は、夕焼けの木立の中に坐る白い獣(馬?)を左側から捉えた作品。画面左上に頭部、画面左下に前肢、画面右下に体が位置する。体は画面右側にまだ続いているようだ。シルエットとして描かれる黒い木々の影に消える体の後部は逢魔が時に束の間姿を表わした幻影の印象を生む。暗い背景との対照で、やや山吹色を帯びた白い体は輝くようで、青い瞳と相俟って聖性を感じさせる。
《道案内》(600mm×720mm)は、長い体を持つ蛇の上に留まる2羽の鳥を描いた作品。プレッツェルよりも複雑に体を絡ませる蛇が王冠を載せた鎌首を擡げる。口からはチラチラと舌を出しつつ背後の鳥たちに視線を送る。白い2羽の鳥はそれぞれ蛇の顔に羽を伸ばし、あるいは羽を拡げる。指図したり、苦情を言ったりする鳥を蛇が気にしているようだ。コミカルな印象の作品である。《抜け道》(250mm×200mm)では木々の間を鷗(?)のような鳥が翼を拡げて苦も無く通り抜ける。子を背に乗せて移動する獣を描いた《おやこ》(140mm×150mm)もある。蛇をモティーフとした作品には、蛇を訪ねて来た白い蝶を描いた《初仕事》(250mm×200mm)がある。
《100年後の約束》(1830mm×1390mm)は葉の繁る枝を左右に対照的に伸ばしつつ直立する樹の蔭で抱き合う直立歩行するシロクマのような獣2頭を描いた作品。タイトルから、夏目漱石の「夢十夜」第一夜を連想せずにいられない。死んだ女から墓の傍で「100年待っていて下さい」と頼まれたエピソードである。
しばらくして、女がまた又こう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。又逢いに来ますから」
自分は、何時逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それから又出るでしょう、そうして又沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯た。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。(夏目漱石「夢十夜」同『文鳥・夢十夜』新潮社〔新潮文庫〕/1976/p.27)
夕陽の中にシルエットとなって聳える樹は約束の年限の生き証人となって2頭の再会を言祝ぐようだ。
《おでかけ》(400mm×450mm)は山吹色の2頭の動物が並んで歩く様を描く。先に行く1頭が振り返り、後ろの1頭と見つめ合う。2頭の仲の良さは、背景の黄色い光と同系色であることと、、太い輪郭線による一体的な表現とにより強調される。《バア》(250mm×200mm)に描かれる、土管のような丸い穴の中から前肢を出す熊のような獣とその頭に載った白い鳥も名コンピのようだ。
《降りてきた》(400mm×450mm)には、夕陽の光の中に黒いシルエットとして浮かぶ兎らしき動物の背に載る黄色く輝く星が描かれる。星を手に入れてほくそえむ狡猾そうな兎だが、星が背中を焼いて炎を上げているようにも見える。
《扉係》(400mm×450mm)には、孔雀のように扇状に羽を拡げる白い鳥が撓んだ木の枝に留まる姿が描かれる。行く手を塞ぐように羽を拡げる鳥は、タイトルと相俟って、フランツ・カフカ[Franz Kafka]の『訴訟[Der Process]』で紹介されるエピソードに登場する門番を想起させる。
「私が何か勘違いしてるとおっしゃるんですか?」とKは尋ねた。
「裁判所のことをだ」と僧侶は言った。「法律の入門書に、この勘違いについて書いてある。こんな話だ。『法律の門の前に門番が立っている。門番のところに田舎から男がやって来て、法律の中にいれてくださいと頼む。ところが門番は、今は入れてやれないと言う。男はあれこれ考え、またあとで入れてもらえるのですかと尋ねる。
《そうかもしれん》と門番は答える。《だが、今はだめだ》
法律の門はいつものように開け放たれており、門番が脇へどいたので、男は門の中をのぞこうと身をかがめた。それに気づくと、門番は笑って言った。
《そんなに気になるなら、俺がだめだと言うのは気にせず、入ってみるがいい。ただし覚えておけ。おれは強いぞ。しかも、それでも1番下っぱの門番にすぎんのだ。広間から広間へと進むごとに門番が立っていて、どんどん強くなってゆく3番目の門番あたりになると、この俺ですらまともに見られないほどだ》(フランツ・カフカ〔川島隆〕「訴訟」多和田葉子編『ポケットマスターピース01 カフカ』集英社〔集英社文庫〕/2015/p.579)
因みに孔雀のような鳥を描いた作品に、《すばらしい羽》(200mm×250mm)と《ふりかえらない》(200mm×250mm)とがある。
《あやしいやつ》(335mm×350mm)は暗闇の中に表される、茶色い毛で覆われたアルパカのような獣。周囲を包む闇と同じ黒い顔には、小さな円らな瞳が輝く。《何者でしょう》(200mm×250mm)は赤い光の中にシルエットで表される熊のような獣。《いつもの仕事》(330mm×350mm)で畚を提げた天秤棒を担ぐ獣や、《バア》に登場する獣と同じく、笑うように弧を描く白い口だけが顔に浮かぶ。