展覧会『伊勢裕人展』を鑑賞しての備忘録
GALLERY b.TOKYOにて、2025年11月10日~22日。
真空管や西蒲田の街並をモティーフとして、年を経ることがなければ生まれない味わいを画面に定着させることろ試みる、伊勢裕人の個展。
地下にある展示室への階段を降りる際に最初に目に入る《fuzz》(540mm×390mm)は、四周に格子を覗かせつつ、対角線で×印を入れた中央に、エフェクターの踏みペダル「Fuzz Face」を表した作品。黄土、焦茶、黒などの画面は機械油による版画のようなイメージである。「Fuzz Face」は、シミュラクラ効果で2つのダイヤルとボタンとが目と口となって顔に見える。《fuzz》の隣には、それぞれ"O"、"N"、"E"と描き込んだ3本の真空管を配した《ONE》(540mm×390mm)、11個の真空管が横一列の《Sequence》(540mm×390mm)が並ぶ。真空管の作品は、×印ではなく、銅線のような線が真空管の上下で横に延び、画面は全体的に赤味を帯びる。3点の向かいの壁には、"N"を表した真空管だけを描いた《N》(530mm×430mm)が飾られる。機械部品をモティーフとする薄汚れたようなイメージは、失われゆくものへの挽歌であろう。
《西蒲田叙景》(750mm×560mm)は3段4つの画面で構成される。上段には雲がかかるような黄土の画面の左下に朱色の「ゆ」の文字が怪しく輝く。中段は幅の狭い左側と、幅の広い右側の2つの画面で構成され、いずれも薄汚れた壁面のイメージを立ち上げる。右端にはピンクの光が僅かに覗く。下段は淡い水色がオレンジを覆う夜の帷が下りる夕空をイメージさせる画面である。暮れ泥む世界は、作家の奏でるエレジーのメタファーだ。同題の大画面作品《西蒲田叙景》(1450mm×2740mm)は、3枚の画面から成り、左側には画面の対角線による×印を配し、そこに複数の画面、円形、真空管、格子などの雑多なモティーフが、クリーム、青緑、黄土、茶、焦茶、灰色、黒などで鏤められる。左画面の猥雑な世界に対し、中央・右側の2枚は、薄明かりがぼんやりと浮かぶ闇に呑み込まれた世界である。エレジーというよりレクイエムと言えようか。
《春風》(1300mm×1640mm)には、赤、黄、緑、青など様々な色で表された11個の焼夷弾が、次々と落とされていく様を表した作品。描かれていない爆撃機が画面の上、すなわち高い空を右から左へと飛び行く姿が幻視される。画面下部には方々から煙がうっすら上がる。併せて展示される同題の《春風》(540mm×805mm)では茶やオレンジで描かれているのに対し、色取り取りに表される焼夷弾は、花火への連想を誘う。
夜の空襲はすばらしい。私は戦争が私から色々の楽しいことを奪ったので戦争を憎んでいたが、夜の空襲が始まってから戦争を憎まなくなっていた。戦争の夜の暗さを憎んでいたのに、夜の空襲が始まって後は、その暗さが身にしみてなつかしく自分の身体と1つのような深い調和を感じていた。
私は然し夜間爆撃の何が一番すばらしかったかと訊かれると、正直のところは、被害の大きかったのが何より私の気に入っていたというのが本当の気持なのである。照空燈の矢の中にポッカリ浮いた鈍い銀色のB29も美しい。カチカチ光る高射砲、そして高射砲の音の中を泳いでくるB29の爆音。花火のように空にひらいて落ちてくる焼夷弾、けれども私には地上の広茫たる劫火だけが全心的な満足を与えてくれるのであった。(坂口安吾「戦争と一人の女」同『白痴』新潮社〔新潮文庫〕/1948/p.177)
東京が空襲を受けた時期に西蒲田に住んでいたのが坂口安吾である。
見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞ることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。(坂口安吾「日本文化私観」同『ちくま日本文学009 坂口安吾』筑摩書房/2008/p.211-212)
「累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている」という件に――とりわけ夕空に見える「ゆ」に――《西蒲田叙景》の重ねて見ることは容易である。「真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる」という哲学を、作家は坂口安吾と共有しているとはいえないであろうか。
本展を最後にギャラリーは地域再開発のために他所に移転する。本展自体が失われる展示空間に対する挽歌なのである。